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第117話

午後三時。 集中できずにズルズルと仕事をしていた。 ちょっとだけ休憩しようと、気分転換に残っていた珈琲を飲み干してベランダに出る。 生温い空気が肌を撫でた。 あとほんの少しで秋になるとはいえ、まだ暑い。 「……今年中に全部終わらせたいなぁ」 三森のことと、凪さんの御両親に会うこと。 新年は何の不安もなく迎えたい。 ググッと伸びをしてリビングに戻る。 窓の鍵を閉め、テーブルに戻ろうとした時リビングのドアが開いた。 「え……」 「ただいま」 「……時間、まだ……三時……」 「今日は早めに切り上げた。」 「それって大丈夫なの……?」 疑問を口にすると、凪さんは頷き「それより」と言って、俺の服を掴んだ。 「これ、俺の服じゃないか?」 「……」 「朝、風呂場に持って行ってた着替えはこれじゃなかったと思うけど。」 「どこまで見てるんですか」 「真樹のことは割とずっと見てる」 恥ずかしい。 実をいえば、ソワソワしてしまい仕事に集中できず、どうしようかと悩んだ末に見付けた策だ。 彼の匂いを嗅いでいればオメガの俺は落ち着く筈だと推測して、彼のパーカーを拝借した。 おかげでソワソワした気持ちは少し落ち着いたけれど、まだ充分とはいえない。 「ストーカーだ」 恥ずかしさを隠すためにそう言うと、彼は首を傾げる。 「俺達は番な筈なんだけどな」 「番でも、恥ずかしい……」 「そうか。ごめんね。で、どうして俺の服を?」 この話は終わるかと思ったのに、そうはならなかった。 掴まれているから逃げることも出来ない。けれどまだ仕事が終わっていないから、理由を話すのも今は難しい。 「あとで話します。今はまだ仕事が残ってて……」 「仕事?……ああ、それは急ぎじゃない。それよりもこっちの方が急いでる。真樹は俺に『早く帰ってきて』って言っただろ。寂しかったのか、何かあったのか……きっとその理由が俺の服を着ている理由だとも思うしね。」 「う……いや、でもやっぱり仕事……」 「真樹」 手を取られ、抱きしめられる。 安心できる温かい体温に、思わずホッと息を吐く。 「教えて。寂しかったの?」 「……さ、みしかった……」 「何かあった?」 「三森から、メッセージが送られてきて……」 「見せて」 凪さんの雰囲気が少し固くなる。 恐る恐るスマートフォンを手に取って、メッセージを開け彼に渡した。 内容を読んだ彼は、眉間に深く皺を作って画面から顔をあげる。 「この事件っていうのは?」 「えっと……昔、中学生の頃にオメガの子に襲われたことがあって……」 「成程。襲われたっていうのは、相手が発情期になって真樹に迫ったってことであってる?」 「はい。その子とは結局何も無かったです。ただ……凪さんも知っての通り、俺の両親はオメガ性への偏見が酷いでしょ?だから当時は被害届を出すとか……まあ、いろいろあって……正直トラウマで。その事があったから俺もオメガ性に対して偏見を持っていました。」 あの事件がなければオメガ性に偏見がなかったのかと聞かれると、それは分からないけれど。 「三森は真樹のトラウマを知ってて……もしかするとこのオメガ性の子にわざわざ会いに行って話を聞いたのかもしれないな。」 「俺も、そう思います。」 拳をぎゅっと握る。 何が彼をそこまで動かしているのかがわからない。 唇を噛んで俯くと、凪さんの大きな手がそっと頬を撫でた。

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