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第一章 第4話

「しかし、医学部長自らが招聘した人物ですよ。あの人の権威に逆らえるとは到底思いませんが」  ちょっとしたカンファレンスに使われる小さなテーブルに座った後でそう切り出した。 「それはそうだが…。ただ、教授はオペさえしていれば良いというわけではないのは分かるな」  助手の山本先生が噛んで含めるように言った。 「それは分かります。私のような研修医から果ては学生の指導まで幅広い人間の指導と、文部科学省や厚生労働省への働きかけなど色々と職務は有ります」 「その通りだ。香川先生のことは、アメリカに居る友人にメールを送って調べて貰った。その返信が届いて山下君と相談した。我々の医局を任せられる人材かどうかを。  結果は否だ」  医局長の畑仲先生が冷徹な口調で言う。 「それはどういった点でですか」  佐々木教授を慕っている祐樹は急き込んで聞いた。 「彼はワンマンなタイプだ。何事も1人でしようとする。アメリカの手術も一方的に術式を申し渡して、スタッフへの相談は一切ない。ただ、自分の信頼している特定のスタッフは厚く遇するらしい。つまりは天才にありがちな独善的な人間らしい。それでも手術自体は素晴らしいので尊重されているが、そういった人物はオペさえしていればそれで良いと思うのだが…。君はそうは思わないか。また、他のドクターとも協調性はないとのことだ。その件については『アメリカ人よりアメリカ人だ』とメールに書いてあったよ」  眼鏡の奥の鋭い目で畑仲は言った。 「それは…そう思います。教授としてはオペに専念するわけには行かないでしょうから。しかし、医学部長はそういうことも調べられた上での抜擢なのでは?何せ慎重な方ですし」  医学部長は日本内外の色々な学会に出席し顔も広い。日本医師会の重鎮でもある。 「そこなんだよ。齋藤医学部長は二つの件で香川先生を自分の人脈に取り入れたいらしい」  山本は情報通だ。おまけに自分の得になるかどうかを冷徹に判断し、邪魔な人間は些細なことを大袈裟に吹聴し、医局から追い出すことで有名だ。  自分が呼ばれた理由を察することが出来た。医局長である畑仲先生は次期准教授に昇進する可能性高い。しかし、それも佐々木教授が健在ならば…だ。自分と同じように香川先生が教授になれば人事権は香川先生に一任される。もちろん、山本先生も同じ立場だ。  香川先生が信頼するスタッフを連れて来て、そのスタッフに色々なポストを与えれば医局の秩序は崩壊する。 「二つの件とは?」 「一つ目は今朝医学部長が仰ったように、我が大学の心臓バイパス術の成功率を更に上げ、競争相手である、東京の大学に大きく差を付けることだ。本郷にも優秀な外科医が居る。その外科医よりも有能な外科医が来れば、我が関西まで手術を受けに来る患者が増える。もちろん、そういう患者は特診患者だ。そうなると我が大学への寄付も増える。学長は大学病院をもっと大規模なものにしたいという野望の持ち主だからな」  なるほどと思った。心臓バイパス術は極めて難しい手術だ。その割に成功率が高いのは執刀医のレベルが高いからだ。しかも命に関わる心臓という臓器という問題もある。奇跡的に助かった患者は寄付を惜しまないだろう。香川先生は世界的規模の金持ちのオペを成功させてきた実績が有る。その貴重な人材が我が大学でオペをするとなると世界中のセレブ達がこの病院に集まることになりそうだ。さぞかし大学病院も潤うだろうし、「口利き料」として医学部長にも多額の金額が流れ込むだろう。 「で、もう一つとは?」  医学部長に盾突くかもしれない陰謀に巻き込まれてしまいかねない今となっては、情報は多い方が良い。盾突いたのが露見すると良くて系列の地方大学病院に左遷されるか、最悪の場合は解雇されるかもしれない。解雇されれば一介の研修医である自分は開業など夢のまた夢で、どこかの病院に雇って貰うしかないが…医学部長の息の掛かって居ない病院は関西では少ない。最悪、路頭に迷う。ここが思案のしどころだった。 「医学部長のお嬢様が適齢期だ。その婿候補として是非とも香川先生をと考えておられる」  山本助手が言った。密かに齋藤医学部長のお嬢様の婿になりたいと狙っていることは周知の事実だ。確か名前は志乃と言った。ゲイの自分から見ても古風な名前に相応しい楚々とした風情のある美人だが、山本は彼女が美人だから狙って居るわけではない。仮に不美人でも立候補するだろう。医学部長のお嬢様という理由だけで。  第二の理由はともかく、第一の理由は説得力が有った。祐樹は目を閉じて考えを纏める。  香川先生が自分の道を押し付ける天才肌で、自分の信頼しているスタッフを連れて大学に移って来ると、今まで佐々木教授に付いて勉強していた自分は片隅に追いやられる。  それならば、畑仲医局長の陰謀に加担し、香川先生ではなく、黒木准教授を次期教授に推すことで黒木教授への恩返しをしておくほうがはるかに良い。 「分かりました。協力します。研修医仲間がどう考えているかさり気無く探ります」  眉間に皺を寄せていた二人は笑みを浮かべた。 「出来れば、医局員全体の意見も探って欲しい」 「医局員の動向を探るには山本先生が適任かと思いますが…」 「僕は僕なりに香川先生の弱みを握ることに専念したい。だから敢えて君に頼む」  そう言って頭を下げる山本には反論出来ず、「分かりました」と言った。  明日から忙しくなりそうだなと思った。  まずは、研修医仲間とじっくり話してみる必要が有る。そして香川先生の悪評をそれとなく流す。医学部長には絶対に悟られてはならない。難しい仕事になりそうだ。

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