17 / 35

第6話

  『なぜだっ!』  イサクはうろうろとその場で足を止める。  今日こそは行かぬと、あれほど固く決意したというのに。イサクの足はアダムの家の前だった。  ぐるるっと唸り声があがる。 『よし、引き返そう』  イサクは後ろを向き自室へと歩き出した。だが、歩みを進めるごとに心はしおしおと萎んでいく。  しっぽはだらりと地面に向かって垂れている。  どうしてか、アダムの顔を見なくては落ち着かない。昼間はそんな素振りは少しもないのに、夜になるとこれだ。  運命の番だから? 獣の如く本能に理性が負けているから?  ぐるぐると考えても答えは出ず。  そして気づけば、イサクまでその場でぐるりと尻尾を追いかけて回っていた。  その奇行を止めてくれたのは、橙色の淡い光に照らされたアダムだった。少しだけ開いた玄関扉から、顔を覗かせている。 「……何やっているんです」 『……これは、たまたまであって』 「ガゥガゥ言われても分かりませんから。……でも体調は良くなったんですかね」 「きゅ〜ん」  甘えたような声が出てイサクは全身の毛を粟立たせる。  ──馬鹿め! 何を間抜けな声をあげているんだ、俺は!  なんてことを胸中で呟こうとも、アダムには聞こえない。  本当に、とことん、忌々しい呪いだ。  アダムとは一定の距離が保たれていて、あちらが動く気配はない。触れられない距離が堪らず寂しくて、イサクは小さく細く尻尾を振った。  そして、冷たい瞳で見下ろすアダムの足元に、ゆっくりと寄り添う。おそるおそる上目遣いに見上げて、嫌がっていないか伺いながら。距離がゼロになると、垂れ下がったままの荒れた手に頭を擦り付けた。 『……』  そして、後悔した。  きちんと見ていたならば気づけたのに。  アダムの手が荒れているのは、毎日毎日冷たい水に触れているから。それは、アダムが必死こいて仕事に向き合ってきた誇りある手だ。  イサクは申し訳なくて、キュンキュン泣きながら、アダムの荒れた手を舐めた。 「……はあ。貴方のその姿、本当に卑怯ですよ。……次来る時はきちんと人の姿できてください」  あ、でも仕事中は駄目ですよ。  そう言ってアダムが撫でてくれる。頭のてっぺんを満遍なく手のひらで撫でられて、指先は耳の裏をこりこりとこねる。  あまりの気持ちよさに、イサクの尻尾はブンブンと大振りだ。  そうしてこの日も、イサクはアダムの手料理に舌鼓を打ったのだった。 「これは由々しき事態だ」 「なにがです」  イサクの独り言に、無機質な声音で返したのは、部下のノエだ。  彼は騎士を輩出してきた名家に生まれた次男坊だが、幼少期の事故により足が悪い。それが原因で、伯爵家では穀潰しと疎まれていた。  だが、本人は理路整然としていて話しやすいし、頭が切れる。なので、イサクは不遇な扱いを受けていたノエを7年前に拾ってきたのだ。文官に向いているのにその力を奮わないのは勿体ない。

ともだちにシェアしよう!