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『雨とシャッター』

 ――嘘だろッ!!  天気予報では雨が降るなんて一言も言っていなかったはずのに。立ち込める黒い雲のせいで、あたりは昼間だというのに薄暗くなっていた。  城崎天音(しろさき・あまね)は舌打ちをしながら、さっき買ったばかりの小説が入った鞄を抱え、とにかく走った。しかし駅までの道は遠い。 (とりあえず、どこかで雨宿りを……)  そう思ってハッとする。そうだ、憧れの作家の新刊を買って、財布の中身は帰りの電車代しか残っていない。これではどこかの喫茶店に寄ることもできやしない。  ここは人通りも少ないシャッター街。日曜だというのに、開いているのは古くからある電気屋、薬屋、そして。 (タケダ……理髪店)  その店だけ少し雰囲気が違っていた。シャッターが半分閉まっているのだ。赤白青の三色のサインポールが止まり、その店の時間さえ止めてしまっている。 「……少しだけ、雨宿りさせてもらうか」  人見知りであまり人と関わるのが得意ではない天音が、どうしてこの店を選んだのかわからない。完全にシャッターが閉まっている店の方が人に会う可能性は少ないはずだ。けれど、レトロなサインポールと、半分開いたシャッターに興味をそそられてしまった。 「うわぁ、びしょびしょだ」  お気に入りの赤いTシャツも、濡れそぼってぴったりと体に張り付いてしまっている。細身の体型が目立ってしまい、なんだか男らしくなくて恥ずかしい。 「高校生になったら、勝手にガッチリするもんだと思ってたんだけどな」  身長もあまり伸びず、文芸部で日々小説を書いたり好きな本をひたすら読む学校生活を送っているから、当然筋肉もつかない。もともと体力もないから家で筋トレをしたって続かない。そんなことをしているくらいなら、一行でも多く小説を書いていたかった。  なんの恨みがあるのか、雨は一向にやむ気配はない。むしろさっきよりもひどくなっている気がする。天音はため息をついた。 「……城崎くん?」  聞き馴染みの無い声で名前を呼ばれ、天音はびくりと肩を震わせた。 「え、っと……?」 「文芸部の、竹田恵一(たけだ・けいいち)だよ。Bクラスの」  黒縁眼鏡に黒いTシャツ、黒いジャージという、全身黒ずくめの恵一は、穏やかに微笑みながらシャッターを持ち上げ、薄暗い店の中から出てきた。 (でけえ……)  身長は天音より十センチは高いだろう。ガッチリ体型ではないが、身長差だけで圧倒されてしまう。人畜無害そうな表情をしているのが天音にとって唯一の救いだ。 「ごめんね、驚かせて。店先に誰かいるなと思って見にきたら、知ってる顔だったから。もしかして、雨宿り? 急に雨降ってきたもんね」 「あ……うん、勝手に、ごめん……っていうか、ここ、タケダ理髪店って……」 「僕の家。今日は親父もお袋も出かけてるから休みなんだ」 「そっか……」  話が続かない。天音は自分のコミュニケーション能力のなさを呪った。  恵一も天音と同じく部室でよく小説を書いている。いつも集中して作業しているし、クラスも違うから、と理由をつけて話しかけたことがなかった。しかし、脳裏には窓際で頬杖をつきながらまっすぐノートパソコンと向き合う姿が焼きついている。  ――かっこいい。  黒縁眼鏡も野暮ったくなく、友人もたくさんいて、自分とは違う次元にいる存在。  それが天音から見た恵一の姿だった。 (無理だ、さっさとここから離れないと……)  焦っても、雨は変わらず降り注いでいる。すると、いきなり恵一が天音の顔を覗き込んできた。 「っ!!?」 「髪、結構濡れてるね。服もびしょびしょ。このままだと風邪引きそうだ」 「だだっ、大丈夫だって、こんなの大したことないし……」 「よかったらさ、うち、寄ってく?」  突然のことに天音は返事はおろか、反応すらできなかった。  ――初めて話したような人間を、家に入れるというのか? 「実は気になってたんだ、城崎くんがどんな小説書いてるのか。話聞きたいし、何より、髪乾かしてあげたい。服も貸すし」 「いやっ、そんなことまでしてもらうわけには……」 「そんなに警戒しないでよ、同じ部活の仲間なんだから。それに――……変なこともしないしさ」  耳元で囁かれて、天音はわけがわからなくなった。変なこととは、一体どんなことだろう。しかし、小説の話は魅力的だ。恵一の小説の話も聞いてみたい。  天音は頬が勝手に熱くなり、朱に染まっているのを感じながら恵一の目をじっと見つめた。 「……ど、どうしてもって……言うなら……いいけど」 「やった。嬉しいな。本当に気になってたんだ。ずっと前から城崎くん……いや、天音くんのこと」 「な、なんで?」 「さぁ? 強いていえば……髪が綺麗だったから、かな?」 「小説関係ないのか……?」  いいからいいからと背中を押されてシャッターをくぐる。  店の中へ入ると、恵一は今度は一番下までシャッターを閉めた。 「邪魔者が入らないように。今日はもう完全閉店だよ」  にっこりと笑う恵一につられて天音も笑う。小説の話を聞くついでに、半分だけ開いたシャッターの理由も聞いてみよう。  雨はまだ、しばらく降り続きそうだ。

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