1 / 1
「運命の男⓵ 撫でる男」
俺に金がなくなったころを見計らったようにやってくる奴がいる。
「どうだ、ちゃんと食ってるか。」
第一声はいつもそれだ。そして俺はこう答える。
「食ってないよ。土産は?」
佐々木の持ってくる土産は一万円札が数枚入った茶封筒と紙の束だ。ただの紙の束じゃない。繁華街でうろついてる子供の情報。家出少年少女、いわゆる世間に認知されづらい人間の束。誰かに、どこかで殺されても、そのまま闇に葬られる可能性の高い人間の情報の束。
「夏休みに入ったからな、夜中も子供がうじゃうじゃいる。交番勤務は大変だな。」
そう言いながら紙の束をぺらぺらとめくる。俺はゆっくりと足を組む。右足が上、左足は下、ゆっくりと。佐々木が好きな仕草だ。50近い男が唾をごくりと飲む音が聞こえてきそうで、俺は不愉快になり、もっとこの男を苦しめてやりたいというサディスティックな感情に支配される。
「俺は、この子供たちを殺すかもしれないよ。もう殺したかもしれない。あんたは共犯だ。」
俺の言葉は麻薬のように佐々木の脳に突き刺さるだろう。佐々木は所轄生活安全課の一署員で、佐々木の美しい妻は彼の年収の何倍もの金を稼ぐ医者だ。そして二人の間にはつまらない父親を蔑む娘が一人、そんな絵にかいたような美しい家庭の夫であり父親である。そして、俺の殺人という至高の趣味に加担している。
佐々木は震える手で紙の束を俺に寄越した。俺は、わざと佐々木の手に触れるように紙の束を受け取る。YESのサインだ。佐々木は顔を紅潮させ跪き、俺の靴を脱がせる。汗ばんだ手で靴下を脱がせ、ガラスの靴を持つかのように震える手で足に触れる。頬に俺の足を擦り付け、トラウザーの隙間からもう片方の手を滑り込ませしつこく撫で続ける。この男がすることは、ここまで。佐々木は何を考えているのだろう。俺を犯すことか、俺を犯すことへの後悔か、家族を裏切る背徳感か、そんなことはどうでもいい、早く済ませてしまってくれないか。
一人称が僕から俺になったころ、父親の弟つまり俺の血の繋がった叔父が俺の「最初の男」になった。不登校になった俺の勉強を見てくれたのだ。探偵をしていた叔父は自由業で時間に都合が付きやすく、よく遊びに来てくれた。俺はシャーロックホームズが好きで、探偵業をしていた叔父の話を聞くのが大好きだった。
夏の暑い日、いつものように叔父に勉強を見てもらっていた。その日はやたらに暑く、着ていたTシャツが汗で濡れてひどく不快だった記憶がある。何がきっかけだったのか、いや俺がきっかけを作ったのか、今日はお父さんもお母さんも夜まで帰ってこないんだ、そんな話をしていた時、叔父の手が俺の頬にそっと触れたのがわかった。
どうしてだかわからないんだ、お前の目を見てると落ちていくような気がする。水の中なのか、地の底なのか、這いあがれない、そんな、苦しみの中にいる
そう言って叔父は俺の「最初の男」になった。その時の記憶はない。空が青いなとか、暑いなとか、そんなことばかり考えていたような気がする。不思議と不快感はなかった。しかし、叔父はそうではなかったらしい。情事が終わると、途端に泣き始め、許してくれ許してくれと俺の足にすがった。悪気はなかった、魔が差した、と何度も繰り返した。俺は無性に楽しくなってきて、この男を、この男の理性とか感情とかそういったすべてのものを粉々に破壊してやりたくなった。
「どう解決する。未成年の甥を凌辱か、ああ人生終わり、だね。」
叔父は抱きしめていた俺の足から離れ、醜い悪魔か犯罪者を見るような目つきで俺をみた。穢い男だ、と思った。
叔父はそのあとすぐに事故で死んだ。自殺のような死だった。何も持たない叔父だったけれど、俺に探偵事務所と小さなマンションを残してくれた。不登校で学もない俺を心配していた両親は厄介者払いをするかのように叔父の残してくれたマンションに俺を追いやった。俺は小さいながらも一国一城の主となったのだ。
奇妙な情事の最後に佐々木は俺の髪を撫でる。そして、これが幸せだ、これが不幸だと呟く。佐々木にとっての情事は俺の肌を触り続けることなのだ。俺は机の上にあるペットボトルの水を一口飲んで、唇を濡らし、上目遣いにやつを見て、色気を出して、ゆっくりとこう言う。
「土産持って、また来な。」
ともだちにシェアしよう!