5 / 56

一話 あなたは王子の同居人として見事に選ばれました 5

 次の日、奏は台所の床上で目を覚ました。  王子は当然のようにベッドで眠り、奏が同室で眠ることさえ許さなかった。しかたなくバスタオルやコートに包まって眠ったのだが、身体中あちこちが痛い。  初日からこれでは先が思いやられる。きのうは堪えた溜め息がふーっと洩れた。 「……いや、でも、これも杏(あんず)のためだから」  尊大王子と同居するだけで、毎月百万の収入が入ってくるのだ。金の力は偉大だ。愛情ではどうにもならなかったことを、いともたやすく叶えてくれる。 「布団買わないとな……」  エリファスから支度金として厚みのある封筒を手渡されている。これで王子のベッドや食器をそろえてください、とのことだったが、あいにくとこの家にベッドをふたつおけるようなスペースはない。  あのベッドは王子に譲り、ベッドのかわりにソファーを買って台所へおくことにするか。いや、でも、そうするとただでさえ手狭な台所がさらにせまくなってしまう。  奏はバスタオルやコートを片づけると、流しの前に立った。 「えーっと、味噌漬けの鮭を焼いて、おみそ汁を作って……。あとは作り置きのおひたしでいいか」  王子のぶんはどうしよう。  王子の食事は王子本人に任せてください、とエリファスは言っていたが、あの尊大王子に料理ができるとはとても思えない。きっと台所に立ったこともないはずだ。 「王子のぶんも作ったほうがいいのかな……。でも、あの人……人じゃないか、あの魔族、和食なんて食べるのかな……?」  あのビジュアルでごはんとおみそ汁を食しているところは想像できない。が、奏はもっぱら和食派で、パンの類はおいていなかった。  まあ、いいか。食べなかったら明日の朝食にすればいい。  ふたりぶんの朝食を作っていると、ドアが開いて王子が出てきた。まだ寝たりないのか、いささか寝ぼけた顔つきだ。髪が何ヶ所かぴょこんと跳ねている。  魔界の王子様でも寝癖はつくんだな。奏は妙な感心をした。 「おっ、お、おはようございます……えーっと、ミ、ミカ、さん」  王子の愛称はミカというのだと、きのうエリファスが言っていた。気安くミカと呼んであげてください、とも言っていたが、呼び捨てにする勇気はとてもない。 「……ミカだと? 誰がいつ俺を愛称で呼んでいいと言った」  ギロリと睨まれて、胃袋が竦み上がる。 「えっ、い、いや、き、きのうエリファスさんがそう呼べと――」 「俺に対する許可を出せるのは俺自身だけだ。低脳の分際で厚かましい」  吐き捨てるような科白だった。  朝食を作ったのは失敗かもしれない。低脳の作った料理なんて口にできるか、と皿ごと粉砕されたらどうしよう。いや、皿どころかテーブルまで粉々にされるかも。 「これはなんだ」  王子――ミハイエルの目がふたりがけのダイニングテーブルへ向く。  テーブルの上には鮭の西京焼き、ほうれん草のおひたし、にんじんのナムル、それとついでに作っただし巻き卵が並べられている。 「え、えっと、あの、あ、朝ごはんのおかずですけど……」  奏はドキドキしながらミハイエルの反応をうかがった。 「ふたりぶんあるな」 「しょ、しょ、食事はご自分で、とのことでしたけど、ひっ、ひとりぶんだけ作るのも、ちょ、ちょっとあれかなとお、思いまして……。わ、わ、和食ですし、お口にあうかどうかわかりませんけど。あっ、も、もちろん嫌なら食べなくっても、ぜ、ぜ、ぜんぜん!」  朝ごはんを作っただけで、なんだってこんなにも緊張しなくちゃいけないんだ。女子に告白するよりときよりもよっぽど緊張する。もっとも女子に告白なんて大それた真似は、脳内でしかしたことがなかったが。 「食べてやってもいい」  ぞんざいに返事をして、椅子に腰を下ろす。座り心地の悪い椅子だな、という文句を背中に聞きながら、奏は急いでごはんとおみそ汁の用意をした。

ともだちにシェアしよう!