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Leon

 俺の恋人の脳ミソは下半身に移動した。  レオはイタリア人の母親と日本人の父親を持つハーフで、モデルをしている。抜群に整った顔と、素晴らしいプロポーション。  だが、過激なファンに薬品をかけられ、顔に酷い火傷を負ってからは、仕事が激減。半年前には辞めてしまった。今は莫大な貯金を切り崩して俺のマンションで生活している。  仕事を終えて部屋に戻ると、玄関に見たことのない靴がある。 「今日は女か……」  仕事を辞めてからレオはかなり堂々と浮気するようになった。女や男を連れ込み、抱いたり抱かれたり。性生活は充実しているようで、レオからはいつも淫らなにおいがする。  最初のうちは責めたりもしたが、何度も繰り返される浮気に辟易して最近は無視している。  そもそも、こんな関係で恋人と言えるのかが謎だ。  関係の発端が発端なだけに疑問が残る。  俺もモデル業をしていて、レオほどの売れっ子ではないが食っていけるくらいには稼いでいた。事務所に共演の話が持ちかけられ、最初は名前を売るチャンス、くらいにしか考えず喜んで引き受けた。撮影はレオのこだわりで長引いたものの、そのお陰で素晴らしいできになり、何故か気づけばレオとホテルに行く流れになっていた。  あのレオを抱ける。そう思ったら相手が男だとかなんだとかその辺りは些末なことに思えて……。体の相性がいいから、とレオに迫られ、ずるずるとセフレを続ける羽目になり、このままではよくないと思い、俺から恋人になろうと持ちかけたのだ。返事は「わかった」とだけ。  改めて考えると、レオは好きな時にセックスできる相手がほしかっただけのような気がする。同棲にもすぐ承諾してくれた。  俺はリビングに横になる。静かなままだと寝室の音が聞こえてくるのでテレビをつけた。最近はここが俺の寝室だ。世間体を考え、部屋は関係を疑われないよう広めのところを借りたが、ベッドはひとつしか買ってない。  そのベッドを堂々と浮気で使っている。  俺が悪かったのだろうか。  顔の半分が爛れて、移植でなんとか目立たなくなったが、それでも、鼻や、唇の形が崩れ……。元々ストイック過ぎるところが反感を買っていたこともあり、被害者でありながら週刊誌やメディアには「自慢の顔の崩壊」などと心ない言葉で叩かれまくった。セックスなんて考えられるわけがなかった。  だけど、当の本人は違ったらしく、事務所を辞めてしばらくすると男を連れ込んだ。  ベッドで、知らない男に抱かれて喘ぐレオを初めて見た時の衝撃は忘れられない。  何度叱りつけても、セックス相手を連れ込むレオ。  モデルという肩書きがなくなり、性欲が爆発したのだろう。元々、気持ちいいことが好きな男だった。  大音量でテレビを垂れ流しにしていると、玄関のドアの音がした。女が帰ったらしい。  しばらくして、ペタペタと足音がした。レオだ。  こっちへ来るらしく、足音が近づいてくる。寝たふりを決め込む。 「古賀……?」  俺を呼ぶ。 「寝てんのか」  寝てない。  呑気なレオに苛々する。  テレビを消され、部屋が静かになる。  レオが足音を忍ばせ、俺の前にくる。セックスした後のにおいがして殴り飛ばしたくなった。  さっさとシャワーを浴びに行けよと思って寝たふりを続け、しばらくしてレオは立ち去った。  バスルームに入る音を聞いて、俺はそのまま眠った。 *  物心ついた時から、俺は容姿以外、誉められたことがなかった。カメラの前に立つ時も、両親と話をしていても。俺の長所は整った顔と、すらりとした腕に長い脚だけ。  恋人ができても、好かれるのは容姿だけ。  俺という人格はいらないオプションだった。 「レオって見た目と中身、違うのな」  ある撮影で一緒になったモデル。顔立ちは普通だが、雰囲気のある男だった。  何万回も共演者に言われてきた言葉。  ではなかった。 「やっぱ、あんたくらい売れるにはこだわりをもたないとな。あんたみたいにカメラマンにぐいぐい行くには、写真も勉強しなくちゃだし」 「……嫌味?」 「え、違う違う! そう聞こえたならごめんて。単純にスゲーって思っただけ。見てくれだけじゃないんだなって」  そんなことを言ってくれたのは古賀が初めてだった。  レオとの共演者は撮影が長引くと文句しか言わない。見た目がいいのだから、黙って撮られておけばいいとか。  だが、そんな姿勢でいいものができるとは思わない。  周りとの軋轢は承知の上で、レオは口を出してきた。自分にはそれをするだけの知識も価値もあった。  認めたくないやつは勝手にすればいい。  孤立しても構わない。だって、誰も俺の見た目しか認めていないのだから。  古賀に出会うまでは、ずっとそうだった。  あの瞬間。あの言葉。古賀を好きになった理由の全てが詰まっている。  人間はこんなに深く一人の相手を愛してしまうものなのか、怖くなるくらい古賀を好きだった。  古賀に好きになってほしかった。中身までとは言わない。それはもう、あの言葉だけで十分だった。だから、あとは幻滅されないよう、俺が生まれながらに携えてきた長所を駆使するしかなかった。  だから、セックスした。  プライベートで会えば、ホテルに行った。  何億回と繰り返されてきた容姿への称賛も、古賀の口から紡がれるだけで特別なものに変わった。  初めて自分の容姿を、自分自身を好きになった。  こんなに満たされたことはなかった……のに。  リビングのソファーで眠る古賀の寝顔。  久しぶりにこんなに近くで見た。  起きないうちに退散してバスルームに向かう。  この部屋には鏡がない。俺がヒスになって、全部叩き壊したからだ。でも、そんなことをしても、自分の手で頬や鼻に触れれば顔の形がわかる。  こんなの、別人だ。俺じゃない。  仕事も辞めてしまった。耐えられなかった。何をどうやっても、元の俺には戻れない。この姿を残したくなかった。  古賀は、そばにいてくれる。今はまだ、そばにいてくれる。俺がかわいそうだからだ。入院してから、古賀の同情を誘うようなことばかりしてきた。  薬品をかけられた瞬間から、わかっていた。考えないようにしていただけで、俺の俺としての価値がなくなったことを、焼けつくような痛みと一緒にちゃんと理解していた。  あの日の古賀は単純に俺の仕事ぶりをほめただけ。下心なんてなかった。そこに俺が無理やり焚き付けた。レオというブランドと、自慢の顔と体を使って。  古賀は惚れていた。同じ部屋に住もうと言ってくれるくらい。飽きもせずセックスするくらい。古賀は、俺じゃなく、レオに惚れていた。わかっていた。考えないようにしていただけで。  それでもいいから……そう思ってしまった俺が馬鹿だったんだ。いいわけがないのに。  でも、だって、まさか誰かに容姿を奪われるなんて。そんな可能性、一体誰が考えるだろう。レオでいるかぎり、古賀とずっと一緒にいられる。俺の頭にはそれしかなかった。  だから、終わったと思った。退院して、待てど暮らせど求められなくなり、終わったと思った。  そばにはいてくれるが、それだけ。今はそばにいてくれるが、じきに別れが来る。  同情でもいいからそばにいてと思いながら、早く止めを刺してほしいとも思わずにはいられなかった。  毎日、傷が痛くて、胸が苦しくて、古賀を見るたび無性に苛立って。  いつの間にか捨てられる日を怯えて待つようになった。古賀に優しく声をかけられるたび死刑が延期されたような、生きていることに耐えられないほどの苦痛を感じて癇癪を起こした。最低な八つ当たりだ。  でも、これだけ暴れたらきっとこの恋を終わらせてもらえる。これだけ醜態をさらせばきっと……そう、もうすぐ……今すぐ……。  古賀に手を上げた。物に当たり、一日中叫び。  そして男を呼んだ。大金を払って口止めをして。間違っても俺との関係が明るみにでないように。古賀の不利にならないように。  これにはさすがの古賀も頭に来たらしい。  男を追い出した後、頬を打たれた。そして、古賀が叫ぶ。 「っなんで浮気なんか……!」  俺は全身がびりびりと痺れるよう感覚を味わった。  浮気。 「こんなこと、二度とするな。頼むから」  俺は浮気をしたのか、と思った。  古賀はまだ俺とつき合っている。恋人でいてくれている。それを久々に実感できた瞬間だった。  そしてわかった。誰かを連れ込めば、浮気を咎めてもらえる、と。恋人だと言ってもらえる。その嬉しさから、俺はつい、何度も男を呼び、古賀の反応が薄れたら抱けもしないのに女を呼んだ。初めて女を呼んだ時はこの世の終わりみたいな顔で「頼む」とか「どうして」を繰り返してきて、とてつもない充足感を味わえた。それなのに、今は。  シャワーを浴びながら一人で泣いた。 * 「古賀くん、元気?」  撮影終わり。モデル仲間の結実が声をかけてきた。 「最近、酷い顔だよ」 「……ん。寝不足でさ」  古賀の様子はおかしくなる一方だった。浮気だけならまだしも、最近は食べないし、怒鳴ると言い返してこない代わりに泣く。それも、ボロボロ涙をこぼすというよりは、呆然として涙だけ出ている。明らかにおかしい。目を合わせようとすると激しく抵抗する。髪もぼさぼさで、風呂に入っても乾かさないらしく、ここ二、三日はフケまで出始める始末。  医者に見せた方がいいか悩んでいるが、外には出たがらない。家に呼ぶしかないが、勝手にそんなことをしたら大暴れするだろう。痩せても背が高く、リーチがあるので暴れられると苦労する。  金ばかりあるから浮気はするし、最悪だ。  そう思ったら目頭が熱くなってきて、慌てて袖でおさえた。 「かなりしんどそうだけど……。ご飯とか行く? 話聞くよ?」 「言えない……ごめん」  もしも。  もしもまた、レオがやる気を出してカムバックしたら。  結実を信じていないわけではない。ただ、どこに耳や目があるかわからない以上、迂闊なことはできない。  結実が「じゃあ、ご飯だけ」と俺の肩を叩く。  あまり遅くなると最近のレオは心配だが、食事くらいならいいだろう。一時間か、そこら帰るのが遅れるだけ。別にレオと約束をしていたわけでもない。  結実と食事をしてから帰ると、レオはソファーで寝ていた。髪を乾かしていない。元々、少し横着するところがあった。そういう時は俺が乾かしてやっていたことを思い出す。  気分転換のおかげか、寝こけているレオを見てもそれほど腹が立たない。  ドライヤーを持ってきて乾かしてやることにした。  スイッチを入れると、音がうるさかったのか寝返りを打つが起きる様子はない。  指でとかしながら髪を乾かしてやる。  打つ以外で久しぶりに触った気がする。フケを払い、髪を乾かし終える頃、レオが目を開けた。  暴れるだろうか。少し身構えたが、うとうとしたまま大人しくしている。  ドライヤーを止めると「終わりか」とレオが呟く。 「乾いたよ」  レオはムクリと起きる。そのまま部屋へ行くのかと思ったら、自然な流れでキスされた。触れるだけのキスだ。  は? と思った。それ以上に興奮して、レオを押し倒して唇を奪った。舌を絡めても抵抗しない。 「っは……ん。古賀……」  まるで昔に戻ったみたいだった。  キスをしながら、レオを抱いた。  かわいかった。久しぶりに心からそう思った。  レオが俺を見ている。目が合うだけで興奮する。 「好きだ……レオ、好きだ」  口にして確信する。やっぱりレオが好きだ。棒役でもいい。体の相性がよくてつき合い始めた関係だ。恋人じゃなくて、レオがそういう関係を望むなら、俺もそれでいい。  だから、こっちを見てくれ。 「っ……どこ、が」  急にレオが痛みに耐えるように顔を歪める。 「レオ……?」 「俺の、どこが……こんな……っ」  自分の顔を爪で引っ掻くように触る。噛んでボロボロの爪で掻かれた皮膚が赤くなった。 「レオが好きだ」  顔を抉ろうとする手を上から握る。 「暴れて、鏡を割って、浮気する。俺はそんなあんたを好きなんだ」 「っやめろ、違う……そんなの、違う……違う……!」  レオが暴れた。一旦、中から抜くと、ぴたりと動きが止まる。俺を見て目を見開き、瞳を潤ませた。そして我にかえったように腕の中から逃げ出す。  逃がすものかと細くなった手首を掴む。 「レオ」 「やめろ、放せ!」 「放さない。何が違うのか言えよっ」 「う、うるさい! うるさい! 黙れ!」 「レオっ」 「ーー俺をレオって呼ぶなあっ!」  無理にレオが腕を振りほどこうとする。あっと思った時には手を離すタイミングが遅れた。掴んでいた手首がゴキッと嫌な音を立て、レオが顔を歪める。 「っ痛……!」  折れたと思った。  慌てて手を差し出すと「来るな!」と青い顔で怒鳴る。 「今は喧嘩してる場合じゃ……病院行かないと」 「絶対に行かない!」 「変な意地張ってる場合か。手が動かなくなったらどうするんだよ」 「お前には関係ないだろ……!」 「っいい加減にしろ、レオン!」  名前を呼んで怒鳴り付けると、広い肩をビクつかせた。 「救急車呼ばれたくなかったら俺の車で病院に行くぞ」  少しの沈黙の後、レオが黙ってうなずくのを見て、俺は夜でもやってる整形外科に電話した。雑誌で手首を固定してレオを車に乗せて病院に向かう。  病院につくまでレオは何も話さなかった。手も痛いだろうに呻きもしない。  病院につくと治療は固定だけですんだ。ポッキリ折れていたが、骨のずれなどはなく、一ヵ月と少しで治るだろうと言われた。ただし、ちゃんと食事をすれば、と。  医者は俺の暴行を疑ったようだが、ずっと黙っていたレオが「俺、顔怪我してから不安定で……」と話し出し、手首は事故だったと説明した。  その話を信じてもらえて無事、病院から出られた。 「レオ。ありがとう、説明してくれて」 「……暴れたの、俺だからな」 「いや、俺もむきになって強く掴んだから」 「何で俺と別れないんだ」  駐車場まで来て、急に話が変わった。  レオは俺の方を見ない。 「か、顔……こんななんだぞ、手も体もケロイドで気持ち悪いし……痩せて、筋肉もない」 「いや、ちょっと、それよりでかい問題あるでしょ」  レオが口元に手を当てる。考え込む時の癖だ。 「まじでわからないの?」 「わからない」 「う、わ、き!」  驚いたのかレオが顔を上げた。 「お前、もう感心なかっただろ。男でも女でも」 「あるから!」 「嘘だ。最近は全く無反応だった」 「それは怒っても止めないあんたが悪い。無駄かと思って無視してただけだから」 「う、嘘だ」 「嘘じゃないって」 「違うっ、違う……」  顔をおさえしゃがみこんでしまう。 「じゃあ、どうしたいの」  俺もとなりにしゃがんだ。 「レオの言うこと聞くから……」  また錯乱したらどうしよう。  そう心配したが杞憂に終わった。  レオがうつむいたままぼそりと言う。 「レオンって呼べ」 「わかった。あとは?」 「風呂の後のドライヤー」 「いいよ。他は?」  尋ねると、うつ向いていた顔をあげる。  目が合った。誘われるように唇を重ねる。  唇を触れ合わせたままレオンが囁く。 「愛して」  泣きながらそう囁く恋人が愛しかった。  その日からレオンは少しずつ、本来の姿を取り戻していった。骨がくっつく頃には全盛期ほどではないにしろ、体重も戻り、本を出す計画を立てている。  急に暴れることも、泣き出すこともなくなった。  見知らぬ男や女が出入りすることもない。  仕事を終えてマンションに戻ると、レオンが夕食を用意して待っていてくれる。厳密には自伝を執筆しながら。少し読ませてもらって、彼のことをほんの少しだけだが、理解できた気がする。  モデルのレオではなく、一人の男のレオンとして愛してほしいと言葉にできずにもがいていた不器用な俺の恋人。もうずいぶん前から俺はちゃんと、この横柄な男を好きだった。それを伝え損ねていたらしい。  一緒に食事をして、キスをして、別々にシャワーを浴びる。バスルームには鏡が戻り、生活しやすくなった。  レオンの髪を乾かし、買い換えたベッドに一緒に入り、またキスをする。  ギプスは今日外れた。  手を繋ぎ、お互い急くように体を繋げる。  挿入すると手で顔を隠した。俺は腰は動かさずに、その手にキスをして何度も「レオン」と呼んだ。 END

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