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運命は妖艶に微笑む⑤

「そんなにそんなかな?」    クロードが自室に戻り、グノーは小首を傾げる。いちゃつくなと散々言われはするのだが、その加減が分からないグノーは首を傾げるしかないのだ。 「さぁどうなんでしょう、うちは両親もこんな感じだったので割と普通だと思うのですけど」 「俺、普通がいまいち分からないからなぁ。お前基準がおかしいって言われたらもうどうしていいか……」  グノーはナダールの膝に入り込む、そこは彼の最近のお気に入りの定位置なのだ。  ナダールにとってもグノーの身体は抱き込むのに丁度いいサイズで、腕の中に入り込む彼は本当に収まりがいい。これでグノーの膝の上に娘が乗れば完璧なのだが、なかなか最近それができないのが寂しい限りだ。 「あなたはお兄さんに会うのは怖くはないのですか?」  もたれかかってくるその体重を受け止めてそう聞くと彼は少し考え込む。 「怖い……かな、やっぱり。でも今は絶対あいつより強い自信あるし、一人じゃないの分かってるから大丈夫、負けたりしない」 「無理はしなくていいんですよ?」 「無理してるように見える?」 「だいぶ前から焦りは感じていますね。そんなに急いで何もかも変えようとしなくてもいいのに」 「勢いは大事だろ?」 「あなたの場合勢いがつき過ぎて変な方向に走って行ってしまいそうで、少し不安になります」 「軌道修正はお前がしてくれるから大丈夫」 「責任重大ですね」  重ねた手が温かい。 「会って確かめなきゃいけない事があるんだ」 「確かめる事?」 「ずっと不思議だったんだ、あれだけずっとレリックに抱かれていて子供ができなかった事。身体だって反応しなかった、ヒートの時ですらそうだった」 「何かあるんですか?」 「男性Ωはα相手なら妊娠するけど、β相手には妊娠できない」 「それは……メリア王がβだったとそういう事ですか?」 「αの匂いはしてたんだけどな。俺のフェロモンはβにも効く、可能性は0じゃない」 「それを知ってどうするのですか?」  グノーは少し黙り込む。瞳を伏せた彼の表情は暗い。 「メリア王がβだったら何か変わりますか? 今彼がやろうとしている事は何も変わりはしませんよ」 「それはそう。だけど、変わる事がひとつある」 「なんですか?」 「あいつの執着の原因が俺の側にある可能性」  グノーの手は少し震えていた。 「元々俺のフェロモンが強かったっていうのはルイスさんも言ってた。自覚はなかったけど、バース性の奴等はみんな気付いていたんだ、俺が異常なんだ。レリックはそれと知らずに俺のフェロモンに惑わされた……そう考えるのが自然だろ?」 「あなたの兄があなたにした事すべて、あなたの責任だったとそう言いたいんですか?! 何を馬鹿げた事を! そんな事あるわけない!」 「でもこの異常な状態の責任の一端が俺にある事は間違いないだろ!」  グノーは手で顔を覆う。 「俺は知らなければいけない。この狂った世界のすべてを、その理由がなんなのかを」 「あなたはそんな事を考えていたのですか……」  小さく丸くなるその身体を包むように抱え込む。よく分からない焦り、苛立ち、その正体はこれだったかとナダールは怯えたようなその身体を慰めるように撫でさすった。 「怖くないわけない、だって俺に関わったから皆おかしくなっていくんだ、本当にこの仮説が正しければお前だって!」 「私がなんですか? 不幸になるとでも言いたいのですか? それともあなたのフェロモンに惑わされているだけだとでも言いたいのですか?」 「可能性が無い訳じゃない」 「その可能性は限りなく0ですよ。あなたはずいぶん前向きになったと思っていましたけど、全然ですね。後ろ向きに全速力で走って行くのはやめてください。私はあなたのフェロモンに惑わされてなどいない、あなた自身が好きで一緒にいるだけです。そうでなければここまで一緒にいてあなたを襲わない訳がないでしょう」 「襲いたいとは思ってるんだろ」 「好きだから耐えているんじゃないですか、褒めて欲しいくらいですよ。ただ単にフェロモンに惑わされているのなら肉欲の方が勝ちますけど、私はそんな事絶対しません」 「でも最初は、やっぱりフェロモンのせいだった」  少しの苛立ちを覚える。グノーは俯いてしまうが、一体それの何がいけないのか分からない。 「何をそんなに不安に思っているのです? 言いたい事があるのならはっきりおっしゃい」  グノーは少し言いよどみ、意を決したように言葉を吐いた。 「お前や俺に優しくしてくれてる人達が俺によくしてくれるのは、俺のフェロモンのせいなだけって可能性……」  開いた口が塞がらない。何を突然そんな事を……と大きな溜息を零してしまう。だが、その溜息にグノーの心が激しく揺れたのが分かる。顎を伝って雫がひとつぽたりと落ちた。  しまった、泣かせた…… 「今まで、誰にも相手にされてこなかったんだ。っふ、フェロモン、コントロール、ある程度できるようになって……ようやくっ、ここまで普通にっ……」  ぼろぼろと涙が零れ落ちるのを、掬い上げる。 「そんなに怖かったんですか?」 「お前には、分からないっ。誰にも相手にされないのがっ、どれだけ怖いか!」 「そうですね、ごめんなさい。私が軽率でした。でもこれだけは信じてください、私はあなたが愛しくてたまらない。それはあなたがフェロモンで誘惑したからではありませんよ。そんなものとは関係なく、私はあなたが好きです。最初はそうですね、さすがに少し惑わされたりしましたけど、今はあなたから匂いを感じなくてもあなたを抱きしめたいと思いますし、傍にいたいと思います」 「うぅ……っ、っく」  本格的に泣き出してしまった彼の背を宥めるように撫で続ける。 「私は今少し嬉しいですよ、あなたが私に弱味を見せてくれる事、頼ってくれる事。あなたは強くていつも私を置き去りに走って行ってしまうから、自分だけこのままでいていいのかと不安になる事も多いんです。どんどん世界は変わっていくし、私は場違いな場所で場違いな事をしているといつも感じていました。それでもあなたの傍を離れたくはないのです、そのくらいあなたが好きで愛しているんです。それだけは信じてください」 「俺は、強くなんかないっ」 「そうですね、強そうに見せかけていただけですもんね。そういうあなたも大好きですよ」 「お前は、ずるいっ。そうやって、俺を甘やかす……」 「何もできない私の唯一の使命だと思っていますからね」 「もうっ、ホントお前はっ!」  力の入っていない拳で胸を叩かれた。 「私はいつでもあなたの傍らに居ますよ。それは今後何があっても変わりません」 「うん」  素直に頷いたグノーの頭を撫でる。存外彼が頭を撫でられる事に安心するのは気付いていた。それは幼い行動のようだが、彼には大事なのだろう。  前髪を払って直接瞳を覗き込めば、彼は真っ赤になって俯いた。 「目が腫れてしまいましたね、せっかくの綺麗な顔が台無しです」 「もう、見んな」 「ちゃんと無事に帰ってきてくださいね。そうでないと私は何をするか分かりませんよ」 「何かしでかすお前も、ちょっと見てみたいけどな」 「趣味悪いですよ」 「それはお互い様だな」 数日後レオンとグノー、そしてクロードはメリア城へと乗り込む事になる。六年ぶりの兄との再会、それはグノーの心に澱のような濁りを落としていた。

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