2 / 3
初夏 side 陽介
◆◆◆◆◆
下校途中。
あまりの暑さに耐え兼ねて、陽介と蛍 の二人は、揃ってファーストフード店へ逃げ込んだ。
まだ五月だというのに、太陽は一足先に、真夏の様相でギラギラしている。
空調のきいた店内には、同じように涼みに来たと思しき制服姿が溢れていた。
確保した壁際の席に座るなり、陽介はコーラを喉に流し込んだ。Lサイズの紙コップが、あっという間に氷だけになった。
向かいの席では、蛍が期間限定フレーバーのシェイクでクールダウンしている。
「暑ぃ」と陽介が溢せば、「そうだな」と蛍が答える。このやり取りは、学校を出てからもう五回目だ。
制服を着崩している陽介とは違って、蛍はいつもきっちりネクタイを締めている。几帳面な蛍の性格は、小さい頃から変わらない。
おやつ代わりに注文したてりやきバーガーは、育ち盛りの男子高校生の腹を満たすには、余りにも物足りない。たったの三口で、陽介の腹に収まってしまった。
小腹すら満たされなくて、蛍のポテトをちゃっかり数本頂戴する。
チラリと陽介の手を一瞥しただけで、蛍は何も言わない。むしろ慣れっこだとばかりに、微かに笑った。
学生が多い所為か、ガヤガヤと賑やかな店の中で、陽介と蛍だけはお互いこれと言って会話もない。
スマホのゲームアプリのログインボーナスを受け取る陽介の向かいで、蛍は英語の課題に取り掛かっている。
傍から見ると、同じテーブルに座っているのが不思議な組み合わせだ。
隣同士に住む幼馴染みではなかったら、蛍と友達になっただろうかと、陽介はこれまで何度も考えた。そして毎回、「なってない」という答えに行き着く。
それはきっと、蛍だって同じだ。
だから今更二人とも、わざわざ相手に合わせたりはしない。
当たり前のように一緒に居ながら、当たり前のように各々違う事をする。
互いの性格も癖も、知り尽くしているからこそ生まれるこの空気は、とても気楽で心地良い。
起動したついでに、デイリークエストも消化しようと画面をタップした直後、着信音と共に通知画面が割り込んできた。
思わず感じた苛立ちは、メッセージの送り主を見て、更に大きくなった。
先週別れた彼女からだ。
男女交えた友達数人で、遊びに行かないかという誘いだった。
告白は彼女からで、別れを切り出したのは陽介から。付き合ってみたものの、性格も価値観も、陽介とはまるで合わなかった。
めんどくせ…、と正直思う。
別に喧嘩別れしたわけではないので、絶交しようなんて言わないが、かと言ってもう一度友達として、積極的に交流したいとも思わない。
何より、気を遣う関係には、もう疲れた。
陽介はマイペースな性格だし、気が利くタイプでもない。男女の関係には不向きなんだろうと、今回の件でハッキリ自覚した。
黙っていれば「機嫌悪いの?」と言われるし、こっちの言葉には一喜一憂される。
これまで付き合った相手は何人か居るが、どの相手との時間も、陽介にはただただ窮屈だった。
この場でメッセージを返す気にもなれず、ゲームをする気も失せてしまって、スマホをテーブルに放り出す。
「返事、いいのか?」
課題に集中しているのかと思っていた蛍が、ノートから顔を上げて訊いてきた。
「後でいいよ。元カノからだった」
「……お前って、誰と付き合っても毎回長続きしないよな」
呆れたというより、心配そうな顔で蛍が呟く。
いちいち別れた理由を聞いてこないあたり、陽介のことをよくわかっているなと改めて感心する。
「何つーか、『コレジャナイ』って感じなんだよ、いっつも」
「マイペースだからな、陽介は」
そう言って、すっかり冷めたポテトにようやく蛍が手を伸ばす。
萎れたポテトを摘む、骨ばった指。
女みたいに細くも、飾り気もない、素朴な指。
けれど何も施されていない蛍の爪は、形が良く、外見に似てシャープだ。
「……蛍さ。爪、綺麗だよな」
「は?」
課題に戻りかけた蛍が、呆気に取られたように陽介の顔を見る。
「俺、ネイルしてる爪より、何もしてねぇ方が好きなんだよ。けど、女にそれ言うと、毎回怒られる」
付き合ってきた相手は、陽介と出掛けるとなると、いつも気合の入ったネイルでやって来た。
ファッションの一部だとはわかっているが、陽介が純粋な好みを告げると、相手は「折角頑張ったのに」と不機嫌になった。
頑張ってくれなんて思わないし、そもそも頑張らなければいけない付き合いとは何なのか、陽介には理解出来なかった。
「それは、お前がデリカシー無いだけ」
しょうがないな、とでも言うように、蛍が苦笑する。
これまでの彼女からは、一度も返ってこなかった反応だ。
「でも蛍は、怒らねーよな」
怒るわけでも、拗ねるわけでも、落ち込むわけでもない。駄目出しはしても、突き放しはしない。
ああそうか、俺はこんな風に受け止めて欲しかったのか…、と蛍の反応を受けて思った。
一方、「え……」と一瞬言葉に詰まった蛍は、戸惑うように視線を揺らした。
「……俺は別に。怒る理由もないだろ」
そう言って、今度こそ蛍は、シャーペンを握り直して課題に戻ってしまった。
再び訪れる沈黙。
その瞬間、気が付いた。
誰かと付き合うたびに感じた、『コレジャナイ』理由。
沈黙も、同じやり取りの繰り返しも、陽介のマイペースな振る舞いも、気まずくならないこの空気。
店内の空調と喧騒に身を任せながら、互いに好きなことをして、ダラダラしても許される、蛍との時間。
十七年間を共にしてきた、陽介と蛍の二人にしかわからない感覚。
ずっと目の前にあったのに、どうしてわざわざ、他に求めてしまっていたのだろう。目の前にあったからこそ、気付けなかったのかも知れない。
慣れ親しんだ蛍の隣が、最も居心地の良い場所だったということに。
何も塗っていない爪が好きなのも、もしかしたら、蛍の手を毎日のように見てきたからだろうか。
そう言えば、蛍に彼女が居たことはない。少なくとも、陽介は蛍の口から、そんな話を一度も聞いたことがなかった。
元々恋愛に積極的なタイプではないから、特別不思議でもないのだが、蛍にそういう相手が出来たとしたら、どんな気分になるだろう。
今、蛍の目の前に座っている陽介の居場所も、いつか他の誰かのものになる時が来るのだろうか。
想像すると、腹の奧がズンと重くなる感じがした。
───お前、俺に彼女が居た時、どんな気持ちだった?
蛍にはこれまで何でも話してきたのに、この時初めて、不安を覚えた。答えを聞くのが怖くて、喉から出かかった声を飲み込む。
相手の気持ちを窺うなんて、疲れるだけだと思っていたのに、蛍相手だと無性に気になる。
……いや、蛍だからこそ気になるのか。
自分は散々、何人もの相手と交際しておきながら、こんなことを気にしている陽介は、蛍の言う通りデリカシーが無いのだろう。
それを承知の上で、変わらず隣に居てくれるのは、蛍くらいじゃないか。
いつの間にか日も傾いて、店内には強い西日が射し込んでいる。
「コーラ。もう一杯買ってくるわ」
咄嗟にそう口にして、陽介は席を立った。
子供の頃、隣同士だというのに、夕方家に帰るのが名残惜しくて、「あとちょっと」と陽介はいつも蛍を引き留めた。結局門限に間に合わず、玄関前で待ち構える互いの親に怒られながら、二人で目配せして笑い合った。
これまで付き合った相手を、別れ際に引き留めたことなんて、一度もないのに。
一緒に居るのが当たり前で、そこに理由なんて必要なくて。だからこそ、今まで考えてこなかった。
「……そりゃ、誰とも長続きしねーよな」
ポツリと独り言ちると、胸の痞えがスッと取れた気がした。
着飾った彼女じゃなくて、見慣れた蛍が隣に居れば、陽介はそれでいい。
二杯目のコーラは、水っぽくなるくらいチビチビ飲もうと決めた。
この穏やかな時間を、少しでも長く味わっていたいから。
ともだちにシェアしよう!