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Ghost

 崔との決着がついて、一年が過ぎた。  俺達は、なんという事もない日常のなかで、平穏に過ごしていた。  その夜は、ミハイルは仕事でロンドンにいて、俺は久しぶりにゆっくりベッドで手足を伸ばしていた。    ふと.....目をやると部屋の隅に誰かが佇んでいる。  整えられた髪、背の高い.....血の気の無い顔、黒いコートにスーツ姿で、腕組みをしてじっとこちらを見ている感情の無い眼...。  冷たい汗が背中を流れる。 ーまさか.....いや、アイツは死んだ筈だー 『その通りだ。レディ......いや、リヒャルトの息子』 ー崔.....ー  俺は咄嗟に枕の下に手を伸ばし、銃をまさぐろうとした。が、身体が動かない。指の一本すら動かすことが出来ない。 『随分と久しぶりだが、相も変わらず、あの野蛮人と枕を交わしているとは....悪趣味は直らないようだな』 ーうるさい!.....今ごろ迷って出てきても、お前に勝ち目なんか無いぞー  息巻く俺に、端正な面差しが小さく歪んだ。 『やれやれ、外面菩薩内面如夜叉というヤツか.....いや、お前はそこまで気のきいた奴ではなかったな、リヒャルトの息子よ』 ーなんだとぉ!ー  俺はヤツを怒鳴りつけてやろうとした。が、全く声も出ない。  すると崔のような影.....はするすると近付き、身動きの取れない俺の頬に手を伸ばした。手袋をはめた指の長い手だけが、夜の闇に白く浮き上がり、一層不気味さを際立たせる。 『苓芳の姿をして私を惑わせた罪は深いぞ、リヒャルトの息子.....』 ー何言ってやがる、お前が勘違いしたんじゃないか!ー  俺は心の中で叫んだ。と同時に、不可思議な感覚が起こった。 ー何故、こいつには俺が父さんの子だと、リヒャルト-ヘイゼルシュタインの子だとわかるんだ?ー  俺の心の中の呟きが聞こえたように、崔の影が、くくっ....と笑った。 『お前の父、ヘイゼルシュタインが、趙が傍でお前を護ろうとしている、庇おうとしている......まあ、お前には見えなかろうが...それに』  崔は、俺の頬を氷の手でするりと撫でた。一気に俺の皮膚が総毛立った。 『霊魂となった私には、お前の本当の姿が見えるのだよ。あぁ、あの頃のリヒャルトと良く似ている.....まっすぐな目をして、怖いもの知らずで......お前は小さな頃から、本当に変わらない』 ーこいつは何を言っているんだ?ー  俺は恐怖よりも不可解さで、崔の亡霊の顔を見上げた。 『そんなに不思議かね、リヒャルトの息子。幼い頃のお前は本当に可愛い子どもだった。この私にもよく懐いて.....リヒャルトから奪ってしまいたいくらいだったよ』  亡霊の唇が小さく歪み、俺は寒気が全身に走るのを止められなかった。 『あの時....リヒャルトを排除した時には趙に奪われて...苓芳に生き写しに変貌した今は、レヴァントに奪われ.....どれほどお前は私を苦しめるのだろうね、ラウル』 ー苦しめるって、いったい.....ー  崔がいったい何を言いたいのか、俺には理解出来なかった。混乱する俺に崔の亡霊は苦笑いして囁いた。 『私はお前が欲しかった。可愛い息子が、苓芳のように微笑む笑顔が....だが、それはいつも別の誰かに奪われ....私のものにはならなかった』 ー当たり前だろう、誰が...ー  心の中で言い掛けた言葉を崔の凍てついた声が遮った。 『最後の私の希みは叶えられたが....な』 ーえ?ー 『ラウル、私はお前を待っていた。あのチェストの中で父が命を絶たれるのを見たお前は、やがてきっと私を殺しに来るだろうと分かっていた....そしてお前はやってきた、私の最愛の者の姿で.....』 ー崔.....ー  崔の顔が、亡霊の顔がこれ以上無いくらい近い位置で俺を見つめていた。 『御仏はまことに慈悲深い。私の望む者が私の最愛の者に姿を変えて、私を地獄から救い上げてくれた......。ラウル、礼を言う』 ーえ?ー  死神そのものだった亡霊の崔の顔に血の気が戻った......おかしな話だが、死神の顔から人の顔に戻った気がした。 『私はお前が戻ってきて、私の地獄を終わらせくれるのを待っていた。そしてお前は私の希みを叶えてくれた.....』  ガチガチに身体の硬直した俺の唇に、そっと崔の唇が触れた。ひんやりと冷たい、まさに亡霊の口づけだった。 『感謝してるよ、ラウル。.....私はやっと苓芳に会うことができる。可愛いお前のパートナーがあの野獣なことだけは気に食わないが...』 「止めろ!ミーシャに手を出すな!」  俺は力いっぱい叫んだ。と同時に一気に身体の強張りが抜けた。 ー愛しているのか?ー  薄くなり始めた崔の影が俺に問うた。 「愛してる」  きっぱりと言い切る俺に、崔の亡霊は、ーしょうもないな.....ーと言いたげな笑みを浮かべ、徐々に薄くなり.....消えた。  俺はベッドから跳ね起き、全身にぐっしょり汗をかいていたことに気付いた。  それから......朝を待って、邑妹(ユイメイ)の部屋に行くまで、俺は一睡も出来なかった。 「どうしたの、小狼(シャオラァ)?」  目を丸くして部屋のドアを開けた邑妹(ユイメイ)の向こう、フォトフレームの中で崔と婚約者が静かに、幸せそうに微笑んでいた。

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