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第115話 矢野先輩に変えられた僕

暫くそこで時間が止まった。 明らかに、いつもとは先輩の感じが違った。 僕は、矢野先輩が今どんな顔をしているのか 見上げることが出来なかった。 少しの沈黙中、僕が声を掛けようとしたら。 「あ……、 じゃ……じゃあ、次はグロスだね」 そう言って、少し震えた声で慌てた様に、 専用の筆で僕の唇にグロスを塗り始めた。 心なしか、先輩の手も少し震えているようだった。 そんな先輩に、僕はかける言葉も見つからず、 先輩がグロスを塗ってくれる間、 僕はただ目を閉じてその行方を見守った。 筆を置くコトンとする音と共に先輩が、 「じゃあ、今度はウィグを付けるから 動かないでね。 ネットがズレちゃうとまたやり直しになっちゃうから」 そう言って、先輩がそっとウィグを僕の頭の上に乗せた。 ウィグには緩いウェーブが掛かっていて、栗色の 柔らかい感じの色合いだった。 ウィグをかぶせた後、 生え際が奇麗に収まって自然に見えるように整うと、 後ろを一つにまとめ、ハーフアップに結い上げると、 横髪を少し取って後れ毛を出してくれた。 そして、僕に制服を脱ぐように施すと、 白地に、淡いブルーと紫のアジサイが 柄になっている浴衣を着せてくれた。 帯は、柄とマッチした淡い紫の帯で、 帯を巻き終えると、 先輩は跪いて、僕に下駄をはかせてくれた。 「先輩、そこまでしなくても大丈夫ですよ。 下駄位、自分で履けますよ」 僕がそう言うと先輩は僕を見上げて、 「今日は要君は僕のプリンセスになるから」 そう言ってニコリと微笑んだ。 なんだか先輩の大事な女の子扱いの様で 少し気恥しかったけど、 何時も通りの先輩に戻っていたので、 少し安心した。 そして先輩は、ぼくに下駄を履かせた後、 結い上げた髪の所に、 大きな黄色い花を付けてくれた。 「出来たよ。 鏡で見てごらん」 そう言って先輩が鏡を僕の方に向けると、 そこには可憐で清楚な可愛らしい女の子がそこには立っていた。 凄く、綿菓子の様な感じでフワフワとして、 化粧も、自然に近い感じで、何処をどう見ても、 これは僕では無かった。 「え? え? え? え? こ、こ、これ、僕ですか……? 先輩、着付けや化粧なんかもできるんですか? それに髪も奇麗にアップして……」 「まあ、髪は美容院のマネキン使って凄く練習したんだけど、 着付けは出来るね。 両親の仕事柄、良く見てたからね。 ま、見様見真似だけど…… お化粧は小さい時から女優さんやモデルさんに 一杯教えられたからね。 僕も小さい時は彼女らのおもちゃになってたし!」 先輩はそう言いながらテレ笑った。 「でも本当、思った通り、凄く可愛い。 要君は色が白いから化粧が映えるんだよね。 特に淡いピンク色が。 凄く綿菓子みたいにフワフワって感じだよ。 絶対だれも要君だと分からないと思うよ。 試しに裕也のカフェにもう一度行ってみようか? そしてお父さんたちと落ち合おう」 そう言って、先輩は僕の手を取った。 佐々木先輩に試しに行くのは凄く楽しみだった。 先輩がどんな反応をするのか、 想像しただけで笑いが込み上げた。 でも僕は、本当に僕だとは分からないかやっぱり心配で、 誰とも目が合わない様に、 少しうつむき加減に先輩の教室を出た。 「あれ? 矢野っち? 何、何? それ、彼女? ちょっと可愛い雰囲気があるんですけど、 ちょっと上向いて?」 そう話し掛けてきた先輩のクラスメイトが居た。 僕は少しビクッとして、 上目使いでその人を見た。 「うひゃ~! 矢野っち、誰にもなびかないと思ったら、 何この天使! こんな子隠してたら、 そりゃ誰にも目移りしないよな」 そう話し掛ける先輩を遮って、 「触らないでね。 減っちゃうから!」 と矢野先輩はふざけた様に言った。 どうやらその先輩は、 僕の髪に触れようとしているみたいだった。 その先輩もふざけた様に、 「は~ さすがの矢野っちも年貢の納め時か~ これで俺にもおこぼれ来るかな~」 と笑って言っていた。 は~、やっぱり矢野先輩もモテるんだな~ 等と思いながらその先輩を未だ見ていると、 「ほら、行くよ!」 そう言って、矢野先輩に手を引かれて 僕は佐々木先輩のカフェに再び来ていた。 佐々木先輩の教室へ行くと、 相変わらずの行列が出来ていたけど、 矢野先輩が佐々木先輩を呼んだら、 直ぐにやって来てくれた。 「僕の彼女、 紹介したくて連れてきたよ 裕也は会うの初めてだよね?」 そう矢野先輩が言うと、 佐々木先輩が僕の顔をジーっと見た。 僕は、ニコリと微笑んで、ペコリと頭を下げた。 そしたら佐々木先輩はちょっと首を傾げて、 何か考えてるような見振りをした。 すると、僕の耳元に鼻を近付けて、 スンスンし始めて、誰にも分からない様に 耳裏をペロッと舐めた後、そこに軽くキスをした。 僕はビックリして 何?  もう浮気? こんなフワフワした女の子が好みなのぉ~~ と少し引いたけど、 タジタジしている僕の耳に近ずいて、 「要だろ?」 と耳打ちして来たので、 「何故分かる! 矢野先輩絶対バレないって……」 と、熱くなった耳を両手で押さえながら呟いた。 矢野先輩、絶対僕だって分からないって言ってたのに何故?! 矢野先輩の自信に少し不信感を持った所で、 「お前な、 俺の事騙そうと思ったなら、 まずそのフェロモンを完全に消す練習から始めないとな!」 と言われ、 「!」 と思ってしまった。 矢野先輩は、 「やっぱり裕也は騙せないか~」 と悔しがっていたけど、 佐々木先輩は僕を見つめながら、 「匂いが無かったら、 分からないよ。 絶対、他の人には分からないレベルだと思う。 これで女子じゃないなんて詐欺だよな。 凄く可愛い……」 そう囁くと、 矢野先輩の方をクワッと振り向いて、 「浩二、お前、要に触るなよ! それに他の奴らにも絶対触らせるな!」 と、少しハラハラとしたように、 矢野先輩に牽制を掛けていた。 「今から、要君と校内デートしてくるから、 誰にもこれが要君だと分からなかったら、 後夜祭で裕也にバトンタッチするよ!」 そう矢野先輩に言われて、 僕も佐々木先輩もびっくりして矢野先輩を見た。 「え? バトンタッチ? バトンタッチするって……」 「うん、こうやったら、 だれも裕也の相手が要君って分からないでしょう?」 「じゃあ先輩はその為だけにこれを僕に?」 「その他に何がある? まあ、僕も少しはその恩恵にあずかるんだけどね」 そう言って矢野先輩が微笑んだ。 「え? 良いんですか? 僕、佐々木先輩と一緒に後夜祭出れる?」 矢野先輩はニコリと微笑んでコクリト頷いた後、 「裕也さえ良ければね」 と言ってウィンクをした。 佐々木先輩は当たり前だろうと言う様な顔をして、 僕と矢野先輩を見た。 僕は矢野先輩の粋な計らいに、涙が出そうになった。 言葉が詰まって、感謝の言葉も出てこなかった。 矢野先輩はやっぱり凄い! ほんとに何時も僕の事考えてくれて、 僕を一番優先してくれる。 矢野先輩は何も変わってはいなかった。 そう思うと、嬉しさで、胸が一杯だった。 「じゃあ、まずは君のお父さんとお母さんを 騙しに行こう!」 そう先輩に言われ、僕達は佐々木先輩に後でと手を振って、 待ち合わせの僕の教室へと向かって行った。

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