9 / 665
赤ずきんの檻 7
怖い
怖い
悪態をついてここから飛び出して行きたかったけれど、それをするにはあかの今までの経験が邪魔をした。
世の中には、怒らせてはいけない人間と言うのが、少なからずいる。
震えが、足に来た。
「いや、いい」
男が軽く手を上げると、運転手は一礼して外への扉から出て行った。
二人きりになり、更に煙の密度が増した気がしてあかは頭を振るが、臭いはそれでも付きまとってくる。
不愉快で、イライラして、熱が上がったのかもしれないと額に手を当てた。
「────端金だ」
彼らの使う金のどこからが端金なのかわからない。
到底それはあかが想像つくような金額ではなかっただろうが、それでも緩く首を振って答える。
「 いえ、 払います」
そう言う恩を、彼らのような家業の人間に押し付けられてどうなるか、よく知っているからだ。
何が、どう言ったことが彼らの付け入る隙になるか……
「 借りた物は 借りた物です」
震え続ける手を握り締め、やはり小さく震えている足に力を込めた。立ち上がって、すぐにでもバイト先に泣きついて、金を工面してこなければいけない。
一日遅れて、返せなくなるなんてことがあっては、あの機嫌のよさが消えてしまうと、送り出してくれた母を思い出す。
珍しく、機嫌の良い母。
自分がなんとかしなければ……
ふぅー……と吐かれた煙に、悪寒がする。
落ち着くために吐いた息に熱が篭り、暑さに堪らずパーカーの前を少しだけ下ろした。ほんの僅かでも涼しくなったような気がして、先程よりは凪いだ心持ちで口を開いた。
「 すぐに も も、ろってき ま 」
呂律がうまく回らない……と思った瞬間、心臓の辺りを殴られたような衝撃が襲った。
は っと肺の中身が押し出されて呼吸が止まる。
こちらを見下ろす視線が、煙の向こうに見えた。
「 ひ、 す る、行き ぃま 」
かちん かちん と喋る度に歯が鳴る。
息がうまく、吸えない、体中が灼けそうに熱い、
「行く?」
男は酷く可笑しそうに笑みを浮かべた。
牡の顔に浮かんだ軽薄とも言える表情に、あかは反射的に逃げようとした。
「その体で、どこに?」
ひ ひ と、息をしようと思ってもうまく吸い込めず、やたらと熱い空気ばかりが喉を灼く。
それでも逃げようと身を捩るも体は立ってはくれず、不格好に床を這いつくばった。磨き上げられた床に、ぽとりと雫が落ちる。
「ぁ、 あ?」
自分の汗だと思っていた。
「そんな顔で涎を垂らして」
言われて初めて、床を汚した雫が自分の唇の端から流れ落ちたものだと知り、あかは小さく首を振る。
「や、ら らんか、オレ、 おか 」
身の内側を灼くような熱に耐えられずに赤いパーカーを掴んだ。
「あつ 」
「熱い」と譫言のように繰り返すあかの傍で、一際きつい煙草の香りが漂う。避けたくて顔を背けていたはずのソレに、すん と鼻が鳴った。
「なん ぃ、い にお 」
「オメガで間違いなさそうだな」
オメガ……と口の中で繰り返して、一瞬で意識がはっきりした。
「あ、オレ、知らない、 わからないです!」
あかは自分を冷たく見下ろす男から逃げるように、じりじりと後ろへと下がろうとするが、容赦ない無作法さで男はあかを跨いだ。
革靴に左右を挟まれて、上に逃げるしか道はないはずなのに、男の吐き出す煙が鼻を擽る度にずり上がる気力を奪っていく。
ともだちにシェアしよう!