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第196話 堰を切った思い

アトリエに戻った後先輩は、 「レストランにこの格好は少しラフだから、 一度帰って着替えて来るよ」 と言った。 先輩をみると、Tシャツにジーンズと確かにラフだ。 高校生の時から先輩はあまり着飾ると言う事をしなかった。 背が高いせいか何を着ても似合うとは思うけど、 オシャレには興味が無いようだった。 「そしたら僕も着替えたほうがいいですか? どう言う格好が適切なレストランなんですか?」 「いや、畏まる程ではないが、 Tシャツにジーンズはな?」 先輩がそう言ったので、僕の足元を見た。 僕は紺のタイトカーキーパンツに 白いワイシャツを着ていた。 「じゃあ、僕のこの格好は大丈夫ですか?」 と尋ねると、 「ああ、カジュアル・ドレスで十分さ」 と言うことだったので、僕はここに残ることにした。 「じゃあ、僕は少し此処に残って……」 と言った時にラインの電話音が鳴った。 先輩と一緒だったのでどうしようか思ったけど、 電話の主はポールだった。 それにビデオ通話だったので、何事だろうと思った。 僕が先輩の方をチラッと見ると、 「じゃあ俺はもう行くから出てもいいぞ?」 そう先輩が言ったので、 「じゃあ、失礼します」 と言ってビデオ通話に出た。 「要く〜ん!」 ポールが何時ものような猫撫で声で僕を呼んだのがアトリエ中に響き渡った。 きっと先輩にも聞こえたのだろう。 先輩は一瞬ピクッとしたようにして立ち止まった。 「あ、ポール! 久しぶり! どうしたの?」 と進める会話を先輩は聞き耳を立てて聞いているようだった。 「要く~ん、どうしてる? 陽ちゃんは元気〜 陽ちゃんいなくなって寂しいよ〜 僕の事聞いたりしない〜?」 と言うポールに僕はビクッとして、 「ちょっと待っててポール」 そう言って先輩を伺った。 ドアのところに立ち止まったままになっていた先輩の顔はみえなかったけど、 「この後はレストランで落ち合うようにしますか?」 と僕が尋ねると、 「いや、また此処まで戻って来るよ。 車で移動した方が簡単だから」 向こうを向いたまま、 ちょっとトーンの落ちたような声でそう言うと、 先輩はドアを開けて出て行った。 「誰か来てたの?」 と言うポールの問いに、 どうしようか迷ったけど、 「うん、佐々木先輩が来てたんだ」 と正直に話した。 「え?  佐々木先輩って陽ちゃんのパパだよね? そしたら……」 ポールの顔がパーッと明るくなった。 「いや…… 実はね……」 と、先輩と僕の今の距離をポールに話して聞かせた。 勿論、既婚者疑惑も。 「え~でも、彼、要君に会いに来てるんだよね? 結婚してたら普通は堂々と会いに行けないと思うよ? それか彼の愛はまだ要君にあって、 奥さんとは政略結婚で彼女の事は別に愛してないとか?」 「うーん、分かんないし、 考えると先に進めないから、 今はその事を考えないようにして先輩と会ってる。 だから今は様子を見てみるよ」 そう言ったところで、 「要君元気?」 と、リョウさんが顔を出した。 「あ、リョウさん! 僕は元気だよ〜 リョウさんとジュリアちゃんは?」 「うん、ほら、こんなに大きくなったんだよ〜」 「凄い! お座りしてる~ 子供って成長って早いね。 もう歯は生え始めた〜?」 「まだだよ、もうすぐじゃ無いかな? もう僕の手を何時もガジガジやってるからね。 でも離乳食、食べるの上手になって来たんだよ!」 「ハハハ、可愛い頃だね~ でも髪の毛全然伸びてないね~ 頭のリボンのバンドが ジュリアちゃんの肌の色にぴったりで可愛い!」 「女の子って楽しいよ~ お洋服とかも可愛くってスッゴイ迷うんだよ!」 「凄いね~ 会いたいな~ 陽ちゃんもジュリアちゃんの事聞いてたよ~」 「陽ちゃんはジュリアの未来の旦那さんだからね」 そうポールが言うと、 「や、ポール、実を言うとね、 陽ちゃんにはもしかしたら、もういい人が居るかも……」 と、僕も束さず言った。 「え~! どこの馬の骨だ! 陽ちゃんのお嫁さんになるのはジュリアだ!」 そう言い張るポールの頭を叩いてリョウさんが、 「このバカはほっといて、 実を言うと今日はね、 クリスマスとお正月にそっちに遊びに行くからその連絡〜」 と嬉しいお知らせをくれた。 「え? 本当に? こっちくるの? あと2か月だよね?! 凄い楽しみ!」 「うん、今司さんと優さんにも連絡してね、 そしたらお家に泊まってもいいって!」 「え? 両親の処に泊まるの?」 そう言うと、ポールが、 「ほら、リョウは家族との縁を切ってるし…… 最初はホテル取るつもりだったんだけど、 それだったら自分ちに泊まりなよって優兄が……」 と教えてくれた。 お父さんもたまには役に立つな~と思った。 「そうだったね…… リョウさんの家族の事があるから 喜んでいいのかわかんないけど、凄い楽しみ〜」 「ポールの横で聞いてたけど、 今夜は佐々木先輩と食事だって?」 「そうなんだよ~  実は今から凄く緊張しててね…… 何話していいやら…… ボロ出して陽ちゃんの事口走ったらどうしよう~って思って……」 「頑張って! 要君はきっと大丈夫だよ! まあ、陽ちゃんのことがバレたら、バレた時! 大変になりそうだったら またフランスへ引っ越しておいで~」 「ハハハ、ありがとうリョウさん」 「じゃあ、要君も準備とかあるだろうから、 また日本行く頃になったら連絡するね。 今日は話せてよかったよ。 またね~」 そう言って僕は会話を終えた。 そして僕はシーンとなったあたりを見回した。 今までポールやリョウさんとワイワイと話していた事はもちろんそうだけど、 今まで此処にいた先輩の気配が消えていて、 僕は急に訪れ静けさに、 今自分は一人なんだと言う思いが込み上げて、 何とも言えない喪失感に襲われた。 見回したアトリエは勿論誰も居なく、すごく静かで、 何時もだったら仕事をするのにベストな状況なのに 今の僕の心境は違った。 “なに? これ…… 胸が苦しい…… 何で涙が出るの? 先輩…… 何処……?” 急に先輩が恋しくなった。 “もう行っちゃった?” 今夜直ぐまた会うのに、 一秒でも離れたくなかった。 “何この感情? どうして今なの? これまで何とかやって来てたのに、 どうして今なの?” 僕は急いでもういない先輩を追って外に出た。 先輩が去って優に30分は過ぎていた。 もう先輩がこの辺りに居るはずはない…… 居るはずがないのに僕は先輩の後を追いかけて ドアに向かって急いだ。 勢いよくドアを開け外に出ると 先輩がびっくりした様にして僕を見ていた。 先輩がまだそこに居たことに、 僕もびっくりした。 「あれ? 先輩?  どうしてまだここに……」 「要……」 何かを考えた様にして そこに立ち尽くす先輩の姿を見た途端、 僕は抑えていた感情が一気に流れ出した。 先輩…… 先輩…… もう見ているだけでは足りなかった。 話をするだけでは足りなかった。 先輩に触れたい…… あの大きな腕の中に戻りたい…… また先輩に愛されたい! 一気に高まった抑えきれない感情に目を閉じると、 僕は一気にに駆け寄って先輩の胸に飛び込んだ。

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