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第191話 初心に帰ろう

本当にお誘いが来た〜 信じられなかった。 社交辞令程度に聞いていたのに、 律儀にちゃんとお誘いが来た事に舞い上がった。 これから少しずつ僕達の失った時間を戻していけるかな? そう思うと、居てもたってもいられなかった。 本当は明日にでも飛んで行きたかった。 でもそれは無理な事は分かっている。 先輩のメッセージをもう一度見て、 『今週中は個展があるので、 来週末だったらOK』 と返事すると、間を置かずに、 『来週の土曜日の7時に予約を入れておくから、 家まで迎えに来ても良いか?』 と尋ねて来た。 え? 家に? それ無理無理。 陽ちゃんいるから絶対無理! 家に来られると陽一を見られる可能性がある。 今先輩を実家近郊に近寄らせる訳には行かない。 どこで陽一と出会うか分からない。 あの陽一の事だ。 何かを聞かれると、悪気では無いにしろ、 何でも正直にペラペラと話してしまう。 何があっても先輩が陽一に会う確率は回避しなくてはいけない。 それに家まで迎えってデートみたいじゃんと思った。 今の僕たちの距離はそんなもんじゃ無いからダメ! 奥さんに悪いからダメ! 先輩にそんな気は無くても、僕は自分を戒める必要がある。 もし僕が先走って先輩と高校生の時の様な雰囲気が戻ってきたら、 僕は絶対に流されてしまうと言う変な自信があった。 だからそれも回避し、 どうしても冷静に初めての出会いの様な関係を保つ必要があった。 僕は少し考えて、その日は朝からアトリエに居るから そこからレストランに向かうと返事した。 先輩はと言うと、 「じゃあ、アトリエに迎えにくる」 と引かない。 何故?  レストランで会えるのに 何故僕を迎えに来たいの? お母さんの言うように、 先輩が結婚してるって言うのは思い過ごしなの? 先輩は未だに僕を思っていて、 本当はシングルなの? そう言う思いが頭をよぎった。 きっと先輩に直接聞くとはっきりするのは分かってる。 でももしかしたら、何らかの状況で、 ごまかされたりする可能性も無きにしも非ずだ。 ごまかされるともう後がない。 だから直接聞くのも完全に安全な方法ではない事を今更ながら悟った。 やっぱり少しずつ先輩の懐に入り込むのが一番だ。 それまでは、駅で見た先輩の姿は封印して、 一から出直したつもりで接してみようと思った。 “全てはなるようになるさ! 全ては運命の赴くままに!” “何処にいてもきっと先輩は迎えにくる……” そう思い先輩がアトリエまで迎えに来てくれることにOKを出した。 それからの2週間は長かった。 初めての個展は大成功だったけど、 殆どは上の空だった。 ビジネスに使用を持ち込んで何をやっているだったけど、 どんなに頑張っても、佐々木先輩の事を 頭から離す事が出来なかった。 矢野先輩は僕を訝し気に見ていたけど、 佐々木先輩と会う約束をしたことは、 遂に矢野先輩には言えなかった。 そして先輩に会う前日の金曜の夜に 先輩からまた新たにラインが来た。 『明日は何時にアトリエに来るのか?』 何故そんなことが聞きたいの? 本当はアトリエに居る必要なんてない。 僕は、先輩との待ち合わせの時間 少し前にアトリエに行こうと思っていた。 『時間は決めていませんが、 何故ですか?』 そう尋ねた。 『もしよかったら、 要が絵を描くところを見に行っても良いか?」 え? アトリエに来るの? 忽ち美術部・部室で会っていた日々が甦って来た。 どうしよう? うんって言って良いのかな? 奥さん、何も思わない? あっ、ダメダメ、 僕はあの日の事は見なかった事にするって決めたんだった! 油断すると直ぐに忘れてしまう。 もう一度最初の出会いから…… もう一度最初の出会いから…… そう自分に言い聞かせて、 『もちろん、大歓迎ですよ。 じゃあ、アトリエには10時ころに着きますので、 その頃に』 そう返事をした。 先輩は一言 『ありがとう。じゃあ、明日』 と言うと、ラインを終えた。 会話的にはまだ味気ないけど、 少しずつ距離が近ずいていってるような気はする。 でもアトリエに二人きりで大丈夫だろうか? 雰囲気的としては僕たちの高校生の時にそっくりだ。 本当にそんな状況を作り出しても良いのだろうか? いや、僕たちは高校生のままでは無い。 あれから7年も経って僕たちは色々な経験を通して大人になった。 あの頃とは違うはずだ。 大丈夫、大丈夫。 きっと僕は後ろめたい思いを正当化させようとしていたんだと思う。 その日の夜は緊張で眠れなかった。 先輩に会える嬉しさと、 先輩が今でも僕の事を考えていてくれる事に喜びを感じ、 心はティーンエイジャーの様だった。 そしてその日の朝は割と早くやって来た。 朝方やっと眠りについた僕は、 少し遅めに起きると、 急いで準備にかかった。 今日のことは既に両親に相談してあり、 陽一の事は引き受けてくれるとなっていたので、 安心して出かける事ができた。 僕のウキウキとした態度が陽一には分かったのか、 「かなちゃん今日はデートなの?」 と聞かれてしまった。 全く恐るべき5歳児。 どこでデートなんて言葉を学んだんだろう? 油断していると、勝手にいろんな事を学んでいってしまう。 父親の事を本気で知りたいと思う日もそう遠くはないだろう。 それまでは佐々木先輩とのこの関係にも決着がついてると良いのだが…… そう思いながら家を出た。 家からアトリエまではそう遠くはない。 30分ほどでアトリエに着くと、 先輩はもうオフィスの前で僕が到着するのを待っていてくれた。 僕を待つ先輩の姿にドキッとした。 何が大人になったから大丈夫だ。 僕はこんなにも一瞬で高校生の頃に戻ってしまう。 彼を見ただけでこんなにも走り寄って抱きつきたくなる…… どうしよう…… 僕、本当に二人きりで大丈夫なの?! でも逃げ出そうにもう遅い…… 先輩も早速僕に気付いて大手を振っている。 先輩の笑顔が眩しすぎて逆に心が痛んだ。 「おはよう! 時間ぴったりだな」 「おはようございます。 迷わずに来れましたか?」 わずかに声が上ずる。 「ああ、全然大丈夫だった。 この辺は要の両親の家に似てるな。 緑が多いし……」 「そうですね…… 中も素敵なんですよ」 そう言いながら鍵を開けた。 「どうぞ」 そう言って先輩を中に通した。 「日当たりがいいな。 内装もクリーンな感じだし、 植物とマッチしてリラックスできる空間が良いな」 「それ、僕も一番最初に同じこと思ったんですよ! うちのインテリアコーディネーターのデザインなんですよ! 先輩も御用がある時はどうぞご贔屓に〜 それにこのソファーのパターンは僕の水彩画からなんですよ! そしてこのカーテンも!」 「あ〜 どうりで俺の視界にしっとりとくるはずだよな……」 そう言われて、グッとなった。 ソファーを撫で、カーテンを揺らす指には あの指輪が僕に確認をさせる様に光っている。 それどころか、先輩も意識して僕に指輪を見せている様な気もする。 そうでないと普通は利き手である右手で物を触るはず。 僕の知っている限りでは先輩の利き手は右手だ。 でも先輩はあえて左手で指輪が僕に見える様に角度まで意識した様にしている…… 自分は結婚しているから、自分たちはすでに 終わっているのだと牽制しているのだろうか? それとも僕に言えない何かを僕に気づいて欲しいのだろうか? とりあえず、先輩は結婚しているにしても、 していないにしても、 理由があって指輪をしている事はわかった様な気がした。

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