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142 俺がいる:S

 ホテルの部屋を出ても、誰もすぐには口を開かなかった。  扉一枚じゃ、残った神野たちに聞く気があれば声は聞こえる。先に出た八代と城戸がそのへんにいる可能性もある。用心するに越したことはない。みんな、そう思ってるらしく。  清崇(きよたか)が玲史を支えるようにして歩く2人のあとを、無言のままついていく。  大丈夫か!?  さっき、飲み込んだ言葉。沢渡(さわたり)も坂口も幸汰(こうた)も、玲史は大丈夫だという。一度は、大丈夫だと信じた。大丈夫なはずだと、自分に言い聞かせた……が。  大丈夫そうじゃない。大丈夫には見えない。  当然だろ。犯されたんだ。ほとんど知らないヤツらに。何度も。タチなのに。俺の、俺を守る……ために。  大丈夫じゃないだろう人間に大丈夫かなんて、聞けやしない。俺に出来ることなんぞ、たかが知れてる。  それでも。  俺ひとり分、何かは出来る。玲史に。玲史を。  少しでも楽にしたい。ちょっとでも安心させたい。いくらかでも癒したい。  早く、伝えたい。  ずっと、伝えたかった。  俺がいる。  だから、もう大丈夫だ。  自信も根拠もないが、そう言い切る。嘘じゃない。そうなるように。絶対、そうしてやる……。  廊下を進み、乗り込んだエレベーターのドアが閉まり。 「れ……」 「紫道(しのみち)!」  先に。誰よりも先に、玲史が声を上げた。  今日初めてまともに呼ばれて。まともに向かい合って。清崇から離した手を俺に向けて。もう少しで俺に触れるところまで伸ばした手を、止めて。 「ごめん。怒ってるよね?」  らしくない、不安そうな瞳で俺を見る玲史に……胸が軋む。 「いや……」  首を横に振る。  怒っちゃいない。  怒られたほうが嬉しいってのがあるとしても。玲史への怒りは、あったとしても微々たるもの。ここに来るまでの長い待ち時間の苛立ちの大半は、無力な自分自身に対するもの。そんなのは大したモノじゃない。  俺の心が痛むのは、玲史が傷ついてるからだ。  いつもは。コワいモノなんかないってふうに強い瞳をした玲史が、不安になる理由……ほかにないだろ。  傷ついて、気弱くなってるんだろう。本当は。周りの人間が思ってるより、俺が思ってるより。玲史自身が思ってるより、ダメージは大きくて。ツラかったんだろう。苦しかったんだろう。  玲史は大丈夫じゃない。  けど。  大丈夫にする。俺が……! 「れい……」 「触ってもいい?」  また。先に、玲史が……。 「は!?」 「大丈夫。ちゃんと洗ったから汚くないし。もう待てな……」  玲史の手を掴んで引き寄せ、思いきり抱きしめた。  バカだ俺は。  頭で考えるとこじゃねぇ。一瞬の間すら空けるとこじゃねぇ。1ミリの不安すら感じさせる前に、こうするとこだった。  ずっとこうしたかっただろ。  触りたかったのは俺のほうだ。  待てないのは俺のほうだ。  玲史に言わせるな! 「玲史……俺がいる」  やっと口にする。 「お前には、俺がいる」 「うん。ありがと」  背中に回された玲史の腕に、力がこもる。 「大丈夫だよ。僕は全然平気」 「平気じゃねぇだろ。あんな目にあっ……」  何言ってんだ俺は!  ツラいこと思い出せてどうする!  まだ時間も経ってねぇ、傷の乾く間もねぇってのに!   「紫道」  玲史が顔を上げ、俺を見上げる。その瞳は不安そうじゃなくなり、なぜか……楽しそうだ。 「あんなので僕がヘコむとか傷つくとか、思ってるの?」 「お……」  もってる、に決まって……。 「やられたのはムカつくし。疲れたし。腰もまだちょっと痛いけど、それだけ」 「だけ……って。お前、今さっきまで……」  906号室で、弱ってる感じ……で。  俺が怒ってるか、なんて……気にするくらい弱気になって……て。  触っていいか聞くくらい……全くらしくなく……て。 「神野は僕たちをボロボロにするのが目的だったんだもん。平気にしてたら終わらないから、演技してたの」 「えん……ぎ……?」 「そ。全部演技。恋人同士のフリ。傷つてるフリ。ね?」 「……ああ。心配させちまって、マジで悪かった」  玲史に同意して謝る清崇に。 「その分の気持ちは、帰ったら返してもらうとして」  幸汰が冷ややかに言い。 「理由はどうあれ。選択したからには、きみと清崇はコレを許容出来る自信がある。俺はそう信じた」  玲史に向かって続ける。 「紫道くんは本気できみを心配してたよ。すぐにでも助けに行きたいのを必死にこらえて……かなりキツそうだったけど、きみの邪魔をしないために待った」 「うん。わかってる」  玲史が俺を見つめる。 「ありがとね。助かった」 「玲史……」  俺が映る瞳に、不安の陰はない……のか? 本当に? 「幸汰さんも。たまきさんも、坂口さんも。ありがとう……あ」  3人に礼を言って、玲史が坂口に視線を留める。 「坂口さんはどこからどうして?」 「あー、風紀本部で川北たちに話聞いてさ。放っておけねーじゃん?」 「……いろいろナゾなんだけど」 「ヤツら全員知ってるし。博己知ってんの俺だけだし。部外者だけど俺が納得いかねーし。どうにかしたかったし」  坂口が大きく息を吐く。 「謎解きはあとで、川北とゆっくりやれ。つーか、お前も。川北の気持ち、たっぷり返してやんねーとな」 「もちろん」  玲史が俺を見て微笑む。 「あとで、ね」  エレベーターが止まり、ドアが開いた。  八代と城戸の姿はないが、油断せず。俺と玲史、幸汰と清崇は必要以上にくっつかず。静かにロビーを抜ける。 「玲史。俺……」 「ストップ」  ホテルのエントランスを出たところで。話しかけたたまきを、玲史が制し。 「ごめんはナシ。恋人同士のフリしてること、伝えてくれたでしょ。それで十分」 「じゃあ、せめてこれ……もらってくれ」  たまきが、小ぶりな紙袋を玲史に差し出した。 「あの店の新規取り扱い商品の、サンプルだ。こんな時に何だけどよ。少しでも楽しめりゃ、俺の気が済む」 「サンキュ」  嬉しそうに受け取った玲史は。 「今日はもう帰るけど、マメに連絡し合おう。しばらくは警戒して情報を共有しておくほうがいい」 「オッケー」  幸汰の言葉にも眉を寄せることなく、笑顔で。 「がんばってね、清崇」 「……お前はほどほどにしろよ」 「どうかなぁ」  清崇との会話も楽しげで。 「俺は学園に戻る。高畑の当番は代わりにやっといてやるぜ」 「ありがとうございます」 「一晩寝りゃ元気だろ」 「明日の分もお願いしといたほうがいいかも」 「ちゃんと来い。2人そろって」  坂口との会話も楽しげで。  キゲンよさげなのが、逆にコワい。  やっぱり。  無理してるんじゃないか?  強がってるんじゃないか?  こんな笑顔で。楽しげで。ゴキゲンとか……あるのか?  一度は消えた不安を育てる俺に。 「紫道。一緒に帰ってくれる?」  玲史が聞いた。 「ああ。そのつもりだ」  即答する。  ノーはない。  平気だと言われても、ひとりで帰す気はない。  送ってって、何か食わせて。きっちり休ませなけりゃ……。 「今夜は、うちに泊まってくれる?」  玲史が聞いた。

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