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(6)立派なお兄様

さて、今年の夏はとにかく暑い。 これじゃあ、いくら猫でも熱中症で体調を崩しちまう。 何て思っていたら、人間もおなじのようで、タイチのお祖母様が体調を崩したという知らせが舞い込んだ。 「お兄様、すぐに戻って来られると思います」 「タイチ、お祖母さん、大丈夫なのか?」 「ええ、毎年の事なんです。ふふふ。お祖母様は、暑いの苦手なので」 タイチは、荷物を纏めながら言った。 「では、お兄様。行って来ます!」 「ああ、しっかり看病してこいよ」 タイチを見送るユウジ。 ユウジは心配そうな顔でタイチを見守っていた。 うんうん。 ユウジはタイチ思いだからな。 身内の事までしっかり心配してやるとか、さすが愛しのお兄様ってとこだな。 ははは。 そんな風に思っているとユウジは、ニヤリと微笑みを浮かべた。 な、なんだ? 俺は、ジッとユウジを観察する。 すると突然、ユウジはタイチのベッドにダイブした。 そしてモゾモゾと布団に潜り込む。 あれ? これデジャブだぞ。 ってか……ユウジ、お前もかよ。 布団からポンっと首を出したユウジは、 「タイチ、タイチ……可愛いよタイチ!」 と、呟き始めた。 ずっと溜めていた物を吐き出すように。 俺はそのユウジのムフフ顔を見て、これはせっかくのイケメンも形なしだな、とため息をついた。 「にゃ……」 気持ち悪っ……。 俺は、そうは言ったが内心は、どれだけお似合いだよ! と、ほくそ笑みながら、そっと散歩に出掛けた。 さて、夜になった。 やはり、一人いないだけで部屋は広く感じられる。 普段、この時間はタイチは机で一生懸命に日記をつけている時間だ。 がらんとしたタイチの場所。 一方、ユウジはベッドでゴロゴロしているはずだが、今日に限っては机に向かって勉強をしている。 おかしい。 試験はついこの間終わったばかりじゃなかったか? 一心不乱に勉強にいそしむユウジを見て、こいつはそんなにまじめだったか? と思ったりした。 それから、数日が経った。 夕刻になり、部屋の外からユウジの足音が聞こえた。 俺はトコトコと玄関に出迎える。 「ただいま、ミルク」 「にゃー」 「タイチはまだか……」 ユウジは、部屋を見回し、ため息を漏らす。 タイチは、すぐに戻ってこれそう、って言っていたが、どうしたのだろうか? ユウジは、すぐに気を取り直して机に向かう。 また、勉強か? それにしても、ユウジはタイチがいなくても全然平気そうだ。 日々を淡々と過ごしていく。 タイチの時とは大違い。 タイチだったら、毎日枕を涙で濡らしていただろう。 ユウジは薄情だよな……。 さすがにそう思った。 俺ですら、タイチの膝の上が恋しくなってきたというのに……。 ユウジは、脇目も振らずもくもくと勉強をする。 本当に勉強しているのか? 俺は興味本位でユウジの机を覗きに行った。 すると、俺に気が付いたユウジが優しそうな笑みを向けた。 「ミルクか? どうした?」 「にゃ!?」 俺は驚いてのけ反る。 ユウジは、じっと俺の目を見つめる。 な、なんだ!? 俺は、驚いて背中の毛がぞぞぞっと逆立った。 な、なんで俺をそんな目でみる!? まさか、お前、俺に気があるのか? 俺が身構えると、ユウジは優しく俺を抱っこした。 そして、背中を撫でる。 「なぁ、ミルク。俺、勉強ばっかりしておかしいか?」 「にゃー」 おかしいな……お前、タイチがいなくなって変になったんじゃないか? お前、もっと優しい奴だと思ったけど、最近のユウジは、なんだか冷てぇよ。 ユウジは微笑む。 「俺はさ、頑張らなきゃいけないんだ。俺は完璧でなくてはいけない」 「にゃ?」 ん? 何を言っているんだ。ユウジ。 俺は小首を傾げてハテナ顔をした。 「ははは、ミルク。最初に会った時も思ったけど、お前、もしかしたら俺の言葉が分かるんじゃないのか?」 「にゃ……にゃぁ」 まぁ、そうだけどな。 でも、別にお前が特別ってわけじゃないぞ? って、なんだかツンデレみたいな言い草になったが、本当のことだからしょうがない。 俺は、なぜか恥ずかしくなって、さり気なく毛づくろいをした。 ユウジは、そんな俺を見て、微笑む。 「なぁ、俺の昔話を聞いてみないか? ミルク」 ユウジは、俺の背中を撫でながら話し始めた。 ユウジが語った内容は、聞いた事が有る内容だった。 そう、タイチが話した二人の出会いのエピソード。 「あいつ、最初、元理事長の息子だって言ってさ……ふふふ。俺はびっくりしたぜ」 ユウジは昔を懐かしむように目を細めた。 「身なりは整っていてバカ丁寧な話し方。俺のような庶民を上から見るような奴と思って、『一緒の部屋はお断りだ。絶対に追い出してやる!』って意気込んだものだ」 そして、事あるごとに、強い口調で、 『言われた通りにやるんだぞ。じゃなきゃ、お前と同室はごめんだ。いいな』 と突き放すように言った。 「いま思い出すと、大人げなかったな。俺」 ユウジは、後悔をするようにつぶやく。 でも、その度にタイチは、『はい。分かりました。お兄様』と、素直に命令に従おうとするのだ。 いつしか、ユウジは、それが本当に自分の事を先輩として尊敬しているのだと、肌で感じるようになった。 ユウジは決心する。 俺は本当に尊敬できる『お兄様』にならないといけない。 こいつの気持ちに応えられるような立派な人間に。 それからというもの、ユウジは勉学だけでなく委員会活動、学校行事に至るまで手を抜かず完璧にこなすように努力を重ねた。 そして、学年トップの成績を修めるに至る。 今でも、当然その地位をずっと保持し続けている。 あまり勉強しないように見えて、じつは教室や図書室に残って勉強をしているのだ。 まぁ、これは普段の見回りで知ってはいたのだが……。 ユウジはそこまで話すと、俺の顔を見て言った。 「おかしいか? ミルク」 「にゃーにゃー」 そんな事はないぜ、ユウジ。 ユウジは俺の両脇を持って持ち上げた。 「俺にとってタイチは特別だ。だらだら過ごしていた日々をこんな充実した日々に変えてくれたんだ。感謝してもしきれない。だから、そんなタイチをがっかりさせるわけには行かない。今の今でも、俺は片時も手を抜くことはできない。な、ミルク。だから、俺は別に薄情なわけじゃないぜ?」 ユウジはニヒルに笑う。 「にゃ!?」 な……こいつこそ、俺の気持ち分かるのかよ!? ふっ。 分かったよ。確かに、お前はすごいよ。 伊達にイケメンってわけじゃないって事は分かったよ。 まぁ、タイチが惚れるのも分からないでもない。 って、俺は、別に惚れてないぞ? いいな? ユウジ。 「ははは。目が泳いでいるぞ、ミルク。お前は面白いやつだな」 ユウジは、知ったような顔で笑いながら、俺をそっと下ろした。 しかし、俺とユウジの思いとはよそに、タイチは一向に帰ってくる様子はなかった。 俺は心配になって、寮の前の門柱の上で一日中外を眺めていたこともあった。 「タイチは、もう帰って来ないのかもしれないな……」 ユウジは、スマホの画面を見つめて、そうぼそりと呟いた。 目を閉じて、唇を噛み締めていた。 タイチの奴。連絡ぐらいしたっていいじゃないか……。 メールを一本よこすだけでいいんだ。 このままじゃ、ユウジが可哀そうだ。 俺は、最近の見回りのコースを高等部を回るルートに切り替えていた。 グランドでは、体育の授業でサッカーをしていた。 その中にユウジの姿を見つけた。 「ユウジ! 頼む!」 「オーケー!」 ユウジは、クラスメイトから受け取ったパスをダイレクトに蹴り込んだ。 ボールは、ゴールキーパーの頭上を越えて、ゴールネットを揺らした。 「ナイス、シュート!」 クラスメイト達から賞賛の声が挙がる。 片手を上げてそれに応えるユウジ。 ユウジは笑いながら言った。 「まぐれだ、まぐれ。ははは」 その表情は、心配事など何もないような微笑み。 クラスメイト達は、ユウジにつられて笑いだした。 胸が痛い……。 いてぇよ。 ユウジ、完璧なんて演じることないぜ。 だから、笑うなよ、ユウジ。 いいんだよ、笑わなくて。 辛いときは、辛いと言えよ。そして、泣けよ。 俺は、土手の芝生をトボトボ歩きながら、まぁ、仔猫の俺が言ったとことでな……とぼやいた。 タイチが帰ってきたのはその数日後。 夕暮れ時。 何事もなかったような明るい態度。 「ただいま! お兄様!」 「ああ、お帰り、タイチ」 ユウジは、優しく微笑むとごく自然にそう言った。 今日出かけて、今日帰って来た。 そんな当たり前の挨拶のように……。 「ただいま! ミルク!」 タイチは、俺を両手で掴む。 俺は、プイっと、顔を背けた。 俺は手放しで喜べない。 タイチは、不思議そうな顔をして俺を見る。 「どうしたの? ミルク?」 「にゃーにゃーにゃー!」 俺はタイチの手からすり抜けてトコトコと場所を移動した。 振り向き様にタイチを睨む。 タイチ、お前、こんなにひどい奴だとは思ってなかったぞ! メール一本もよこさないで! 俺の怒りが伝わったのか、タイチは言い訳を始めた。 「お兄様ごめんなさい。お祖母様、元気になったのになかなか帰してくれなくて……」 「そうか、無事だったのならよかったな。タイチ」 ユウジは、タイチの荷物を運びながら答えた。 何気ない言葉だが、安堵の気持ちが窺える。 普通だったら、どうして連絡をよこさないんだ、とタイチを責めるところだ。 しかし、そんな事はしない。 こいつは、心からタイチの事を心配しているんだ。 やべえ、ユウジ。 お前、マジいいやつ。 俺、本当に誤解していたわ。 それに引き換え、タイチの奴! そのタイチが言った。 「お手紙見ていただけました? 今度、お祖母様がお兄様を連れてくるように言われまして……ご都合はどうでしょう?」 「手紙?」 ユウジはぽつりと言った。 そして、はっとした顔になった。 「タイチ、もしかして手紙を書いていたのか?」 「はい。それも3通。電波が悪くてメールができなかったので。お兄様からお返事がなかったので、心配していました」 「な、な、な」 ユウジは、慌てて部屋を出ていった。 管理室に向かったのだ。 俺は、それを呆気に取られてみていた。 はぁ……完璧が聞いて呆れる。 おいおい、ユウジ。 お前、手紙ぐらいチェックしろよ。 連絡手段はスマホだけじゃないぞ? まったく……。 と思った俺も、その手があったか、と自分のぬかり具合に自嘲した。 「改めてお帰り、タイチ!」 「はい! お兄様!」 カチン! ジュースが入ったコップが鳴った。 俺はミルクにありつく。 ユウジは満面の笑みでジュースを飲む。 手紙に何が書いてあったのかは知らないが、相当嬉しかったようだ。 俺は、ここ数日のユウジを知っているだけに、なんだか嬉しくて涙がでそうだ。 それに、タイチ。 お前も嫌なやつじゃなくて、本当に良かったよ。 まぁ、俺は信じていたけどな。うん。マジだぞ、マジ。 「ねぇ、ミルク。今日は、ボクと一緒に寝てくれない? ボク、ずっと寂しかったんだ」 タイチは唐突にそう言った。 「にゃーにゃにゃ……」 それは嫌だな。 確かに誤解は解けたけど、俺もホッとして今日はゆっくりと寝たいところなのだ。 俺はトコトコと去って行こうとすると、ひょいっとユウジに抱きかかえられてしまった。 そこで、ユウジが言った。 「なぁ、タイチ」 「はい?」 「今日は、一緒に寝ないか?」 ユウジの何気ない提案に、何を思ったのかタイチは顔を真っ赤にした。 ユウジは、そんなタイチの姿を見て、はっとする。 「ち、違う、違う。ほら、ミルクも一緒だ。な? ルームメイト全員が揃ったんだ。どうだ?」 慌ててそう言ったが、ユウジも顔が真っ赤だ。 まぁ、誤解されるような言い方をする方が悪い。 って、俺を巻き沿いにするなよ! まったく、俺をダシに使いやがって。 「は、はい。お兄様。ミルクも一緒なら……」 「おう、そうか、そうか。ミルク! よかったな! ははは」 「にゃー」 よくねぇよ……。 まぁ、しょうがないな、ご主人達。 で、どっちのベッドで寝るんだ? ほら、俺が先に温めておいてやるよ。 俺は、ベッドの上にひょいっと上がるとすぐに眠る体勢に入った。 ふあーあ。 マジで、世話が焼ける。 俺だって、ホッとしたんだよ。お休み……。

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