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運命と過去との対峙⑤
「目が覚めましたか?」
瞳を開けるととナダールが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
寝かされていたのはさほど大きくも無いソファーの上で、自分は何をしていたのだったかとぼんやり考える。
「ここ、は?」
「ルイスさんの家ですよ。あなたはルイスさんの話を聞いている途中で意識を失ったのです、覚えていませんか?」
問われた言葉で思い出す。思い出した過去。再び思い出そうとすれば手が震える、その震える手を取られて抱き締められた。
「何を思い出したのか分かりませんが、それはあくまであなたの過去で、今のあなたには関係のない事です。今あなたを脅かす者は誰もいない。それだけはちゃんと頭に入れておいてくださいね」
ふわりと薫る優しい香り、心がすうっと落ち着いた。大きな手が頭を撫でる、この手はいつも自分を安心させる不思議な手だとずっと思っていたが、ようやく思い至った。ナダールの手はハンスの手によく似ている。
愛された事などないと思っていた、けれどそこには愛があった。
ただ、その思い出は大好きだった人の死と直結していた。
「もう、大丈夫。ごめん、話、中途半端になっちまったな」
「大丈夫ですよ、ルイスさんもレオン君に話したい事があったみたいで、今二人は別室で話し合いをしています。あなたはもう少し休んでください」
「そんな時間ないだろ」
「あなたはまた何か焦っていますね。何もかも一朝一夕にいく訳ではありません、休める時には休む、それもあなたの仕事ですよ」
言葉に身体の力を抜いてナダールにもたれかかった。ずいぶん緊張していたのか、身体のこわばりが半端ない。
「ルイに会いたいなぁ……」
娘は村に置いてきた。わざわざ戦場に娘を連れて来るほど酔狂ではない。村人達は子育てに協力的だ。持ちつ持たれつ、村外で働いている親も多いので面倒を見てくれる大人はいくらでもいた。
「泣いてないといいですねぇ」
「あの子、意外と神経図太いから平気かも」
「誰に似たんでしょうね」
くすくす二人は笑いあう。娘の話をしている時が一番落ち着く。
「レオン君、良い人でしたね」
「やっぱりまともな人間に育てられれば、子供はまともな人間に育つんだな。俺もこの家に引き取られたかった」
「レオン君と一緒に普通の兄弟として育てられていたら、何かもっと世界は違っていたかもしれませんね」
考えても詮無いことだ、それでも少し考えてしまう。もしそうだったら、不幸な人間はもっと減っていたはずだから。
部屋の扉がこんこんと叩かれる。「どうぞ」と声を掛ければレオンが居心地悪そうに扉を開けた。
「目が覚めているようなら、もう少し話しをしたいって、伯父さんが……」
「あぁ、その為に来たんだから、行くよ」
寝かされていたソファーから起き上がり小さく頭を振ると、レオンがおずおずとこちらを見やった。
「あの、さっきは酷い事言って、ごめんなさい。自分知らされてなかった事多くて、伯父から色々聞きました。自分ばっかり不幸みたいに思っていたんですけど、全然そんな事なくて、本当にごめんなさい」
「あ……いや、こっちこそ。色々訳も分からないだろうに捲し立てて悪かった」
気まずい沈黙。二人は血を分けた兄弟なのに、その二人の間の距離はあまりにも遠すぎた。
連れて行かれたのは先程通された客間とは別のルイスの私室だった。
「こんな事になるとは思っていなかったので、荒れ放題で申し訳ない」
ルイスの私室は色々な資料が山積みになった作業場のような部屋だった。
「これは……」
「ここ何年かの国の状況や王家の情報を纏めた物だよ」
「政治からは離れていると聞きましたが……」
「それでも慕って来てくれる者は何人もいてね、意見を求められれば返すくらいの事はしているのだよ」
それも最近ではめっきり減りはしたけどね、とルイスは自嘲気味に笑った。
「息子がそれと知られず王宮で働いていてね、政治の中枢とは程遠い所にはいるのだが、メリア王の動向は聞いている。勿論、戦争の話もね」
「あんたはそれを手をこまねいて見ているのか」
「見ての通り、今の私にはなんの力も無いからね。国を憂いてはいるが、今の私に何ができる? 謀略は失敗に終わり、私は弟と地位を失った」
「国を変えたいとは、思っているんだな?」
グノーは試すようにルイスに問う。
「その力が自分にあればな。君はそれを持っているのかい?」
「どうかな、幾らかは持ち合わせてるけど、まだ足りないって感じかな」
「レオンから聞いたよ、君は旗頭を探している、とね」
「それは俺には務まらないからな。そもそも俺はメリア王がいなくなればそれでいい、その後の事なんて知った事じゃない。メリアがどうなろうと俺はどうでもいいんだ、そんな人間に人民は付いてこない、もっと人を、メリア国民を惹きつける旗頭が欲しい」
「それを私に、いや、レオンにやれと?」
「人選的には悪くないと思ったんだけど?」
ルイスは考え込むように腕を組んだ。
「もし私達が断ったらどうする?」
「仕方ないから他所を当たるよ。国を簒奪したい地方貴族なんて探せば幾らでも出てくるだろうからな」
「国のその後なんて考えてもいないのに、か」
「それは国をとった奴が考えればいい、俺には関係ない」
「無責任な話だな」
「全くだ。それでも俺はやると決めた」
「子供のために?」
「半分は自分の幸せのために。身勝手だと罵るか?」
「人は得てして身勝手なものだよ」
ルイスは溜息を吐く。
「勝算は?」
「国民がちゃんと奮起すれば八割方」
「混乱に乗じてランティスにでも攻められたらひとたまりもないな」
「あんたが嫌ならそっちは俺が止める。ランティスもファルスもメリアには手を出させない」
「そんな確証がどこにある?」
グノーは黙って証書を二通差し出した。
「自国に火の粉が降りかからない限り、手を出さない事を了承させた」
「手回しがいいな」
ルイスは黙ってその証書を確認する。それは確かにそれぞれの国の王印が押された正式文書でルイスはこれは参ったなと苦笑した。
「君は六年前に出奔してから一体何をしていたんだ? ずっとこの機会を狙っていたのか?」
「あんたは俺が家出した事を知ってるんだな。こんな事今まで考えてもなかった、一人で生きて、一人で死ねばいいってそう思って去年までは生きてきた。だけどこいつに出会った、俺なんかに優しくしてくれる人達に出会った、なにより子供ができた。このままただ守られて不幸な人間を増やすくらいなら、戦わないと駄目だと思ったんだ」
長い沈黙、ルイスはひとつ息を吐く。
「どのみちもう計画は止まらないのだね?」
「あぁ、あんたが断ってもこの計画自体は止まらない」
ルイスはやれやれと言ったように首を振り、部屋の隅でずっと黙って話を聞いていたレオンを見上げた。
「どうする、レオン。君の兄はずいぶんな策略家だったようだよ」
「私に一体どうしろと……」
戸惑ったようにレオンも首を振る。
「お前はそこに居ればいい。お前はハンス・スフラウトの息子だが、先王の王妃の息子でもある。王妃の血統は向こうの王家の正統筋でもあるから、向こうからの文句も出ない。そもそも妾の子だった先王は血統の正しい王妃を娶る事で無理やり王家を黙らせたんだ、その王の子である現国王より、お前の方がよっぽど王に相応しい」
そう、先代のメリア王は実は本来ならば王家の正当な後継者ではなかったのだ。彼は所詮妾の子で、後継者としては数の内にも入っていなかった。けれど野心家だった彼は正当な後継者である正妻の子を排除して、腹違いの妹である王妃を無理やり嫁に娶り、その地位を手に入れた。
「詳しいのだな」
「この計画を立てる時に徹底的に調べたさ。おかげで今となってはちょっとしたメリア通だ」
「現国王は国民の支持が厚いぞ」
「弟への執着の異常さを世間にばら撒けば、国民だってどん引きだ」
グノーは鼻で笑う。
「そういえば、王宮にはどうやら偽のセカンドが居るようなのですが、ルイスさんはご存知ですか?」
「あぁ、知っている」
「何者なんだ、そいつ」
「ただの色街の子供だよ。うちの息子が君に似たのを見付けて王にあてがった。メリア王はその子供を気に入ったようで側に置くから操るのも楽だった」
「うわぁ、やってる事昔の側近と同じじゃん」
グノーが呆れたように言うのだが、ルイスはしれっとした表情で笑みを零した。
「国を乗っ取ろうとしていないだけマシだろう? 私は国民に目を向けるように少し誘導しただけだ」
「もしかして教会からの炊き出しとか……」
「偽のセカンドの口を通せば王はなんでも言う事を聞くからな。特に六年前君が城を出て行ってからファーストは人が変わったようになってしまった。偽のセカンドをあてがってからは彼に嫌われるのを恐れるように何でも言う事を聞いたよ」
「それじゃあ国を立て直したのって……」
「多少は私の意見が反映されての事だろうな」
開いた口が塞がらない。こちらが何をしなくても国を操っているのはこの男ではないか。
「そんなまどろっこしい事してないで、国ごと奪っちまえばいいのに……」
「そこまでの力は私にはないと言っただろ。人形遊びくらいがせいぜいだよ。それにレオンは弟の忘れ形見だからな、あまり矢表には立たせたくなかった。自分自身もな」
「まったく喰えないおっさんだ」
「それはお互い様だろう。まさか役にも立たないと言われていたセカンドがこんなにキレ者だとは思っていなかったよ。君は本当にΩなのかい? 匂いもほとんどしないようだが、そこの彼と番になっているせいかな?」
「まだ私達は番になっていないのですよ。先王が彼に付けたチョーカーが外れなくて項を噛む事が出来ません。元々鍵は先王が持っていたようなのですが、その鍵の行く末も探しています、何か知りませんか?」
ナダールが問うと、ルイスは首を捻った。
「鍵……何かどこかで聞いた気がするな……大事な鍵」
ルイスはしばらく考え込んだが「すまん、今はちょっと思いだせん」と頭を下げた。
「それにしても番になってもいないのに、よくそこまで匂いを抑え込んでいられるものだな。昔は君が来れば五百m先でも匂いが届いた、君の匂いに惑わされないようにαの連中は軒並み君を避けていたし、βですら時々迷う輩が現れるから大変だったのだよ」
「そうなんですか?」
「あぁ、君に近付けるのは番持ちのαかΩくらいのものだった。人数が少ないから使用人にも避けられていると思ったかもしれないが、君の身の安全のためでもあったのだよ」
また自分の知らない事実が出てくる。
確かに自分はブラックに出会うまでフェロモンの制御の仕方が分からなかった。だが、それほどまでに自分のフェロモンが強いという自覚もなかったのだ。
「あまりにフェロモンが強いから、ファーストよりセカンドの方が王の器に相応しいのではないかと囁かれていた事もあったくらいだ。さすがにΩの王もどうなのかという話にはなったがな。だが今の君を見ていると、いっそその方が良かったのではないかとすら思えるよ、現国王はあまりにも心が弱すぎる」
「そうやって育てたのはあんた達大人だろ」
「耳の痛い話だな」
ルイスはそう言って顔を上げる。もう迷いはないように見えた。
「セカンド・メリア……いや、グノー君だったか。君の申し出、受け入れよう。私で役に立つのならなんなりと使ってくれて構わない」
「伯父さん!」
「レオン、時は来たのだ。君の父親の、私の弟ハンスの仇 を取る時がきたのだよ。先王はまだ王家への返り咲きを狙っている、事が起こった時に動かれても厄介だ。旧体制の王家自体を叩き潰して、お前が新しい国の礎となれ」
「そんな……私にそんな事……」
「お前にならできるよ、私が保証する」
戸惑うレオンを諭すようにルイスは静かに微笑んだ。
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