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【疵跡】

久しぶりに恋した相手は、高校生だった。 頻繁に保健室へ通っては寝てばかりいる彼が、昔の自分と重なり気になった。 保健女医の谷咲先生に頼み込んで、彼が行く度に保健室をなるべく留守にして貰い、彼との接点を無理矢理作り出した。 案の定しばらくは冷たくあしらわれていたものの、それでも彼の事を少しずつ知る事が出来た。 一人で居たがるくせに淋しがりで、喧嘩ッ早いくせに臆病で。 何より本当は『誰かを愛したがってる』優しい子。 他の教師には気付かれていない、俺だけが知っている。と言う現実が、妙な優越感を湧き立たせた。 彼を夜の街中で見掛けたのは、そんな時だった。 これは彼に近付くチャンスと思い、ほぼ強引気味にバーに連れ込むと、どうやら彼に何かあったらしく、いつもなら絶対に自分の事を話したがらない彼が、俯いたままではあるが(まく)し立てる様に今日の出来事を話してくれた。 いつにも増して穏やかでお喋りな彼にも驚いたが、その仕草や声の調子が、今日はやけに愛らしい。 そして何より彼の心の奥の暖かさに、ほんの少しでも触れられた事が、一番大きい収穫だったかもしれない。 触れた心から、俺の胸の中まで暖かさがじんわりと伝わって来る様な気がした。 懐かしく、久しぶりの感覚に自分でも驚く。 やっぱりこの子は変われる。と言うより “俺の手で変えて行きたい” と言う欲望が、強く俺の心を占めて行った。 「試しに、付き合ってみる気無い?」 思わず零れた本音。 照れ隠しにおちゃらけたのが裏目に出て殴られる。 怒る様に照れて帰る彼の後ろ姿をぼんやり見送ると、マスターが声を掛けて来た。 「追わなくて良いの」 少しからかう様な言い方が、妙に照れた。 「だ~い丈夫。 彼は俺にゾッコンだから。」 根拠の無い自信と自惚れから出た言葉。 今は冗談でも、彼をその気にさせたら“本当”になるじゃん? 軽く浮かれ気分でそんな事を考えていると、店のドアから客が入って来る。 「なんやマサヨシ、今日はやたら上機嫌やなぁ」 聞き慣れた関西弁。 「つよし。」 俺の昔のバンド仲間。そして、元恋人。 別れた当初は、二人で通い慣れたこの店も近寄り難かったが互いに吹っ切れたのか、最近ではすっかり“酒飲み友達”として付き合えるまでになっていた。 「まぁ来て座れや。 んで、久しぶりにやって来た俺の恋バナを聞いてやってちょぅだい!」 たいして飲んでも居ないのに、すでに酔っ払いテンションの俺に文句も言わずに付き合う昔から変わらない剛の優しさに、どっぷり甘えた。。。。 「なんや。お前好み変わったんとちゃう?」 話終え一発目に返す感想がそれかい! と言う細やかなツッコミはあえてせず 「可愛い子やねんて」 ツラレて故郷の関西弁が出始める。 酔いが回って来た証拠だ。 「でも、ようやく“恋愛モード”突入したみたいで安心したわ。 随分長い事恋バナせぇへんかったから、俺を忘れられへんのかぁ思て責任感じててん」 少し意地悪く。でも本当にホッとした表情で冗談を飛ばす。 「ホンマや。 あんまりエぇ男やったからなぁ自分。責任取って貰わなアカン所やったわ」 俺も冗談で返す。 剛は本当に底抜けに良い奴で、俺達は本気で互いを愛していた。 が、互いが“愛されたい”ではなく“愛したい”側の人間同士だったと言う、本当にたったそれだけの理由で、俺達はプラトニックな関係のまま、最終的には『別れ』を選択したのだった。 「所で、可愛い彼氏とは上手く行っとんのんか?」 剛も俺よりだいぶ先に新しい恋に出会い、今はLove②期間中だ。 「当ッたり前やろ? ウチのスグルちゃんはなぁ、むっちゃ可愛いくて優秀なんやで!」 カウンターで興奮すると、マスターに(たしな)められる。 二人同時に『すんません』と謝ると、『君達漫才師になったら?』などと茶化された。 マスターは俺達の様なゲイにとっても良き理解者でもあり、不思議と落ち着く父親の様な存在でもあった。 そんなマスターに迷惑は掛けられないと、剛のボロアパートで呑み直す事にして、店を後にする。 アパートに着くと、噂の優君が剛の帰りを起きて待っていた。 「ゴメンね。起こしちゃった?」 思わず謝ると 「エぇねん。いつもこんくらいの時間まで起きとるし」 と、何故か剛が答えを返した。 室内に入ると、相変わらずな狭い部屋に小さなテーブルを出し、帰りがけに買って来たウイスキーを開ける。 「優君、高校生やろ?ホンマ寝んでエぇの?もぅ11時過ぎるで?」 酔っ払いながらも、職業病の様に“教師”の顔が出て来る。 「大丈夫です。 大抵、ライブの日も帰るの今ぐらいの時間だし、学校も普段の授業内容だけで十分ですから。」 少し軟らかく笑う優君を見ると、なんだか癒される。 多分優君だけじゃなくて、剛との間に生まれる空気感みたいな物に癒されてるんだと思うケド。 「そういや優君は、剛のバンドの仲間やったなぁ。バイオリンやったっけ?」 優君は実は、年齢を偽って剛と一緒にバンドをやっている。 一度だけライブを見に行った事もあった。 「はい。 元はクラシックしか弾かなかったんですけど、剛の影響か今はロックのが楽しいですね」 「ほんなら。楽しいなら、幸せやな。」 優君と話してると、こっちの心までホコホコになる。 「ちょぉ待て。自分ナニ優とばっかしゃべくっとんねん!やっぱ今日は帰るか?」 ヤキモチを焼いた剛が口を挟む。 「なんやねん!大人の嫉妬は醜いで? 優君、こんなんとは早よ別れぇ?」 俺達のこんなやり取りを、優君はくすくす笑いながら見ていた。 彼も実は、心に深い(キズ)を持っていた子で、そんな彼を剛は受け入れ、自分自身も救われたと聞いている。 互いが互いにとって、かけがえのない存在。 そんな彼等が俺にとっては羨ましくもあり、理想でもあった。  ‥‥いつか俺も‥‥ そう思い続けて、気が付いた時には3年の年月が流れていた。 もぅ、恋なんて出来ないと思っていた。 由泰が、そんな枯れたはずの俺の心を動かしたのだ。 「由泰に会いたいなぁ‥」 無意識に口を突いて出て来た言葉。 を、剛よりも優君の方が聞き逃さなかった。 「今から、会いに行ってみても良いんじゃないですか?」    ─ 今から ─ そんな情熱も、大人になるにつれてすっかり無くしていた。 「こんな遅い時間に、常識外れやろ」 そして、臆病な自分ばかりが残っている。 「今時の高校生ナメちゃいけません。 僕ですら、まだ寝てないんですよ?」 そういや由泰は、世間一般的に不良と呼ばれる人種だったっけ。 “明日の事”なんか考えるのは、生活に縛られた『大人』だけがする事なのかもしれない‥‥ 一瞬、高校生(かれら)の自由さが懐かしく、羨ましく思えた。 「自分自身の心に、正直であって下さい」 その言葉に、背中を押された気分だった。 “教師”とか“大人”とか。そんなのは臆病な自分から逃げる為のただの言い訳でしかなくて。 気が付くと俺は、剛の部屋を飛び出していた。 「なんや今日は、えらい煽るやないか」 言いながら優に抱き付く剛。 「だって聞いてるだけで、じれったかったんだもん。それに‥‥」 「ぅん?それに?」 「正義さんにいつまでもこの部屋に通われたら、二人きりの時間が減っちゃうじゃないか」 「おま‥‥ッ♪ 愛してんで!優!」 そうしてまたもやLove②突入してたなんて。街中に出たは良いが、どこを探せば良いか分からずに、ただ駅前をフラフラしていた俺の頭には、掠りもしなかった。ただ、呑んだ後に走るのはあまり良くない。と言う事を、身を持って学んでいた。 「アホか。俺は。」 ガックリ肩を落としながら歩いて行くと、路地の方から怒鳴り声が聞こえる。 声からして由泰っぽいけど‥‥ 「喧嘩‥‥止められっかなぁ‥‥」 ぽつり呟いて、路地へと向かった。 「すいませんでしたぁ!!!!」 俺の心配をよそに、路地から飛び出して来たのは知らない二人組。どうやら喧嘩負けしたらしい。 「あ~~~~。 カツアゲすんなら相手選べや!」 その後から姿を見せたのは、やっぱり由泰だった。 「‥って、またアンタかよ。こんな所で何やってんの?」 少し呆れる様な口調で言う由泰の顔は、殴られて口唇がほんの少し切れていた。 「“何やってんの”はこっちのセリフ。 こんな怪我まで作っちゃって。可愛い顔が台無しでしょぉが」 寒い深夜の街を彷徨(さまよ)ったせいか、酔いは冷めていた。 が、胸の中に沸いた情熱は冷める事無く、むしろ由泰に会えた事で更に熱く燃え上がっていた。 「これは、不可抗力だかんな?」 口唇から垂れた血を、手の甲で拭おうとする由泰の腕を掴み 「んな泥だらけの手で拭ったら、バイキンが入るだろ?」 と、思わず舌で舐め取っていた。 多分まだ少し酒が残ってるのかもしれない。 「んッ!」 当然だが驚き強張る由泰を、そのまま構わず抱き締め、口唇に舌を差し入れる。 血の味を味わいながらも舌を絡ませると、意外にも由泰の抵抗が緩んで行った。 「由泰。好きだ」 少し長めのキスの後、ようやく想いを口にする事が出来た。と、自己満足していると、由泰は自分と俺との距離を少し空け、力一杯ボディブローを食らわせた。 「ぐぁ!!」 まぁ当然と言えば当然の仕打ち。そして不意打ちだった事も手伝って、かなり効いた。 あぁ‥俺マジで馬鹿‥考え無し。これじゃ嫌われて当然だ‥‥肉体面と精神面のダブルパンチを食らった俺は、咳き込みながらその場に(うずくま)る。視界がぼやけた事で、自分が涙目になってるのを知らせる。 「順番が逆なんだよ!馬鹿マサヨシ!!」 しかし頭上から聞こえたのは、本気で意外な言葉。 思わず由泰の顔を見上げる。 「今、名前‥‥」 言いたいのはソコじゃなくて。 自分にツッコミを入れながらも、真っ赤になって照れる由泰を眺めた。初めて見せる表情に反射的に言葉が零れる。 「由泰‥‥かわ」 言いかけた時また頭をゲンコツで殴られた。 「暴力小僧‥‥」 小さく囁いた後、体力的にも限界だったらしく、そのまま意識を失っていた。 次に目を覚ました時には、学校の保健室に寝ていた。 後で聞いた話だと、悩んだ末に思い付いたのがココだったらしく、由泰が俺を担いで連れて来てくれたらしい。 深夜の学校に忍び込むのもいかがなものかとも思ったが、今回は俺にも責任があるので水に流した。          ・          ・          ・            ・ 「で?それから?」 やたらニヤニヤする剛に、話の先をせがまれる。 俺はまた、今回の一連の報告をするために剛と優君に会っていた。 今回はむしろ、剛より優君の言葉に勇気を貰った。 “子供”と侮るなかれ、だ。彼はよっぽど大人だった。 「もったいぶんなやぁ~」 少なくとも剛よりは。 「お陰様で仲良くお付き合いさせて貰ってるよ。今日も二人に紹介しようと思って、呼んであるんだ」 丁度話終える頃、店の扉を開く音と共に由泰が入って来る。 「はじめまして。」 そう言う由泰は、不良スタイルを辞めてまだ日が浅いが、すっかり好青年に見えた。 「かわ」 言いかける剛の言葉を遮る様に、襟首に掴みかかる。 「かわ‥何です?」 にこりとする由泰の笑顔の奥には、どす黒い影が見えていた。 「かわ‥かわやに行きたいなぁ~なんて。」 剛も初対面にして、由泰の性格をよく熟知している。 って俺が話してたのか。 掴まれた服のシワを直しながら、仕方なくトイレへと向かった。 そんなこんなで、俺は相変わらずプラトニックな恋愛から始めている。 でも今度は、剛の時ほどの焦りも無ければ不安も無かった。 あの頃の失恋の痛みは完治した訳じゃないけど、以前ほどは痛まない。 きっと由泰が、知らず知らずに俺の深かった心の溝を埋めてくれたんだろう。 俺ももうあの頃の俺じゃない。由泰との関係は、大切に大切に。ゆっくりゆっくり育てて行こうと思う。 誰よりも由泰を愛しているから‥‥ 「正義。かわやって何?」 ‥‥アホだけど。       ~fin~

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