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【Become Degraded】

彼の、逞しい腕が僕の手首を掴む。 「行くな」 地をも揺らさんほどの、唸りにも聞こえる低い声で、僕の体を魂ごと引き止める。 「でも」 規律を守るため、早く戻るための理由を必死に考えていたほんの一瞬の合間に、厚い胸板まで引き寄せられ、きつく抱き締められる。そして、言葉一つ発する事すら『許さない』とでも言う様に、口唇を塞がれた。 「ぅ。ん」 (のが)れられないように後頭部を抑えられると、長い舌がゆっくりと舐める様に僕の口唇を開き、そのまま舌を絡め取る。 ザラつく舌も、研ぎ澄まされた爪を持つ指も、僕を傷付けまいと優しくやさしく触れて来る。 本来、(すべ)てを傷付けるために産まれて来たハズなのに、僕のために必死になって堪える彼の優しさが、愛しかった。 そっと彼の背中へ手を回すと、指先が小さく震える羽に当たる。 『感じている』事を伝える小さな震えは、僕の背中でも同じ様に彼に伝えていた。 折り畳まれた、皮膚の様に薄い彼の羽を、そっと撫でる。 「は」 口付けの隙間を、吐息が縫って行った。 「ずりィ‥‥」 言うなり僕の翼にも同じ様に触れ、微かに爪を立てる。 「あッ。ゃ‥」 反射的に逃げようとすればするほど、彼の腕の中へと身を沈める形になる。それを楽しむかのように、彼は僕の翼を(いじ)り、耳たぶを噛んだ。 「あン!や、ァ‥」 身を(よじ)れば捩るほど、彼のそそり立つ自身が僕の自身と擦れ合うのを感じる。 二人とも、自身の先走りでヌルヌルになっていた。 「ヤラしィ」 笑いを含みながら、彼が耳元で囁く。 「──ッバカッ!」 半分涙目になりながら彼の顔を覗き込むと、僕を見つめる、少し潤んだ深紅の瞳とぶつかった。 漆黒の髪と対照的な燃える様な紅い瞳は、いつでも僕の心を捉えて離さない。 初めて会った時もそうだった。 僕達“天使”と彼等“悪魔”が、数万年に渡って戦争をしているのは百も承知だった。 ─ 惹かれちゃいけない ─ そう思えば思うほど、彼の存在が僕の胸の中で燃え上がり、焼き付き、そこから全身を焦がして行った。 「体温、高‥」 お互い布一つ付けていない状況だ。 互いの総ては、手に取る様に分かっていた。 「ディーの、せいだよ」 言いながら彼の頬を両手で包み、口付ける。 夢中になっているのは“自分の方”だと、自覚はしていた。 「愛してる、ょ」 「あぁ。」 ─俺も‥─ そう言いかけて、苦痛に表情を歪ませる。 本来持ってはいけない感情を持ち、言ってはいけない言葉を言おうとする彼。 「良いから。」 分かってるから。 僕は、大丈夫だから。 彼にしか聞こえない声で囁く。 僕と同じ気持ちなのは分かっている。その気持ちを言葉にしてしまったら、きっと彼は“消滅”してしまう事も、なんとなく理解していた。 彼の顔を見上げる僕に、苦痛の表情を無理矢理優しい表情に変え、『心配すんな』と言う変わりに再び優しい口付けをくれた。 そのまま指の甲を器用に使い、胸の突起を刺激する。 「ンッ」 敏感に反応する僕を嬉しそうな眼で視姦しながら、口唇から顎、首筋、鎖骨と、ゆっくりと口付ける場所を移動して行く。 そして今まで弄んでいた突起まで来ると、口唇だけでなく、舌を使って刺激し始めた。 「ゃ。あァん」 のけ反る僕の反応を楽しむかの様に、声を上げれば上げるほど、わざと音を立てて吸い上げ、(なぶ)る。 「すげぇ、良い声」 そう言う彼の声も、潤んだ様に色気を増している。 「もっと、聞かせろ」 少し意地悪い言い方をして、またゆっくりとキスを降らせながら、僕の自身へと音を立てて口付ける。 「ん、やぁン‥」 ピクリと反応しながらも、僕もお返しにと彼の自身へと手を伸ばし、追い掛ける様に口唇を押し当てた。 「は、ぁ‥」 吐息を零す彼が、仕返しに更に舌で刺激する。 「ンッ!あン!」 快感を得ると今度は僕が仕返しとして、彼の自身を口に含み、根元まで咥え込む。 そうやってお互いに煽りながら、同じ快感を共有し、“一つ”に溶け合う悦びに溺れて行った。          *          *          *          * 「もぅ、行かないと」 彼の胸の中で、思ってもいない言葉を吐く。 本心は“行きなくない”と“離れたくない”で一杯なのに。 「本当に、行くのか」 自分の気持ちに正直に生きる彼が羨ましい。 「ぅん‥」 これじゃ僕の方が『ウソツキ』だ。 「でもね、本当は‥」 僕も、自分に正直に生きたい‥‥ そう思って、言葉を続けようとした瞬間。 辺りに轟音が響いたかと思うと、雲の切れ目から“神様”が現れた。 「何をしているアン。戻りが遅いと思い降りてみれば、何故悪魔と抱き合っている。まさかその悪魔と関係を持ったと言うのか‥‥」 神様の圧倒的な威圧感に、ディーも少したじろぎながらも、僕を庇おうと自分の体を突出して変わりに答えた。 「コイツは悪くねぇ。全部俺が(そそのか)したのさ。そのくらい分かるだろ?俺は悪魔だ、それくらい容易な事さ。 コイツは俺の魔力に、まんまと惑わされただけなんだ。罰するなら俺だけにしろ」 堂々とそれだけ言うと、覚悟を決めているのか、ずんずんと神様の前まで歩を進めて行く。 「なるほどそう言う事か。ならば罰せねばならん。悪魔が天使を手に掛けるという事がどれほどの重罪か。身を持って理解して貰おう。」 言うなりディーに向けて掌を(かざ)す。 「ま、待って下さい!」 彼を疵付けたくなくて、必死だった。 「僕が悪いんです!彼は何もしてないんです!!僕の方から彼の胸に飛び込んで行ったんです! 先に惹かれたのは僕の方なんです!!罰なら、悪魔に心を奪われた僕に下してください!!」 あまりにも必死で、自分が神様の前に(ひざまず)き、着衣にしがみついていた事にすら気が付かなかった。 「さて。どちらも“自分が悪い”と言う。“自分の方を罰せよ”と言う。 本当に『悪い』のは、どちらなのだろうか?」 そう言いながら、神様が跪いたままの僕の髪を優しく撫でる。 「俺だって言ってるだろう!」 「違ッ!僕です!」 「まぁまぁ、二人とも落ち着きなさい。 ひとまずここはアンの身柄を預かって行こう。罰するのはそれからでも遅くはあるまい。」 僕に向かって優しい表情でそう言うと、神様は僕の肩を抱き、 「そこの悪魔よ。アンを本当に大切に想うのであれば、大人しく待つが良い。」 そうディーに念を押して、天界へと向かった。 『きっとまたすぐ逢えるよ』 僕達はお互いに眼で伝え合うと、一旦自分の世界へと戻って行った。          *          *          *          * それから、どのくらいの年月が流れたのだろう。 “永遠”という時間に慣れすぎて、時間の感覚すら忘れていた筈なのに、1分、1秒が、異様に永く感じられた。 僕は天界へ戻るとすぐ、神様の力によって“拘束”されてしまっていた。 空間は開放されているのに、何らかの力が及び、定められた空間から外に出られない。 「あの悪魔の言う事の方が正しいのならば、じきに魔力が切れ、お前の悪魔への想いもいずれ消えよう。もしそうならば悪魔の方を罰するとしよう。」 神様はそう言っていた。 つまりそれは、『それでも想いが消えなければ、僕が罰せられる』という事を意味した。 結論は? そんなの。拘束される前から分かっていた。 ―― 今でも変わらず、彼を愛している ―― 彼に、逢いたい。 今頃、彼はどうしているのだろう? 悪魔だから、天使との関係なんて魔界での罪は無いに等しいのかもしれない。 それとも敵対する相手との関係は、やはり大罪なのだろうか・・・ 毎日そんな事ばかりを考える日々だ。 どんな罰よりも、彼に逢えない事が何より辛い。 いっそ・・・ いっそ。天使でなくなってしまえば・・・ そうだ、そうしたら何の障害もなくなるんじゃないのか? 誰からも、(とが)められる事も無くなるんじゃないのか? なぜ、今まで気が付かなかったんだろう? 全ては、『天使』と『悪魔』だったから“否定”されるのだ。 僕が天使である事を拒否すれば、自由に彼に逢いに行ける! 「こんな翼・・・」 彼に『美しい』と言ってもらった。『柔らかくて好きだ』と言ってもらった翼だけど、今はもう、ただの足枷でしかない。 その事に気付いた僕は、躊躇(ためら)う事無く、自分の真っ白い翼を引き千切った。。。          *          *          *          * 俺は魔界には戻らず、アイツと始めて出会った人間界で、毎日空を見上げていた。 気が付けば、俺の天使が(さら)われてから5年の年月が流れていた。 「待て」と言われたのを真に受けてジッと待ち続けていたが、それから何の音沙汰も無い。 もう俺なんて忘れてしまったのか?それともすでに罰を受けて、“消滅”してしまったのか・・・? 否!まだ生きている!アイツが存在しているのを、肌で感じる! 俺はまだ待っているぞ!お前が俺の元に『戻る』のを!俺の胸に『還る』のを! そう、願う様に想いつづけているうちに、だいぶ体も衰弱して来ていた。 当然だ。誰かを“想う”なんて。“愛し続ける”なんて、悪魔にしたら“自殺行為”だ。 それでも俺は、アンに巡り逢った事を。愛し合った事を。後悔した事は、一瞬たりとも無かった。 と、空の向こうに、小さな影が見える。 「アン!!!!」 間違いない。アンの影だと、一目で分かった。 天界の入り口。悪魔が近付ける領域ギリギリの所まで迎えに行く。 「アン!!」 再び名を呼ぶ。 「ディー!」 アイツの声だ!間違いない!間違いない!! まるで“落ちて”来るかのようなアンを抱き締めようと、両手を広げ待ち構える。 が、迫ってくるアンがハッキリ見えるまでになると、違和感を覚える。 ???羽は?アイツの、綺麗な、純白の翼が見当たらない。 どうやら本当に“落下“して来るアンを、今度は抱き留めようと腕に力を込めた。 『どさり』と腕の中に落ちてきた身体を、そのまま抱き締める。 「おかえり」 次に逢えたら真っ先に言おうと思っていた言葉は、少し震えていた。 「ただいま」 それはアンも同じだったらしい。 お互い、自分の肉体を通り越して、魂を重ね合わせようとするかのように、痛いくらいに抱き締め合った。5年ぶりの口付けも、呼吸をするのも忘れるくらいに貪り合う。 「う」 小さく(うめ)くアンに、ふと我に返る。 「そういえばお前、翼・・・」 言いかけて、腕に広がる生暖かさと、ベタつく感触に気付く。 アンの肩越しに覗き込むと、翼の生えていたハズの箇所から、大量の血が留まる事無く流れ落ちていた。 「お前・・・!!!!血が!!」 よく見ると、もともと白かった肌も青白く、今にも意識を失いそうな虚ろな表情をしていた。 「ごめん・・・。どうしても最後にディーに一目逢いたくて・・・。 あのまま監禁されてたら、二度と逢えないと思ったから・・・。天使で居る事でディーに逢えないんなら、天使で居る事を捨てようと思ったんだ。そしたら・・・天使を捨ててしまったら、永遠じゃ居られなくなるんだね・・・」 苦痛に顔を歪めながらも、震える指で俺の頬をそっと撫でる。 「だいぶ・・・やつれたね・・・」 その震える手を、握り締める。 「バカ。しゃべんな。」 やっと逢えたのに。お前が、目の前に居るのに。こんなに暖かいのに。また俺の前から消えるというのか?この温もりさえ消えて、体さえ消えて、お前の存在していた事実さえ、消滅してしまうというのか?それほどまでに俺達の愛は、『悪』だというのか・・・? 頭も心もゴチャゴチャで、整理出来ない。 泣きたい気持ちなのに、悪魔なせいか、涙一つ流れちゃくれなかった。 「ディーが好きだって言ってくれてた翼、無くしちゃってゴメン・・・」 「そんな事、たいした問題じゃない」 「僕、消滅しちゃうのかな」 「俺が、させない」 「一緒に居られなくて、ゴメン・・・ね」 やっと出していた声も、聞き取れなくなっていく。 「何言ってんだよ。お前が居ない世界なんて、生きてたくなんかねぇよ」 「愛・・・   して る・・・」 もう、息でしかなくなっている、声と言えない声をしっかり拾い、心に焼き付けた。 『大丈夫。これで、どんな道にも迷わない。いつでも、どこに行っても、俺はお前を必ず見付け出してやる!探し出してやる!』そう心に誓うと 「俺も。永遠に、愛してる。」 今にも目を閉じてしまいそうなアンの瞳を見つめ、呟いた。 「ディー・・・」 最後に俺の名を呼び、俺の心を掴んで離さなかった美しいブルーの瞳から、透明な滴が1本の光となって零れ落ちて行った。 それが、俺が死の間際に見た、世界一美しい光景だった。          *          *          *          * 「まさか、翼をむしり取ってしまうとはな」 もぎり取られた翼を拾い、神様が呟いた。 「二人の魂は、どうなるのでしょうか?」 アンの、親友だった天使が問いかける。 「さて。あの二人の“愛”は、本当に偽者だったと思うかね?」 「・・・いいえ・・・。 立場はどうあれ、彼等の気持ちに『嘘』や『偽り』は無かったように見えました。 あの悪魔は、間違えて悪魔として生まれて来てしまったような気がしてなりません。」 「うむ。私もそう思うよ」 神様は、手にしていた翼を埋葬するかのようにゆるやかに風に溶かしてから、ゆっくりと振り返り 「悪魔の魂も天使の魂も、どうするかは“消滅した場所”の管轄の判断に任せる事になっている。 今回は私の一存で決める事になるが・・・ “愛情” “嫉み” “憎しみ” “楽しみ” “苦しみ” すべてが入り乱れている世界。 その中で、悩み、苦しみ、ほんの短い時間の中を、生きて死んで行くだけの世界。 そんな、苦悩だらけの『人間界』への永久追放というのはどうだろう?」 そう、優しく微笑みかけた。 その後の二人の行方は・・・     ― 神のみぞ、知る。 ―             ~END~

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