13 / 201

第13話 懇願

「ただいま~」 そう言って玄関のドアを開けると、 夕食の匂いがしてくる。 「おいしそうな匂い! 今日の晩御飯って何?」 そう言いながらキッチンへ歩いて行く。 「今日は少し遅かったね? 大丈夫だった?  携帯に何度か電話したんだけど……」 とお母さんが心配そうに聞いてくる。 「あ、ごめん、電源切ってたから気付かなかったよ。 実は今日ね、美術部に顔を出してきたんだ。 ほら、矢野先輩覚えてる?入学式の時受付に居た……」 「あ~、あの美術部の部長だっていう、 割と奇麗な顔をした子だったよね」とお母さんも抜け目がない。 「ま~、奇麗は置いといて、その矢野部長に誘われて、 今日美術部の見学に行ってきたんだ」 とカバンをテーブルに置きながら話す。 「それで、どうしたの?」 「それがね、聞いてよ。 ほら、2年ほど前に僕が高校生の絵画展に行ったの覚えてる? 凄く気に入った絵があったって話した……」 「あ~! 要がどうしても買いたいって言ってたやつだね。 あの時は、駄々こねられてどうしようと思ったから、良く覚えてるよ。」 それから僕は興奮気味に、 「そうそう、それ! 実は、矢野先輩ってあの絵の作者だったんだよ。 それにあの絵と同じで、凄く温かい心の人で…… 偶然ってあるんだね!」と捲し立てる。 「それは凄い偶然だね」とお母さんも同意する。 「お母さん、僕やっぱり美術部に入りたい」と懇願する。 僕の一番の問題は発情期の事だった。 まだ発情期の来ない僕は、周期が分からない。 よって、何時、発情期に襲われるか全くの検討が付かないのだ。 その為、発情期が訪れるまでは、少なくとも、 学校と家の往復だけに留めておこうと前に決めておいた。 中学生の時も同じようにした。 出かけるとしても、家に近い範囲に留まっていた。 「でも要、あなたまだ発情期が……」 お母さんは心配している。 「実はね、今日矢野先輩と色々と話をしてみたんだけど、 彼は凄く第二次性に対して理解があり、どの性であっても、 真摯に接しているんだ。 まだ先輩に会って2,3度しか話した事は無いけど、 先輩だったら信用できると思う。 きっと、良い相談役になってくれるんじゃないかと思う」 と真剣に伝えた。 「彼の第二次性って知ってる?」と言うお母さんの問いに、 「先輩は自分の事をαだって言ってた」と答えた。 「それって、一番危ないじゃないか。 もし、矢野君の前で発情期になったらどうするの?  矢野君まで巻き込んでしまうんだよ」 とオメガであるお母さんは僕よりもシビアだ。 「大丈夫だよ。 抑制剤は何時もカバンや内ポケットにはいってるから、 何時でも、どこからかは、取り出せるようにしてるから。 少し体調が何時もより変だと思えば、すぐに抑制剤をのむようにもするし」 と説得を試みる。 「要、発情期って前触れもなく来るんだよ。 発情期が不意に来てしまったら、 一人で対処するのは自分が思うよりずっと大変なんだよ。 それに持ってる抑制剤が聞かないと大変な事になるんだよ」 とお母さんは彼の意見を譲らない。 「だったら尚さらのこそ、 先輩に事情を説明して理解してもらっていたら…… 僕は…… 高校では思いっきり青春を楽しみたいんだ」 そう力説する僕に観念したのか、 「じゃあ、僕も矢野君とは話をしてみるから、 今度家に招待してごらん」とお母さんが折れてくれた。 「ありがとう、お母さん! 大好き!」 そう言って彼の頬にキスをしてハグをした。 「ハハ、ありがとう。 僕も要の事、凄く愛してるよ」 そう言って更に強く抱きしめてくれた。 「あ、そう言えばね、矢野先輩ってお母さんの事大好きみたいだよ?」 「どういう意味?」 「バイオリニストの如月優の大ファンなんだって。 なんか、ファンと言うよりは、 お母さんに恋する少年みたいな?」 と言ったはなから、 「ちょっと~、それって困るんだけど…… 優君は俺のだぞ!」とお父さん登場。 そしてお母さんの頬にグッドモーンイング! とキスをする。 「あれ? お父さん居たんだ」 「あ~、うん。 今日は夜からのスタジオ入りでね、今起きてきたところ。 あ、いや、それよりも優君に惚れてる少年がいるって?」 と、何処から聞いていたのか横槍を入れてくる。 「惚れてるっていうか、ま、憧れなんじゃないかな?  ほら、入学式の時受付に居た先輩覚えてる? 美術部部長だっていう」 「あ~、あの奇麗な顔をした!」 とお父さんも先輩の事をそういう風に見ている。 「確かに先輩は奇麗な顔をしてるけど、顔は今は関係ないでしょ。 先輩がね、お母さんの大ファンなんだって」 お父さんは腕を組んでうん、うんと頷いている。 「ま、優君はかっこいいし、 奇麗だから少年が憧れる気持ちは分からんではないが、 で、その少年が何だって?」 「僕、美術部に入部しようと思って。 先輩が、僕の良き相談相手になってくれたらって、 今お母さんとも話してたんだ。」と言ったとたん、 「部活動? いか~ん! アブな過ぎる。 もし俺の大切な要に何かあったらどうするんだ!」 相変わらず親バカだ。 ここは僕に任せてとでも言うように お母さんは僕に目配せをしてシッ、シッと手で払う。 「じゃ、僕は着替えてご飯食べる準備してくる!」 そう言って、颯爽と自分の部屋へ消えた。 その後、お父さんとお母さんは何かボソボソと話込んでいた。 制服を着替えながら、 何故僕には発情期が来ないのだろう? と思いを巡らせていた。 お母さんも、お父さんに会うまでは発情期が来なかったって言ってたから、 多分遺伝的な物だろうが、今のところ心を揺るがす様な人に会った事はない。 強いていえば、矢野先輩の事、 初めてちょっと気が許せる人に会えたなっていう思いは有る。 一緒に居ると凄く安心して居心地が良い。 明日は家への招待に行くからまた先輩に会える。 そう思うと、なんだかワクワクしてきた。 もっと先輩の事が知りたい… うん、先輩なら絶対大丈夫だ。 きっと、お父さんも、お母さんも気に入ってくれるはずだ。 当てにならない安心感を持って、僕はダイニングへと急いだ。

ともだちにシェアしよう!