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それからしばらく。
時間にして数分ほどだ。
「絶対に会わないって約束で足にしたヤツだけど……未練がましいクソ野郎が、すぐそばにいんだ」
俺に八つ当たりしたハルが、残りの四人も集めようという自分の発言を進めるべく、赤らんだ頬を手の甲で擦りつつ提案した。
キョロキョロと視線をさ迷わせる。
すぐそばってどのすぐそば? 見えないだけで近くにいるなら、今すぐ記憶の消去ボタンを押してあげねーと。
言っちゃあなんだが、今の俺の姿はイケているとはほど遠い。
人間らしい生活というものをサボっていたので顔面はくすみ肌はガサガサ。クマは取れない。不健康の極み。
髪は半端に伸びてボサボサだ。
体は筋肉が落ちてやや貧相である。
まぁそれなりに背も骨もしっかりあるから厚みが減っただけだけど、逆に浮いてるとこもあんだよな。首筋とか、鎖骨とか、顎ラインとか。体の端から減るタイプ。
添い寝係という役柄上風呂は義務的に入り、最低限は整えていた。
でもほら、爪も伸びっぱでさ。
ヘビロテ一張羅のセーターもジーンズもくったくただよ。糸出てる。
心そのもののような男たちに人生どころか命をかけてクズ過ぎるお願いをしようというのに、こんな姿じゃあんまりだろう。
びょん、と指先で伸びた前髪をつまむ。
ハルはすぐに俺の考えを察して、手首にかかっていたゴムブレスレットで伸びた髪を一つに括ってくれた。ありがと。
「ユーレーみたいだからもういらないって、言われねぇかな」
「言わねぇよ。そんななりでも十分そこらにいないレベルにゃ上等なツラだぜ? お前パパ恋で昔からビジュ整えてたし、ケア怠っても素がイケメンっつう」
「俺は俺のツラ下等に見えるからわかんね。ハルのほうがかわいいんじゃね」
「今そういうのいらん。……ま、むこうのほうがお前より顔面死んでる可能性高いから、気にすんなってこと」
「おっと」
表情はいつもの薄ら笑い固定だが、今の俺は死刑執行前夜の死刑囚よりビビり散らかしている無様なノミ野郎だ。
不安を口に出すと、ハルは意味深な言葉を付け足して俺の背中を押した。
肩越しにチラリと振り向く。
部屋のドアをクイ、と顎で指すハル。
「なんで俺がこの場所を見つけられたか」
答えを見てこい。
前を向いて、ドアノブに触れた。
指先でなぞり、静かに掴んで、数秒静止し、一度手を離す。
これを開くと、あの醜態をドアの向こうでずっと聞いていた誰かと会う。
それがハルのヒントで導き出したアイツだろうが、他三人の誰だろうが、どういう反応をするかの予想はつかない。
けれど俺は、ガチャン、とドアノブを下ろして腕を押し出した。
ギギィ、とドアが開く。
いくつか照明が切れて薄暗い廊下。
長い動線をなぞるが、誰もいなかった。
闇の中に一歩踏み出し、手を離す。
重いドアがまた錆びた音を立て、バタン、と閉じた。部屋から漏れていた光が遮られて、廊下の影が増す。
「……みっけ」
その、閉じたドアの向こう側。
視線を下に向けた俺は、すぐに抱えた膝に顔を埋めてじっとうずくまる男の姿を見つけた。予想通り、大正解。
「どんな顔してんのか、俺に見せて」
同じ高さにしゃがんで声をかけると、肩がビク、と震えた。
だがそれっきり、なしのつぶてだ。
俺の存在に気づいているのにハニーブラウンの頭は上がらず、震えている。
どうやら王だと豪語していた俺のオネダリも聞けない有り様らしい。
あぁ、叱られると思ってんの?
金も地位も名誉も能力もなにもかも持っている立派な大人のくせに、性懲りもなく三度目 の反逆を起こしたから。
ホント、子供なんだよなぁ。
そんなんで怒んねーよ。子供ってのは、従順で反抗的なもんなんだからさ。
「アヤヒサ、泣かないで」
「……あなたの望みは、叶えたい……」
子供──アヤヒサは、やっと口を開いたかと思うと「でも、止まらない」と消え入りそうな涙声で訴えた。
泣いているアヤヒサの泣き止ませ方は不明だ。俺は手を伸ばすけれど、引っ込めることを繰り返す。
別に嫌なら話さなくていい。
ここにアヤヒサがいることと、ハルに出した条件と、アヤヒサが夢と同じように泣いていることで、なにも言わなくてもここに至るプロセスくらいはわかる。
俺の居場所を、アヤヒサはもっと早く知っていたのだろう。
ただ、会いには来なかった。
たぶん俺が「俺のそばにだけはいちゃダメだね」と言ったからだ。
聞き分けのいい大人というロボットであろうとした。だけどできない。
アヤヒサは人間だ。
ハルの頼みを聞いてハルをここに送ったのは、自分じゃなければ許されるだろう? と言い逃れるための屁理屈である。
なのに「ならなんで部屋の前まで着いて来たんだ?」と聞かれることに怯えて、なにも言えない。
そんな愚かなアヤヒサを、俺はやっぱり、自分からは捨てられないのだ。
「っ……」
「怖い? ダイジョウブ。俺もコワイ」
力加減には気をつけて、なでる程度の力で俯くアヤヒサを抱きしめた。
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