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01(side翔瑚)
毎週恒例の木曜日。
俺、初瀬翔瑚が、その恋人、息吹咲野を独占できる日である。
『ショーゴ、スーツが好きなの?』
──それが崩れたきっかけは、仕事帰りでスーツ姿の俺を見つめる咲が、脈絡なくそんな話をし始めたことだった。
晩酌の準備をしようとキッチンに向かいかけていた俺は、足を止めて振り返る。
『ええと……スーツは好きというか、仕事着だから着ているだけだな。咲はスーツを着ないのか?』
『んー? 確かにね。俺はあんまねーカモ。アヤヒサとか、他の人と行くパーティーの時だけ』
『…………』
そして咲がなんの気なく答えたセリフで、元来のヤキモチ焼きがぷく、と膨れ上がってしまったのも悪い。
だから俺は、こう言った。
『……予備のスーツがあるから、俺のでよければ着てみるか?』
あぁ、そうだとも。
悪気はないが、下心はあったとも。
俺が見たことのない咲のスーツ姿を、忠谷池さんや俺の知らない人は見ている。
そんな事実に、泣き虫の寂しんぼうがウズウズと疼いて魔が差したのだ。
それに一応、俺が咲との年の差を気にしているというのもあった。
普段は気にしないぞ。
だけど、たまに少し、寂しくなる。
仕事の話を聞いてもらっている(隠してもバレるんだ)のに、俺はカフェのアドバイスなんてできない。
そもそも咲はミスをしない。
してもすぐに挽回する。取り乱さない咲なので、対処が冷静だ。
年上の俺はメンツが立たず。
役にも立たず。
会社、企業での立ち回り方なら覚えがあるのだが、接客業の咲には関係ない。
俺は恋人になっても、咲に教わってばかりだ。ヒーローのヒーローになるのは、なかなか叶わない夢である。
もちろん咲にそんなことは言わない。
五つ年下でカフェの店員な咲だって、バカみたいにカッコイイ。
けれど同じスーツ姿なら、つかの間の同僚というか、同じ世代になっている気持ちになれるだろう?
あとは咲が俺のスーツを着ているというのがグッとくる、と思ったりもした。
カレスーツ……いや、俺が抱かれる側なのでカノスーツだろう。
どちらにせよグッとくる。
全力でスーツを推奨したい。
咲のスーツ姿が見たいだけの俺に差した魔は、そういう魔だった。
格好が同じになったところで、咲に仕事をフォローするという恩返しができる立場になったわけじゃないというのは、百も承知である。
俺が夢見がちなのは、悲しくも周知の事実だ。大目に見てほしい。
ゴホン。話を戻そう。
それで、咲に予備のスーツを貸した結果がどうなったのか、だが。
「ショーゴ、いーの? そんなんじゃ簡単に取れちゃうケド」
「あ、あぁ……ちゃんと、締める」
現在の俺は──咲のネクタイを、背後から抱きしめるように結んでいた。
夢見がちな俺のバカ。
夢を見るにも限度があるだろう。
咲が「ネクタイのやり方わかんない。ショーゴ、おせーて」と言ったので、俺がこうして締め方を教えているのだが、ダメだ。
同時に俺の心臓が締めあげられているせいで、なかなかネクタイを結んであげられない。
(お、俺が咲に触って、咲がされるがままで、俺が咲に教えて、咲が、うぅ……っ)
「あはっ。手ぇ震えすぎて動いてねぇじゃん、ショーゴちゃん。くすぐってぇ。うふ。鎖骨モゾモゾする」
「あ、あぁ……」
(咲がくすぐったがって笑っているなんて……うぅ……かわいい……っ)
あまりの幸せな状況に、プシュウ、と頭から湯気が出そうだった。
笑っていると言っても、いつも通りの表情で口元だけを緩めているだけだ。
普通に考えると咲はすこぶるカッコよくて、色っぽい笑い方をしている。
けれど幸福フィルターがかかった俺の目には〝くすぐったいが俺から逃げずにネクタイを結ばれるまで待つカワイイ咲(当社比)〟としか映らない。かわいい。
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