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孤独な青年と機械人形の望み

『ようこソいらっしゃ……まセ。ワタシはコスモポリタ……百貨店展示階、アンジェロ……博……つ館ノ支配人デデ……で、です。展示品の案内をさせ……ガガッ……ただきます。』  そう言って、廃墟に佇んでいた古い機械人形は僕に頭を下げた。  人類最後の生き残りを自負していた僕にとって、人型で喋れる機械人形はとても物珍しい。本当は食べ物を探していたのだけれど、思わず空腹を忘れてしまうくらいには興味をそそられた。 「よろしく。案内を頼める?」 『かしこまリマ……した。』  ベアリングを軋ませながら礼をした彼(機械に性別があるかは謎かもしれない)だったが、紹介される展示品はほとほと奇妙なものばかり続いていく。 『コチらは、……シのマスターが初めテ手にシた、歯ブラシ……ガガッ……でス。アチらハ……ビガガッ! ……マスターガ初めて読んだ絵本で、……チュインチュイィィ……』  途中で折れている古いペン、下手くそな刺繍が施されたボロボロのハンカチ、食べきれなかったレーションが真空密閉保存されていたり。  血痕がついた黄ばんだシャツに、最後に使ったという割れた湯呑み、個人的な内容が記された手紙なんてものまでプライバシーもへったくれもなく開かれた状態で並んでいる。  博物館と呼ぶには内容はお粗末だ。並んでいるのは彼のマスターの私物だけなのだから。 「君のマスターは、こんなものを君に守らせていたのかい?」  気に入りの本の展示には、内容を懇切丁寧に説明したパネルまで設置されていた。知らない字で記されておりまったく読めないので内容はわからない。それでも、奇妙な人物だったのだなと僕は苦笑する。世の末ともなればそう珍しくもなかっただろうが。  けれど、返ってきたのは意外な答え。 『ワタシが好キでやっテい……ノデス。』 「す、好きで……!?」  僕が驚くのは当然だ。子供の頃の記憶が正しければ、機械というのは人間の命令に忠実に従う存在でなければならないはず。自主的に動くなんて、ありえるんだろうか。感情を持つ機械たちもかつては存在していたらしいけど、ずっと昔の戦争で全て処分されたと聞いているのに。  僕が絶句していると、機械人形が視点のずれかけた義眼を向けてきた。キュン、と響くモーター音。 『そうデス。ワタシは、マスタぁノことガ、好キ、き、キキキ、スキ、……す、――好き、……なのデ……す。』  機械人形が綺麗な発音になるまで『好き』という単語を繰り返す。その仕草がどこか哀れにさえ見えてしまう。ついに僕も焼きが回ってしまったのかもしれない。 『マスター、も、ワタシのことを……あ、ア、あ゛、……アいしてクレていましタ。』  ブツン。その言葉が終わるが早いか、鈍い音が弾ける。剥き出しになっていたカーボンフレームの脚の片方が力を失ったらしく、彼はガッチャンとその場に崩れ落ちた。 「おいおい、大丈夫か。」  バッテリー残量も怪しいが、さっきの音はもっと致命的な故障の発生を訴えていた気がする。  つまりは……機械人形の彼さえ、もうすぐ僕を置いていくのだろう。  肩を貸しながら立ち上がらせると、自然と互いの顔が近くなった。 『おそレいリます。』  トーンが不均一な合成音声で丁寧に礼を言われる。見つめあった義眼は近くで見れば網の目のように風化の罅が入っていた。奥のセンサーがチカチカ、弱々しい点滅を繰り返す。  人間がぼーっとしているような素振りで何もない宙を眺めていたかと思えば、彼は何事もなかったかのように口を開く。 『あちラの壁に並んで見ぇ、ェ、えルノが、がッ……ジジッ! マスターが描いた絵でス。』  ザラザラ、スピーカーのガタが目立ち始めているけれども、まだなんとか会話が成立する。ボロボロの手で示された先へ視線を凝らせば、たしかに絵画が並んで見えた。  マスターの父の肖像、嵐で潰されたあばら家、セイショ? の一節がテーマの一枚、音を奏でるというピカピカのガッキ。  写実的な描写の通り、見たままに描かれたものばかりだとすれば、マスターという人物は百年以上は昔の人物らしい。遺跡でしか見られないエンブレムや今は使えない電子機器が身近である様子から、ぼんやりと推測できる。それじゃ機械人形も壊れるわけだ。 『コちラハ、花とイウ植物ノででで、でっさん。ツギは、ぷっ……ブツ、ブブッ……に焼かレタぷらんと……施設。ソレかラ、一度だケ起キた、星のバクハツによル……ザザザ……擬似ジジ、ビャクヤの風景デス。』  ノイズもひどいけど聞きなれない単語もすごい。特に最後の絵は変わっている。四方の地平線は夜なのに、天には小さな太陽が輝いているのだから。  ビャクヤとはなんなのか、一瞬それを聞いてみたい気持ちにも駆られたのだけれども。  最後の行き止まりに飾られた大きな絵に目を奪われた瞬間、疑問なんて吹っ飛んでしまっていた。 『そシテこちらが、ワタしノますターの肖像デス。』  それは――美しかった。 『マスタぁの……すすす、姿を、テテ展示したかッたノデ、……こちらハ、わわワタシがメモリーを元ニ印刷し……ザガガッ……しました。』  もはや幻想でしかない暖かな金の光に抱かれ笑う、ひとりの青年の姿。目を閉じているので、一見すると眠っているようでもある。一片の曇りもなく磨き上げられた硝子の額縁は、いっそ美しいだけの棺みたいだ。  見たことのない草花に囲まれて澄んだ星空を背負っている。匙か柄杓の形に並んだ七つの星が眩く光る。  僕が息を飲んで一枚の絵画に見入っていた矢先、ずっと肩を貸していた機械人形がだんだんと重くなっていく。 『ココで、下ろしテくだ、サ、い。ピピッ、ガッ。』  時が来た、そういうことなのだろう。  誰かと会話するのはとても楽しかったので、修理できないものかなと惜しむ気持ちもある。  あるけれども、きっとこれでよかったんだろう。 『マスタぁは……幼クして仲間ヲ失い……ヒトリ生キのこりまシタ。寂しサからワタシをツクッタと、ガガッ、ザザザ……』  いよいよ何を言っているのかわからなくなってきたものの、どうやら彼のマスターは僕と同じく孤独であったようだ。 『ダカラ、ワタシ……ザザガガガ……マス、たた、ターを、ダレかニ愛してあげてホしかっタのかも……ピピピキュイィン』 「そう。」  この機械人形が本当に感情を持つ機械の生き残りなのかどうか、それはわからない。ただその発想は、欲深い人間にはできないもののような気がした。  愛とか好きとか言ったら、誰にもあげたり譲ったりはしたくならなそうなものだけども。同様に押し付けられても困るだろう。だのに墓に花を手向けるように、愛してあげて、だなんて。  所詮は機械という悲しい定めなのか、はたまた僕が意地汚い少数派なのか。そんなことを知る術ももはやこの世に残されてはいない。  唯一はっきりしているのは、機械の彼はここで動かなくなり、また僕だけがこの世界に残されるということだ。  それどころか、もしかしたらこの機械人形が僕と会話する最後の相手になるかもしれない。  そう思ったら情が湧いた。 「……いいよ。」  そして同時に、残された美しい青年の絵画に、僕の心は浮き足立っている。  はじめての感情にも、相応しい綺麗な名前をつけなくては。 「君の代わりに、これからは僕が彼を愛してあげる。」  キュン、とモーターをかすかに振動させて、人口皮膚をまとった機械人形の相貌が静謐な笑みを作った。  それきり、呼吸を模していた排熱活動も、義眼に仕込まれたセンサーのランプも、息を引き取るように消えていく。  ああ、また独りになってしまった。でも今度は、孤独じゃない。 「……綺麗だ。」  空腹のままなのに身体の芯には熱が灯る。  たしかに実在していた美しい青年の昔日に捕らわれ、今度は僕が、長い時を生かされ続けることになるんだろう。

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