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肉まんと小林
「小林くん大丈夫? 顔色悪いし今日はもう帰っていいよ。病院行ってきなさい」
PC前でぼんやりとしていた俺に声をかけたのは、上司だ。
ごほごほ、と咳き込んだ俺はマスクをしていて心底良かったと思いながら「すみません」と頭を下げる。
じつは昨日から咳と鼻水が止まらず、風邪なのかそれとも早すぎる花粉なのか判断できないと思っていたけど、今朝妙な関節痛を感じてこれはマズイな、と思ってはいた。でも繁忙期の今、急な欠勤は会社に迷惑かかるだろうし、一日我慢すれば熱くらいすぐ下がるだろうと出勤したのだ。
ラッシュに揉まれ、だるい身体を引きずって会社に着き、業務を開始して数時間。段々と思考がぼんやりとし始め画面が歪んで見えるようになったあたりで一体自分が何をしているのかまったくわからなくなった。
ぐるぐるしはじめた視界に「?」を飛ばしながらなんとか解読しようと凝視していると、普段から気遣いの細かい上司が声をかけてくれた。ありがたい反面、早退を促されるなんて端から見てもよっぽどなのかと反省する。
同僚や周囲にぺこぺこ頭を下げながら、ふらつく身体を叱咤して今朝通った道を戻る。マスク下から籠もる自分の息が熱い。背筋を襲う悪寒はきっと、この冬の寒さだけじゃないはずだ。
病院に行かなきゃ……。
揺れる電車の中でそう考えていたのは覚えている。最寄り駅の近くの内科に。あそこにいって診察してもらって、薬ももらおう。
見慣れた自宅マンションが視界に入れば、色々と気が緩んだらしい。
オートロックを開けてロビーに入った瞬間、つま先を引っかけて盛大に転んだ。
咄嗟に手を出す力も無くそのまま顔面からつっこむ、と覚悟した俺の額に、次にはボヨン、とした感触がして「……へ?」と妙な声が出た。
いくら高熱で朦朧としていても痛みくらいはあるはず。なのに俺の顔面は無傷で、むしろ柔らかい何かに助けられたようだ。手を伸ばして触れば、なんだか冷たくて気持ちいい。
ぷにぷにしてる。ひんやりとして、弾力があって、でも硬すぎずやわらかい。
なんだろうこれ、とゆっくりと身を起こせばでっかい肉まんが落ちていた。
「……肉まん?」
肉まんにしては透明だしロビーの床タイルが透けて見えてるけど。
「幻覚か……」
でもなんだかその透明な肉まんを手放すのは惜しいと思って、俺はちょうど顔面サイズくらいの肉まんを抱えて自宅へと急いだ。
だってこれ、熱冷ましにちょうどよさそうだし。
あとから思えばこのとき既に高熱で脳みそがやられてたんだと思う。
その後帰宅した俺はとにかく体力も限界でスーツを脱ぎ捨ててさっさと布団に潜り込んで気絶するように眠ったのだ。
「おい。おい」
(……なんだ?)
「気温が下がりすぎてる。暖房はないのか」
(だれだ)
「ぶるぶる震えてるだろ、暖房のスイッチは……これか? くそ、固まって中々……」
(うるさいなぁ)
ぶつぶつ聞こえる男の声に、なにかが動き回る音。
一人暮らしの俺の部屋には他の誰かがいるはずもない。
「ちょ、これボタンが小さすぎて押せない。おい貴様、これを押せ、押すのだ」
頭がガンガンと痛くて、でも何かの気配がしたような気がして、俺はうっすら目を開けた。
カーテンの隙間から外の光が差し込んでいる。夕暮れ、だろうか。ぐるりと見渡せば薄暗い見慣れた自分の部屋。
布団から出ている頬を撫でたのは冷え切った室温の冷たさだった。
たしかに、寒い。
ベッド脇のテーブルにあるエアコンのリモコンに腕を伸ばし、スイッチを押す。
全身の節々が痛くて、とにかく悪寒がひどかった。さっき買ってきたコンビニ袋へ腕を伸ばして探り当て、ペットボトルを掴む。
そういえば、薬も貰ったんだっけ……。
起き上がり、帰りに寄った内科で処方してもらった薬を思い出し、なんとか取り出して胃に流し込んだ。
あ、チョコレートも買ったんだ。いつもの癖で買ってきたけど全然食べたくない。でも胃に何か入れておかないと治るものも治らないし、かといって今は動けそうにもないし、これで我慢するか。
「それはチョコレートォォォ!」
「ひいっ!」
チョコレートの包みをのろのろ開けていた俺の手元へ丸い何かが突撃してきたのはそのときだ。
ぼよん、とした感触が手の甲にして、驚いて思いっきり振り払ってしまった。反動でそれは正面にあるテレビの画面にぶち当たり、跳ね返って床に転がった。
「……っ」
心臓が死にそうなくらいドキドキしている。
一気に思考が明瞭になり、背中に熱とは違う嫌な汗が流れていった。
だって今、声がした。
明らかに、男の……。
「貴様! 私になにをする!」
床に転がった透明の物体が、勝手に動いた。少し大きめのボールのような肉まんのような、妙なかたちをした……。
「……透明の、肉まん」
「誰が肉まんだ! 私はM94系グループのヤコイワ星からやってきたヒレイヤ・デイレイである!」
肉まんから声がする。若い男の声だ。そいつはなぜか名乗って、俺に向き直った。
よく見ると漫画みたいな目と口がついている。
「……変な幻覚だな」
そこまでやばい風邪だったのか? と思いながらひとまずもう一度布団に潜り込もうとして、握りしめてたチョコレートを見遣る。
「頼む、それをくれないか。腹が減って死にそうなんだ」
「いいよ。全部食べていい」
どうせ幻覚だし、ってそいつにチョコレートをぽいとなげてやった。完全に出来心だったけど、それは綺麗にそいつの口の中に潜り込んで透明の肉まんがもぐもぐと咀嚼している。
「……」
横になりながら、そのさまをじっと見ていた。透明のそいつに消えていったチョコレートは粉々になり、身体の中心部へゆっくりと動いて……そうして突如消えていった。まるでそこから先が異次元に繋がっているかのように。
「……早く治さなきゃな」
妙に冷静な気分になりながら、目を閉じる。
「ちょ、おまえ、これ剥いてくれ。私の身体じゃこんな小さな包み紙みたいなものは剥けないのだ」
「……でもきみ、スライムだろ。ぷにぷにしてるし自在に身体を伸ばしたり縮めたりできるだろ」
俺に頼るなよ、と言えば「見た目で判断するな! 私は気温が下がると固まって動けなくなるのだ!」と叫んでいた。
やけに細かい設定の幻覚だ。
このまま俺、死ぬのかな。と思いながら目を閉じる。
ああ会社、大丈夫かな。引き継ぎとか……。
それからどれくらい経っただろう。
次に目を覚ましたとき、額と目元がひんやりと冷たくて気持ちよく、そしてなにかがのっけられてる感触がして手を伸ばした。俺の風邪に気付いた母か恋人が看病でもしているのか、と思ったけれど母親は他界しているし俺に彼女はいなかった。かなしい。
「お、目が覚めたようだな。貴様の目覚めを待ってやっていたのだ。チョコレートを開けてくれ」
目元から声がして、俺はまさかな、と笑った。
「まさかな、夢だろ」
「夢なものか。大体私の身体をべたべた触りながら言う台詞か」
目元の感触を確かめていた俺は手を止めた。透明な肉まんはぷにぷにでひんやりとしているがその声を出して喋る度にプルプルと震えていた。
「……いやいや、おかしいよね」
先程より大分身体が楽になっていたので、むくりと起き上がる。熱はもうなさそうだ。
急に起き上がった俺の額から、透明な肉まんがブルンと膝元に転がった。顔面を布団に突っ込んだらしいそいつは、うねうねと蠢きながら器用に身体を持ち上げて俺の方を向いた。
「もっと優しく扱え、貴様のような俊敏性はないのだぞ!」
「嘘、これって本当に幻覚じゃないの?」
きり、とした青い目、それに口のような形。全体的に透明だが瞳の部分だけ濃い青色をしていた。
その目が睨むようにして俺を見ている。
「さっきからそうだと言っているだろう! 安心しろ、貴様は高熱でおかしくなったわけではない。まあ驚くのは無理もないだろう。そもそも私の船が故障したのがすべての発端だ」
肉まんはそう言って、唖然としている俺にぺらぺらと続ける。
「先程も言ったが私の名はヒレイヤ・デイレイ。ここの言葉で言い換えれば所謂宇宙人である。私からすれば貴様が宇宙人なわけだが、まあ今は母星にいないので致し方あるまい」
「ひれいや……? 可愛くない。肉まんの方が可愛い」
「無礼者! そもそも私にかわいさなど望むな!」
「でも、こんなかたちしてたら可愛い方がいいと思う」
必死に俺に喋る肉まんを見ていると、なんだかすべてがどうでもよくなってしまって、俺はツンツンと肉まんをつついた。「やめ、やめろ!」その度に嫌そうな表情をしながらもがく肉まんを見ていると楽しくなって、しばらくそうして遊んでみる。
「きみ、某有名ゲームのキャラに似てるなぁ」
「そいつは私の仲間からヒントを得たのだ!」
「冗談言うなよ」
「真実だぞ!」
へえ、と言いながら思わず両手で肉まんを抱え上げて電気にかざす。
肉まんは確かにスライムみたいに柔らかいけどしっかりとした弾力もあり少なくとも溶けそうな心配はない。
ひとしきりどんな仕組みなのかくまなく観察したあと、俺は肉まんをテーブルに下ろした。うん、半透明の所謂ゼリーみたいな見た目ってだけであとは全然わからん。
テーブルに散乱していたチョコレートを見て、思い出す。
「そういえば、チョコレート好きなの?」
一つ一つ包んであるチョコレート。俺が寝てる間にずいぶん奮闘したのかあちこち散らばっていて、包み紙も所々破れていたが、綺麗には剥けなかったようだ。
「そうだ! 私がこの星で食べられるのはそのチョコレートと、せ……っ」
「せ?」
「せ……っ、いやなんでもない! とにかく貴様が一個しかくれなかったから腹が減って死にそうなんだ、もっと開けてくれ!」
「ふうん」
肉まんがプルプルしながらチョコレートを必死に掴もうとするのを不憫に思い、言われた通り包み紙を剥がしてやる。なぜか大口を開けて待っている肉まんに、無意識にチョコを運んでやった。
パキポキ、とチョコの割れる音がする。半透明の口内に砕けて小さくなるチョコが丸見えだ。
「……歯とかどうなってんの? ああ、そうやって形状を変えるのか」
「もっとだ、もっと!」
「はいはい。……飲み込んだのは真ん中に行くけど、胃袋は見当たらないし……あ、消えた。この先が胃袋? ていうか内臓あるの?」
「ええい、観察するな!」
むしゃむしゃ食べる肉まんの口にひたすらチョコレートを与えながら言えば、肉まんが抗議してきた。けど、これをじっと見るなって無理だろ。
「宇宙人だとかなんだとか言ってたな」
「む、ようやく信じたか」
「ん~、信じたって言うか、自分の頭を信用しなくなったっていうか」
正直、一人暮らしで恋人も友達付き合いもなくてとうとう自分が狂って妄想の生物を作り上げている、と思った方がまだ素直に頷ける。だからこれが夢が現実かなんて考えるだけ無駄な気がした。
だってもう肉まんはこうして目の前にいるし喋ってるし。
「なにをふざけたことを。私は地球に船でやってきたんだが、帰還しようとしたときに手違いがあってな、故障したんだ、船が。決してわざとではなく」
「はーん、きみ、船壊したんだ?」
「ば、馬鹿言うな、ちょっとした手違いだ! まあそれで、仲間達に部品の調達を頼んでいるんだがまだ時間かかりそうでな。そうこうしているうちに食糧も尽きた。だから私は食べられるものを探していてそこで貴様が……」
「風邪ひいてフラフラのリーマンが、チョコレート持ってるぞって?」
「人聞きの悪い! 私は貴様を助けてやったんだぞ! 転んだ瞬間を守ってやった!」
「なるほど、たしかに助けられた」
その節はどうもお世話になりました。と頭を下げれば、もぐもぐとチョコを食べる肉まんが満足そうにブルンと身体を震わせた。
「礼なら船が直るまでここに置いてくれるだけでいいぞ」
「うーん、まあ俺の妄想だしそうなるだろうな。いいよ」
どうせこれはうまくいけば明日にはいなくなる幻覚だろう。そう思った俺は深く考えず、頷いたのだ。
けれど次の日になっても、肉まんはそこにいた。
「肉まん……寒いの苦手なのか?」
しかもなぜか俺の布団にくるまって、隣で寝ていたらしい。けたたましく鳴るアラームを切ると「耳が潰れるかと思った……」なんてぼやいている。
耳なんてどこにあるんだ。
「長引く幻覚だなぁ」
「無駄な悪あがきはよせ。貴様、もしかしてもう仕事に行くつもりなのか?」
「うん? まあ、熱下がったし、咳と鼻水はなんとかなるし、動けるならさすがに休むわけにはいかない」
「馬鹿か、昨日あれだけフラフラになってたんだぞ、ぶり返してもおかしくない」
「……きみ、大事に育てられてたんだろうなぁ」
「常識だ!」
なるほど、肉まんの星は人類の住むここより遙かに進んでいるに違いない。
うんうん頷きながら起き上がって、ふらっと目の前が暗くなる。あ、立ちくらみみたいな……。
「ほらみろ、私は嘘をつかないぞ」
「ご飯食べてなかったしね……」
「わ、私がチョコレートを全部食べ尽くしたからか?!」
「いやさすがにカップ麺くらいはあるよ」
昨日は単純に食欲なんてなかっただけ。言いながら今度はゆっくり立ち上がって、やっぱり念のため今日も休もうと考え直す。肉まんの言うとおり、俺は風邪を甘く見過ぎていたのだ。そのせいで早退までしている。
これ以上こじらせて迷惑かけるわけにはいかない。使ってなかった有給もあることだしあとで上司に連絡しよ。
思えばここ最近ずっと働きづめだった。恋人なんて数年いないし、休日どこかへ出掛けることもしない。元々数少ない友人もこの歳になれば自然と疎遠になって、飲みに出掛けることもなくなった。
まだ二十七歳なのに色々枯れてないか?
しかも久しぶりに自宅に他の誰かがいるのに、その相手が謎の物体なんて、なんかもう終わってる気がする。寂しすぎて脳内妄想が進化したのかな。
それにしてはスライムなんて、あんまり俺の趣味じゃないけど。
「……貴様、今失礼なこと考えただろ! 私にはわかるぞ」
ベッド横でぼーっと肉まんを見下ろしていたら、くわ、とした目つきで肉まんが叫んできたのでやっぱり宇宙人てテレパシーできるんだなって感心する。
「ところでシャワー浴びてこよ……なんかすごく汗かいたし……」
「その前に暖房を、暖房をつけていけ!」
「ん? ああ、寒いの駄目なんだっけ。なんでだよ、哺乳類でもないくせに」
「地球の常識で語るんじゃない! 大体私がこんなにノロマになるのもここの寒さのせいで……って聞けえ!」
いくら一人が寂しかったからって、朝からあまりにもうるさすぎるんだよな。
タオルと下着を準備した俺は仕方なくエアコンのスイッチを押して、肉まんを置いて浴室へと向かった。
気持ちよくシャワーを浴びていると、途中から久々に湯船に入りたくなったので浴槽に入りながらシャワーでお湯をためることにした。
その途中でドンドンと風呂のドアが揺れて心臓が止まるかと思った。
磨りガラスの向こうは誰もいないし、恐怖体験かと身構えたけど「おい、開けろ!」と下の方で声がして肉まんの存在を思い出した。
「ていうかなんで風呂まで来るの」
バクバクしている心臓を抑えながら外からドアをガタガタされ続けるのも嫌なので、開けてやる。床にいた肉まんが「これだ……これを求めていた……」となにやら呟いていて首を傾げる。
とりあえず肉まんを持ち上げて浴室内に入れてやる。濡れた床の上に置かれた肉まんは、寒さでさっさと浴槽に入った俺に向かって大声を張り上げた。
「私もそこに入れてくれ!」
「え、やだよ」
スライムをお湯にドボンとか正気の沙汰じゃないだろ。そう思って即答したのに、肉まんは俺の答えに激怒したのかぶるぶる身体を震わせながら「すぐに入れろ! 私が硬くなる原因は寒さと湿度だ! だが暖かく高湿度のここなら母なる星と一緒であるからこの呪縛から逃れられる!」と叫んだ。
「うるさいなあ」
わめき立てるその声にうんざりして、俺はシャワーを肉まんにかぶせてやった。入れるにしたってこいつ外に転がってたし汚れてるだろ。ていうか俺の布団にそれで入ってたのか。遠慮くらいしろ。
ザーっと上からシャワーを流してやりながらなんだか大人しくなった肉まんを観察する。
気持ちいいのかな。ちょっとだけ蠢いてる。
なんて暢気に浴槽の縁に腕と顎を預けて観察していた俺は、次の変化に目を丸くした。
肉まんが、徐々に平べったくなっていく。グネグネとうごめき、面積を広げては縮め、時折噴水のように上に伸びたり横に伸びたり。
明らかに元の質量より多くなった気がするその姿を、俺は茫然と眺めていた。
だって見る見る間に肉まんが、手足をつけて胴体のかたちになり、首をつけて顔が……。
「ぎゃあああああ!」
「ぶっ! おいシャワーをどけろ!」
あっという間に人間のような形になった半透明のそれに、絶叫して顔面シャワーを浴びせてしまう。
だが肉まんはもう肉まんではない。そのすらっとした腕を伸ばし、半透明の手で俺からシャワーを取り上げたのだ。
「ななななんで、なにが、なんでなにがなんか……っ!」
「落ち着け! そうか、これが足りなかったか」
人の形になった半透明のそれから肉まんの声がする。俺からシャワーを取り上げて、次にそれは肌色に変化して……。
「いやぁぁぁ! 気持ち悪い!」
再度絶叫した俺に罪は無いと思いたい。
だって顔面サイズほどの肉まんだったスライムが、ものの見事に素っ裸の男に変化したのだ。しかも髪の毛も忠実に再現していて、ただその見た目からして全部スライムだろうっていうのがわかる素材だけど。
「ち、ちんちんもある……っ」
驚いて思わず浴槽で棒立ちになっていた俺は、人の形になった肉まんをまじまじと見つめて、股間部分に目が釘付けになった。
ぼろん、て外国人サイズの肌色のそれがご丁寧にもしっかりと……。
「つるつるだし!」
「失礼な奴だな! 生殖器は貴様同様、私にもある!」
言われてぽかんとしながら俺は肉まんを見上げた。
まて、なんで俺より背が高い。なんかむかつく。
でも髪の毛の部分と目だけが青いし、その色は人類と違うものであると一目でわかほどの鮮やかさだ。身体だって肌色だけどきっと触ったらぷにぷにしているはず。
「……どういうこと?」
「元々我々は多かれ少なかれ変幻自在の種族だ。だがそれには色々と条件がある。今その条件を満たしたのがこの場所だというだけで、私の本来の姿があのままだと思って貰っては困る。しかもこの姿は貴様を思って象ってやったのに、なんだその反応は!」
「……えーとよくわからんけど、つまり肉まんは風呂場だとこの姿になれるってこと?」
「そうだ」
ザー、と流れ出るシャワーの音をBGMに、俺はそのまましばらく固まって、唾を飲み込んだ。
昨日から続く幻覚が段々とひどくなっている気がする。
病み上がりのせいか腰に力が入らず、ふらふらと浴槽の中にしゃがみ込む。ついでに肉まんが持っているシャワーを取り上げて、お湯を足すのも忘れない。
「……ていうか変幻自在ならせめて女の子の形になってくれ」
しゃがみ込んだ俺の目の前に、立派な肉まんの男が垂れ下がっているのを見て、思わず顔を背けながら呟いてしまった。
なのに俺の言葉を聞いた肉まんは眉をひそめて、「なにを言っている。我々は人型になれば皆この姿だ」と返答したので俺の夢は早くも崩れ去った。
「きみら、女の子がいないの……」
「雌雄の概念を地球に合わせるならば、いないな」
「でも生殖器はあるって……」
「皆同じ生殖器だ。凹はない」
「的確な表現ですね! じゃあどうやって子供作るんだよ」
「子種に子種をかけるだけで子はできる」
「こだねにこだねにこが……早口言葉か!」
意味わからんし、それってなんか悲しくないか!
「ところで頼みがある」
混乱でなにがなんだかわからなくなってる俺に、妙に真剣な声音で肉まんが言った。
ん? と股間を見ないようにして見上げた俺の視界には成人男性を象った肉まんがいる。ぷるぷるでつるつるだろうが、顔はどこぞの俳優のように無駄に格好いい。
これはオリジナルか。なぜイケメンにした。
「貴様の精液を飲ませて欲しい」
「……は?」
「せ、精子を飲ませてくれ」
「は?」
「だから、せいえ……」
「せめて地球人になってから出直してくれよな!」
しかもなにちょっと恥ずかしそうにしてんだよ! こっちの方が恥ずかしいわ!
変な事を言う肉まんに、付き合ってられん、と俺は立ち上がってサッと身体を流してシャワーを止める。
「まて、どこへいく! 貴様の為を思ってわざわざこの形になったのに何が不満なんだ! 私はチョコレートと人間の精液しか口にできないんだぞ! このままでは飢えて……っ」
バタン、と風呂場のドアを閉めて、ハアハアと肩で息をつきながらバスタオルを手に取る。
いやいや俺、内科とは違う病院に行かなきゃならない気がする。幻覚症状が本当にひどい。ていうか夢だろ? 夢のはずだ。
なのに、無情にも閉めたはずのドアが開く。そうか今、肉まんのくせに人型だもんな!
ふざけんなよ、俺が今で一度だってスライムに興味を持ったことがあったか? いや、ない。ないのにこんな幻覚が続いてる!
「助けてやった礼だぞ!」
「無理! 断る!」
「貴様はなにもしなくていい! 私がなんとか出してやるからっ」
「そっちのが嫌だよ!」
「だが……っ、ああああ」
悲痛な肉まんの声に部屋着を身につけていた俺は振り向いて目を丸くした。
脱衣所で立っていた肉まんが、しゅるしゅるしゅる、と音が聞こえるように人型からどんどんちいさくなっていったのだ。
あっという間に元の姿になってしまった肉まんは、自分が縮んでしまったことに相当なショックを受けているような表情をした。
「……ここの冬は寒すぎる。これでは私はうまく動けないし、ろくに移動もできない……。チョコレートだけではそのうち変化もままならなくなる……」
「……っ、でもきみ、男だし人間じゃないし」
「どうしても嫌なのか? 男の姿が嫌ならこの姿でもいいぞ」
「え」
思わず想像してしまい、慌てて首を横に振った。
ちょっと気持ちよさそうとか思ってない。断じてない!
「無理だよ。俺にはそんな趣味無いし、なにが悲しくて幻覚に自分の精子を……」
「まだ言っているのか、いい加減現実を受け入れろ!」
「いやだ! 半透明の肉まんが喋る現実なんていやだ!」
こうして俺たちはその日一日中ぎゃーぎゃー揉めて、最後は疲れ果てて二人とも無言になった。
途中で夢か現実か確かめるためにコンビニに行ってお弁当とチョコレートを買って帰ったけど、「私のためにチョコレートを調達したのか……っ」と感動に打ち震えている肉まんを見て、もう色々と諦めることにした。
ていうかそもそもチョコレートは俺の好物なんだよ。仕事を終えて一日の締めくくりにこれを肴にワイン飲むのがささやかな幸福だったんだ。
「……明日から仕事とか憂鬱だなぁ」
「人類は働き過ぎだな。しかし貴様らは効率の悪い生物だから致し方ないか」
「スライムのくせに生意気だな」
「宇宙船も作れぬ種族が我々に敵うと思うなよ」
「でもその人類の精子飲まないと元気出ないんだろ。ざまあ」
「地球限定の話だ!」
こうして俺と肉まんの衝撃的な出逢いは終わった。
え、なんで過去形って?
だって肉まん、まだ俺の家にいるんだよね。
「春だ……。春には船の修理が終わる……。だから春までは辛抱しろ」
「そんなことは聞いていない! 寝込みを襲うとか最低だぞ!」
強制的な快楽で目を覚まし、激怒して肉まんを問い詰めていた俺に、肉まんが目をそらしながらそう言ったので横目でカレンダーを確認し、俺は盛大に嘆いた。
「二ヶ月先のことだぞ! こんなうるさい肉まんとあと二ヶ月も過ごすの?!」
「そんなスッキリした顔で何を言うか! 貴様こそ恋人もいない寂しい身のくせに少しは私に感謝すべきだ!」
ぐぬぬ、と互いににらみ合いながら、俺は会社へ、そして肉まんは留守番をする体勢に入る。
ここ数週間ですっかり馴染んでしまったやりとりを今日も繰り返して、慌ただしく部屋を飛び出した。
帰りにチョコレートを補充しなきゃとか、船ってどんな形なんだろ、とか考えていると、なんだかちょっと胸がざわつく。
肉まんのやつめ、幻覚のくせに俺の孤独を許さないなんて最低である。
足を止める。信号待ちの交差点で白くなっている月を見上げた。
遙か彼方のどこかの星から来たという肉まん。
もしあいつが実在するのなら、春なんて、きっとすぐに来るんだろうな。
おわり
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