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「オマエらに捨てられんの、たぶん痛い。俺、またミスる。やり方も希望も、なんもねぇもん」 「……そっか。怖いのか」 「怖い……だから終わり、な? 離して、お願い」  恐怖という名前を教えられても、結局、俺はその恐怖に抗うすべを持たない。  ハルが俺を離して忘れるように祈る。  もう二度とここには来ないで、他の四人も同じように。  俺は俺を、なかったことにしたい。 「じゃあ、一つは俺が、取り除いてやる」 「あ……?」  けれど温かい腕は震えながらも俺を決して離さず、柔らかな甘露を与えた。  一瞬無防備に全ての思考を停止してしまった俺を抱きしめて、ハルは耳朶に唇を寄せ、恐怖を追い打つ。 「この世で一番、愛してるぜ。咲野」  本当に──クズの親友は、最低だ。 「は……はは……? なに、言ってんの?」  おかげで俺の体は震え上がり、血の気を失って筋肉が硬直してしまった。  だっておかしい。  俺のような欲張りの偶像がこんなに熱いハルに愛されるなんて、信じられない。 「俺、五人ともに恋して選べねぇから全部とか、クソじゃね?」 「そりゃ俺はそうじゃねぇから同感はしてやれねーよ。俺はたった一人がいれば他はどうでもいい一途なオトコだし、他人と共有なんか産毛一本したかねぇ。惚れた相手は真空パックして俺専用のマットレスにして毎日添い寝すんのがベスト」 「うんわかる。わかるわかる。そう。だからハルのマットレスにならない相手を、ハルは愛したりしないでしょ」 「や? 別にいい」 「ハル?」 「俺は一途なオトコだけど、お前がそれを超えるイカレ一途野郎だって知ってっから別にいいよ。俺の他に四人恋人がいたって」 「いくねーよ? ハル」 「いんだよ。お前は俺と他で優劣つけねぇし、生命線が五本ってだけで性能は各々スペシャル・ワンだし。選べねぇのは全員がマックス愛でそれが本気だってわかる程度にはお前のプログラムもわかってる」 「ないって、ハル、なぁ」 「いい。恋人が何人いようが俺の代わりなんかこの世に存在しねぇんだ。お前にとってハルキは唯一無二の替えがきかない人間。ないと狂う相手。それでいい。ってかダダこねて終わられるほうが無理だからいい。お前がいない世界に興味ねー」 「ハル、ハル、言葉通じてねぇよ。トモダチ思いは損だぜ。ほらちゃんと生きてあげるから、イイコだからバイバイしな」 「ハッ、この俺が情で愛してやるわきゃねーだろ。咲の取り分が減んのに」 「意味わかんない。ハルは友情に厚いからそう言うんだろうけど、俺はハルを愛してるし、普通には愛してやれねぇの」 「お前の愛し方、な。俺は別に? むしろそっちのがイイわ。それに俺が抱くお前への友情は……まぁ、教会で神父の前で語るようなやつだよ」 「なにが? それ知んねぇ、オマエ、聞けよ? 耳たぶ引きちぎって欲しいの……? し、ねぇけど、ね? ね? うふ?」  あんまりハルが突飛なジョークを言うから思わず一般的に愛する人にしてはいけないことをしようとしてしまい、無理矢理誤魔化して奥歯を噛んだ。  ハルは急に日本語を使わなくなったらしい。必死に説得しても知らんぷり。  だって、だって、でなきゃおかしい。  今日の俺はどこもかしこもみすぼらしく醜悪な姿で、内側は人生で一番手に負えず、見るに堪えない稚拙な感情と独りよがりなヘドロ願望を、恥知らずにも吐露した。  ハルを疑いたくないから、ハルの言う言葉はみんな真実とする。  ではハルが本気で俺を愛するバグに犯されたとしても、俺の呆れた泣き声を聞いてなお愛することをやめないのは、おかしい。  なぜならハルは、俺の知るハルキは、誰よりも欲深でワガママな男だから。  欲しいと思ったものをビタ一文も譲らない。どこまでも執念深く攻撃的で独占欲が強い。希代の欲しがり。  それと自分の間になにかが介在しようものなら、どんな手を使っても排除する。  そんな男がこんな無価値で人間性のないガラクタを愛してかつ、他人と共有することを許すなんて、有り得ない。絶対に。  有り得ないんだよ。こんな夢。 「愛したって、ちゃんとできねーよ。毎日できてると思ってたんだ。そんでも毎日なにかがおかしい。なにがおかしいのかわからない。思うさまでも、誰かのマネでも、裏も表もいつもズレてる。むしろイイって? なんで、どれが? なにが、ハル」 「んーこれが俺の愛し方ってことだろ。わかんねえ咲のズレた愛し方がイイ派」 「いや、俺の愛し方って、まずは今すぐハルを裸に剥いてすみずみ写真に撮るけど……? それ、アルバムにして毎年増やしたい」 「『もし今後父親みたいに俺が咲を愛さなくなった時、今度は夢じゃなくて忘れない記録がないとまともでいられないから』だろ? いーよ。嬉しい。そんかしお前のアルバムも作っていいならな」 「あはは、そんなのつまんねぇよ……でもハル、俺はショーゴとタツキとキョースケとアヤヒサのアルバムも、作るのに。ハルだけじゃねぇのに。普通じゃないのに」 「ん……」 「ハルだけがアルバムになっても、他の四人がいないって、夜毎恋しがりながら空いた棚を見る、クズなのに」  夢なら覚めろ。早く覚めろ。  どこから夢だった? 気づかなかった。ハルの声も、体温も、腕も。  俺が閉じても、不満そうにフンと鼻を鳴らして、機嫌悪く唸るハル。 「クズで結構。つか俺がいいなら形容詞の形なんかどうでもよくね? 俺は俺と同じかそれ以上に俺を愛してるかのほうが重要なんだよ。この世で二人きり邪魔者のいねぇ世界だとしても、俺を愛してねぇならユートピアとはいえねぇなぁ」 「けど、ひとりじめじゃねーじゃん。ひとりじめしてーんだろ、普通は」 「呪縛? もうできてっし。例えばいつか全員いなくなったとして、お前誰のアルバムを一番見返す?」 「は? 全員いないなら全部食べて|墓穴《はかあな》で天体観測しながら死ぬまで添い寝するけど。当たり前だろ?」 「ほら。平等に最高峰まで愛してる。お前は恋した時点で相手にぜーんぶ明け渡す。だから……いーよ。マジで」  何度祈っても消えないハルは、俺を抱きしめたまま、耳元でくくくと笑った。  やっぱ、今更すぎたか。  さっきまで散々現実だったもんさ。 「〝お前らを愛する人になりたい〟」 「う、ん」 「んなこと言って泣くんだもん、お前」 「? 泣いて、た? ……あぁ、ひと粒。……でも初めて、泣けた」 「そう。傷つけたくないからって一人でこんな地下室に詰まってさ? 砂粒すら残さず消え去った化石みたいな感情を這いつくばってかき集めて、どうにかこうにか流した涙」 「へたくそな、ね」 「けど、お前にとって涙は〝愛情の証明〟だろうが。ゲームに負けたのに約束が守れないから、お前は左手の薬指に等しいもんを俺に贈ったんだろ。それで十分、プロポーズ」

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