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第6話 傷だらけの再出発 (2/2)【岳秋】
ある夜。春樹 が彼の部屋に入って行った後、タイミングを見計らい、岳秋 は自分の枕と毛布を抱えて、春樹の部屋のドアをノックした。
「……どうぞ」
春樹が、くぐもった声で返事をした。岳秋は遠慮がちにドアを開け、慣れない上目遣いで尋ねた。
「ハル~、良い?」
「どうしたの?」
春樹は、自分の布団に入り、上半身を起こして呆れ顔で岳秋を見ている。
「昨夜ちょっと嫌な夢見ちゃったんだ。ハルの部屋で一緒に寝ても良い?」
岳秋が自分の枕を胸の前で抱いて見せると、春樹は溜め息をついた。
「この部屋で寝るのは構わないよ。その代わり、自分の布団持ってきてよ。アキみたいな大男と一緒の布団じゃ寝れないからさ」
岳秋は、大袈裟 に嬉しそうな顔を作った。
「ハル、ありがとう! じゃ、布団持って来るわ」
自分の部屋からいそいそと布団を運んだ。春樹は、少し自分の布団を部屋の片側に寄せ、岳秋の寝る場所を作ってくれていた。
「アキも怖い夢見るんだね。怖いものなんか、ないのかと思ってた。ジャーナリストだから、危ない国とか場所にも行ってるでしょ?」
岳秋が布団を敷いて横たわると、春樹がポツリと言った。
「……怖いもの、俺にもあるよ。色々」
岳秋は素直に認めた。
「例えば、今だったら。ハル、お前を失うのが、ものすごく怖い。あとは、俺の写真や記事が、社会から必要とされなくなるのも怖い」
仰向けから横向きに姿勢を変え、春樹は黒く濡れた瞳で岳秋を見つめている。白い肌との対比が、夜目にも綺麗だった。
「海外に行く時は、現地のジャーナリスト仲間から最新の状況を必ず聞いてる。少しでも厳しいと思ったら、渡航は諦める。現地でも、信用できる人から紹介されたガイドしか雇わない。常に神経研ぎ澄まして、危ないと感じた場所や人には近づかない。徹底してるから外国は怖くない。それに、もし取材先で死んだとしても、やりたいことやって死ぬなら悔いはないよ」
岳秋がそう続けると、春樹は尖 った声をあげた。
「僕も、アキを失うのが怖いんだ! 自業自得だとか後悔してないとか、一人で納得して、勝手に死んじゃ嫌だよ! 僕を失いたくないって言うなら、アキも死なないで!!」
感情を昂 らせた春樹は、唇をわななかせ涙をこぼした。岳秋は、春樹の頭を撫で、零れた涙を指先で拭った。
「……そうだな、ごめん。お前と俺は二人きりの家族だもんな。お互いのために、ちゃんと生きなきゃな。出張する時は、スケジュールや居場所は事前に教えるし、必ず毎日連絡する。あと、ハルが嫌がるところには行かないよ」
春樹は、くすんくすんと鼻を鳴らす。岳秋は一度起き上がり、布団を引っ張って春樹のそれとくっ付けた。
「な、なに? 急に、こんなくっ付けて」
「や、泣いてるから。ちょっとハグしようと思って」
岳秋が言うと、春樹は、拗 ねたように背を向けた。
「もう! 僕、子どもじゃないからね?」
「まあまあ。良いじゃん、たまには。兄ちゃんに抱っこさせてくれよ、ハル。な?」
甘やかすような声で囁 き、背後から優しく抱き締めた。春樹は抵抗しなかった。
「ハルと義兄弟 になれて、ホントに良かった。俺、お前のこと、けっこう大事に思ってるんだよ。だから、不安なこととか嫌なことがあったら、遠慮しないで何でも言って欲しい。力になりたいし、幸せでいて欲しいんだ」
面と向かってだったら、照れ屋の岳秋には、言えなかったかもしれない。しかし、ここは暗い寝室で、二人の体温が溶け合って温かい布団の中だ。腕の中には、素直に岳秋に身を委ねている春樹がいて、表情も見えない分、素直になることができた。
ぐすぐすと鼻をすする音と、ぽたぽたと時折シーツに雫 の落ちる音から、春樹は、無言のまま静かに泣いていたようだ。しかし、じきにすやすやと定期的な寝息を立て、眠りについた。
この日以降、岳秋は、春樹の部屋で寝続けた。春樹が黙って岳秋の手を握ったり、背中に抱き付いたりすることもあった。岳秋は、春樹のしたいようにさせた。二人が同じ部屋で寝るようになった当初、春樹は時折、悪夢にうなされていた。彼の唸 り声や悲鳴に気付いたら、岳秋は彼を起こし、自分の布団に入れてやり、彼を抱いて眠った。春樹の方から岳秋の布団に潜り込んで来たことに、朝、目が覚めて気付くこともあった。
次第に春樹はよく眠れるようになり、表情にも明るさと笑顔が戻った。
温かい人肌と肉親の情のこもった優しい眼差しが傍にあることは、春樹にとってのみならず、岳秋にとっても大きな癒しになっていた。
義理の兄弟とは言え、男二人が毎日一緒にお風呂に入り、同じ部屋どころか頻繁に同じ布団で寝ているのは『あまり普通ではない』という自覚はあった。しかし、愛する家族を痛ましい事故で突然喪 い、自分自身の一部を奪われたような悲しい体験を分かち合い、慰 め合って乗り越えている岳秋と春樹の間には、普通の義兄弟とは異なる、強い連帯感、同士意識があった。
この危うい均衡に、岳秋は薄々気付きつつ、見て見ぬ振りをしていた。心が崩れ落ちそうなほどの悲しみと苦しみのどん底から、ようやく、平穏な生活を取り戻したのだ。小春 日和 の縁側のような幸せを、今はただ、そうっと掌 に優しく包むように大事にしたかった。
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