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第2話 初めて①

 中三のゴールデンウィーク明け、そいつは転校してきた。北関東の公立中学で、有体に言えば田舎の土臭いガキ共の集まりだったから、東京からの転校生なんてのはあまりに珍しく、まるで芸能人がやってくるみたいな盛り上がりようだった。  東京から転校生が来るらしいという噂は瞬く間に学年中に広がった。彼のことをみんなが噂した。さぞ垢抜けているのだろう。近くを通るだけで都会のいい匂いがするんじゃないか。お父さんが大会社の社長なんだって。新幹線で来るのかな。細長いデカい車に乗ってくるんじゃないか。などと、妄想のような噂が飛び交った。    しかし所詮噂は噂だ。その転校生――桐葉悠絃は、確かに都会的な雰囲気を纏ってはいたが、都会の負の部分をぎゅっとまとめて背負ったような辛気臭い男だった。田舎のガキが能天気に憧れているような、オシャレでキラキラしたイメージとは大きく懸け離れていた。  二日もしないうちにみんな慣れたらしかった。俺のクラスではほとんど誰も桐葉の噂をしなくなっていた。時々、隣のクラスのやつから情報を得た者が話のネタにしている程度である。   「マジで東京から来たんだって。目黒区? に住んでたんだって。区だぜ? 区! すげぇよな」 「マジの都会人じゃん。電車とかバス乗りまくって色んなとこで遊んでたんだろうなぁ」 「東京には地下鉄ってのもあるらしいぜ。電車が地下走ってんだよ」 「はぁ、いいなぁ、東京。かっけえなぁ。渋谷とか新宿とか行ってみてぇ」 「でもなんでこんなクソ田舎に越してきたんだろう? やっぱ親の仕事の都合?」 「それがよくわからないらしい。聞いても答えてくんないんだって。そうじゃなくてもあんま喋んないっぽいし」 「へぇー。まぁ確かにそんな感じあるよな」 「だよな。東京人のくせにモヤいしな」 「だよなー。モヤいモヤい」    モヤいとは、ここらの方言でダサいという意味だ。彼らの評に俺も概ね賛成だった。しかし容姿自体は決して悪くない。切れ長の涼しげな目元、ムカつくくらいの艶々髪。ただちょっと垢抜けていないだけだ。ダサいというよりただただ暗いという方が正しいと思う。王道のイケメンとは種類が違うけど、クール系の美人という印象だった。    クラスの違う俺と桐葉が初めて会話したのは、体育の授業で一緒に見学した時だった。俺の中学では三クラス合同かつ男女別で体育の授業を行っていた。転校してきて一か月は経とうというのに、桐葉が体育の授業に出ているのを見たことがなかった。  うちの先生、特に体育の教師は厳しく、ずる休みなんてしようものなら張り飛ばす勢いなのだが、なぜか桐葉は休み続けても許されていた。代わりといってはなんだが、毎回校庭の隅で草むしりをさせられていた。   「はい、いっちに、いっちに! 声出てねえぞ!」    教師に怒鳴られながら校庭をぐるぐる回っている同級生たちを横目に見る。見学なんて全く不本意だ。俺だって走りたい。自慢じゃないが運動は得意な方だ。部活動も毎日そこそこがんばって練習しているのだが、今日はその部活のせいで、つまり怪我をしたせいで、見学を余儀なくされたのだった。  桐葉は黙々と草をむしるが、俺は適当にやっているふりをしていた。「声が出てない! 歩幅そろえろ!」先生がまた怒鳴っている。   「お前、一組の転校生だよな? なんでいつも休んでるの?」    なぜ話しかけたのかはわからない。桐葉の表情、生きているのがつまらないとでも言うような生気のない表情が気になったのかもしれない。  俺がいきなり話しかけたので、桐葉は怪訝な顔をした。俺は慌てて自己紹介をする。   「俺、二組の杉本。杉本透っていうんだ。お前は?」 「……桐葉悠絃。なんだ、急に」 「何ってわけじゃないけど。いいじゃん、お話しようよ。暇だろ?」    桐葉の第一印象は、ひたすらに無愛想だった。俺が話しかけてもつまらなそうに顔をしかめるばっかりで、自分からは何も発言しなかった。   「お前、もしかして友達いないだろ」  俺がからかうと、桐葉はフンと鼻を鳴らした。   「友達がいたら何だってんだ。友達とつるんでべらべら中身のないことばっかり喋るのがそんなに偉いかよ。仲間だの友情だの、寒いと思わないのか」 「友達が多いのはいいことだろ! お前そうやって捻くれてっから友達いねぇんだぜ」 「青臭いな、杉本。元いた学校じゃ、そんなこと口うるさく言うやつぁいなかったぜ。お前みてぇなお節介野郎は嫌いなんだよ」    カッときた。叩きのめしてやろうかと思わず立ち上がると、先生が笛を鳴らした。甲高く響いて鼓膜をつんざく。   「杉本ォ~、サボってんじゃないぞ。口じゃなくて手ぇ動かせ、手ぇ!」 「せんせ、桐葉も――」 「他人のせいにすんな! あと三十分なんだから集中しろ!」    ちぇっと舌打ちをして、草むしりを再開した。桐葉もまた、俺から少し離れた場所を陣取って草をむしっていた。嫌なやつだ。とにかく嫌なやつだ。二度と話しかけたりしないと心に誓った。  しかしその誓いは一週間も持たずに敗れ去ることとなる。    部活の帰りだった。俺は駐輪場で友達と駄弁っていた。くだらない話ばかりだ。誰と誰が付き合ったとか別れたとか、クラスの誰がかわいいとか誰と付き合いたいとか、あわよくばヤリたいとか、そんな話だ。そこで偶然、校舎から出てくる桐葉を見かけた。    あいつ、この前は部活には入っていないと言っていたのに、どうしてこんな時間に学校にいるんだろう。気になって仕方がない。友達の話は耳に入っていない。たぶん、好きな子の話をしている。やめとけやめとけ、その子はお前には高嶺の花だぜ、と思ったがそんなこと言ってる場合ではない。  桐葉は一組の自転車小屋へ。自転車の荷台に荷物を括り付ける。へぇ、普通のママチャリに乗ってるんだ。カバン厚こいなぁ、俺なんかほとんど置き勉だから薄っぺらなのに。スタンドを倒し、自転車を転がし始める。俺には目もくれず、俺の目の前を颯爽と走り抜ける    だめだ、待ってくれ。俺はなおも話し込んでいる友人たちに一方的に別れを告げた。規則違反だがカバンを前かごに放り入れ、急いで自転車を出す。   「桐葉!」    校門を出るまでに追い付いた。東西に正門と裏門があって、生徒は好きな方から出入りできる。桐葉は東の正門に向かっていたが、俺もいつもそっちを使っているのでちょうど都合がよかった。  桐葉はびっくりして減速し振り返るが、声の正体が俺とわかったからかまた漕ぎ出そうとした。   「待って待って」 「なんだお前。何か用か」 「いや、途中まで一緒に帰ろうかなって」    何を言っているのかわからない、と桐葉は目で訴えた。正直、俺も自分が何を言っているのかわからなかった。心の声に従ったらこうなってしまっただけだ。    偶然は重なるものである。途中までと言ったが、このまま行ったら桐葉の家まで行ってしまうかもしれない。どうやら、桐葉の家があるのは俺の住む集落のすぐ近所らしかった。  東の富士とも称される名峰筑波山を臨み、一級河川小貝川の恩恵に与った地域。四方を田畑に囲まれ、家々が塊状に集まって建っている。そういう集落がいくつかある。時々豚小屋や鶏小屋があって、風向きによっては臭うこともある。要するに田舎なのだ。    桐葉の家の方が学校から遠い。自分の家を過ぎても、俺は桐葉の後をついていった。   「どこまでついてくるんだ」 「どこまででも?」 「ふざけんな。気持ち悪ぃ」 「お前ン家が知りたいんだよ。この近くなんだろ? 早く案内しろ」 「何様だてめえは」    農道――厳密には一般道だがほとんど耕運機やコンバインしか走っていないので実質農道である。あるいは舗装されたあぜ道とでも言うべきか――を行く。赤い涎掛けのお地蔵さんが並ぶ三叉路を越えると集落が見えてくる。   「着いたぞ」    集落の一番西側にぽつねんと建っている日本家屋である。白い石垣があり、駐車場は砂利敷だった。南側に広い庭があって、大きな木があったり花が咲いていたりした。   「ここがお前ン家? 田舎のじいちゃんちにそっくりだぜ」 「ああ、実際そうだからな」    桐葉は自転車を納屋に仕舞う。納屋も広い。俺の家の物置の二倍以上ある。農家だからなのだろうか。   「おい、さっさと帰れって――」  ガラッと裏口が開いた。おばあさんが姿を見せる。 「あらあら、悠絃のお友達?」    割烹着姿が似合う元気そうなおばあさんだ。白髪の交じった髪を結い上げている。背中は少し曲がっているけど、足取りも喋り方もしっかりしていた。   「こんにちは!」 「はい、こんにちは。悠絃の祖母です」 「俺、悠絃くんと同じ三年生の杉本透です!」    悠絃くんなんて言われて、桐葉は凄まじく嫌そうな顔をした。   「よかったらお茶の一杯でも飲んでって」 「ばあちゃん、こいつに気遣わなくていいよ」 「いやいや、せっかくなんでいただきます」 「お菓子もあるからねぇ。ヤクルト飲むかい?」    睨んでくる桐葉を無視し、俺は家に上げてもらった。そういえばあいつ、ばあちゃんって呼んでたな。ばあちゃんか……。ちょっと意外というか、子供っぽいとこもあるんだなと思った。    桐葉の家は、いわゆる田の字型の家だ。俺は茶の間に通された。真ん中に掘り炬燵があって、おばあさんに促されるまま座った。うちにも炬燵はあるけど、掘り炬燵は初めてだ。足が楽だし、なんかかっこいい。おばあさんは台所から菓子鉢を持ってきてくれた。  遅れて桐葉も部屋に上がってくる。ちなみにこの家の玄関は変わっている。狭い土間のようになっている上、すごく床が高い。お年寄りなんかは上り下りが大変だろうと思った。古い家ってのはみんなこうなのか?   「おい、そこはおれの席だ。あっち行け」  桐葉は俺の背中を蹴りながら小声で言う。   「えぇ~? いいじゃん、そんなの」 「よくない。決まってるんだ」 「えぇ~?」  仕方ないので移動する。   「でもそこ、テレビ見にくいんじゃない?」 「いいんだ。ごはん中はテレビ禁止だ」  その場所がいいのはおばあさんの正面だからかもしれない、と思ったがどうだろう。そんな可愛げのあるやつでもなさそうだしな。    帰る時、おばあさんはお菓子を持たせてくれた。遠慮しても結構しつこかった。 「今日はありがとねぇ。これからも悠絃と仲良くしてやってちょうだいね」  桐葉は終始仏頂面だったが、俺が「また明日」と言うと「じゃあな」と返した。

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