21 / 32
【Beginning】
「おい。」
そんな風に、ふてぶてしい態度で声を掛けて来たのが彼だった。
「お前だお前。そこのメガネ!」
「僕にも一応、名前くらいあるんですけど」
腹の奥のイラ立ちを抑えながら、顔に笑顔を貼り付けて振り返る。
「悪ぃ。俺、人の名前覚えんの苦手」
さほど“悪かった”と思っていそうもない、相変わらずの態度のままサクサクと僕に書類を押し付け、手短に内容を説明すると
「頼んだ!」
とだけ言って、自分はまたデスクへと戻って行く。
彼のデスクの上は乱雑で、どこに何があるかも分からない状態だ。否。“彼にしか分からない”と言った方が正しいのかもしれない。
「畏 まりました。」
慌ただしい彼に届くアテの無い返答をしたのに、ちゃんと聞こえていたのか軽く手を上げて答えてくれた。
配属が決まってまだ間もない頃。
新人のくせに、その『厳しい』で有名だった(らしい)先輩に付いて行けた実績を作ってしまった僕は、知らないうちに『頭脳明晰』『成績優秀』と謳 われる様になってしまっていた。
知らない同僚や上司(どちらも女性限定)からの飲み会やらデートやらに誘われ、『これも社交』と思い付き合っていたが、男性社員からは『生意気だ』と妬まれ、女性社員からは『誰とでも付き合う八方美人』と嫌われ、ふと気が付けば、独り孤立していた。
「ま、世の中そんなモンだよね」
独り呟くと、今日もまたデスクに向かい、人気の無いフロアで寂しく残業をする。
「何。独り言?寂しい奴だねぇ」
「ぉわぁ!」
いきなり後ろから声を掛けられ、必要以上に驚く。
振り返ると、彼が真後ろに立って居た。
「先輩も残ってたんですか」
ホッとしながら、溜め息を吐く。
「俺はな、ほぼ毎日残ってんだよ。なんせ期待の星だからな」
なんて言いながら、自慢気な表情を浮かべている。
「ソレ、思い込みなんじゃないですか?」
思わず笑いながらツッコミを入れてしまう。
“厳しい”って言われてるけど、意外に楽しい人なのかもしれない。コッソリ心の奥で、そんな事を思いながら。
「?」
と、意外そうな顔で見つめられた。
「なんだお前、笑うと可愛いのな。」
「はぁ!?」
また、予測出来ない意外な言葉を吐かれる。
「顔は良いんだから、もちっと笑ってれば良いのに」
言いながら、後ろ手に隠し持っていた冷たい缶コーヒーを頬に当てられた。
「冷た!」
また過剰反応する僕が面白いのか、ケタケタ笑うと
「コレやるから、ちっと付き合え」
そう言い放って、返事も待たずに振り返りもせずに、ドアの外へと向かって行く。
「仕事あるのに」
小さく呟いていると
「早く!」
ドアが少し開いて頭だけで覗き込み、僕を急かした。
「はいはい~」
仕方なく椅子から立ち上がり、彼の後を追って行く。
「ハイは1回!」
変な所だけ拘 って先輩風を吹かせると、やっぱり振り向きもせずにガンガン先に進む。
「ハ~イ」
夜も更け薄暗くなった廊下に、自分の声がひどく大きく響いた。
本当に誰も居ないんだなぁと実感しながら、黙々と歩く彼の後を付いて行くと、非常階段を上がって屋上に出た。
「ココ、俺しか使って無ぇから。気ィ使わなくて良いぜ」
「はぁ。」
そんな所に、僕なんかが来ちゃって良かったのかなぁ?
とか思っていると、いつの間に移動したのか、フェンスの端で手招きしている。
あちこちにある足元の障害物を跨 いで避けながら『あの人はサルか!』と思いつつフェンスに近付くと、密接したビルのネオンや遥か下に見える車のライトで、街全体が美しく輝いていた。
「ぅわぁ‥‥‥」
溜め息混じりに呟くと
「綺麗だろ?」
と、キラキラした眼で訪ねられる。
「えぇ、凄く。」
口ではそんな事を言いながら、子供みたいな彼の表情に“可愛い”なんて思っていた。
「な。ココに来ると、疲れや嫌な事とかが全部素っ飛ぶんだ。
お前も好きな時に、自由に出入りして良いからな」
そう言われて初めて気付いた。
そうか、この人は僕の噂を聞いたんだ。
孤独な僕を、気遣ってくれてたんだ‥‥
そう思うと、胸の奥が熱くなった。
「俺で良かったら、相談にも乗るしな」
そう続ける彼の表情は“義理”でも“同情”でもなく、素直に『心配してくれている』顔をしていた。
こんな身近に、自分を見ていて、気遣ってくれる存在があったと言う事実だけで、なんだか励まされた気がした。
「もしかして噂の事で心配してくれてます?
でも、僕なら大丈夫ですよ。こういうの慣れてるし」
そう言って笑顔を見せると
「‥‥そうか?」
と言いつつ、まだ心配そうな表情をしている。
「でもお前、やっぱり無理して笑ってるだろ?“慣れてる”とか言うのはな、自分で自分に言い聞かせて、納得させようとしてるだけなんだよ。そうやって自分の中に感情を仕舞って、我慢してるだけなんだよ。
そんなモン、慣れられる奴なんか居ないんだからな?辛い時は、ちゃんと吐き出せ」
そう言うと、優しく背中を擦ってくれた。
「そんな、僕、無理なんか‥‥‥」
言いかけて、言葉に詰まる。
冷たい風に当たっているハズなのに、頬に暖かい何かが伝って行くのを感じたからだった。
どうやら無意識に涙が零れていた様だ。
「だから、無理すんなっつっただろ?」
彼の暖かい声と、温かい掌の温もりと。
全身を包む優しさに、しばらく言葉も出ず、情けない事に、ただひたすら泣き続けてしまった。
そんな僕に付き合って、ずっと黙って背中を擦りながら側に居てくれた彼の、言葉だけじゃない心の温もりを感じて、内側から温められた気がした。
それが、僕と彼の始まりの瞬間。
正確に言うならば、僕が彼に恋した瞬間だった。
今はと言うと、まぁお互い色々あったが、幸せな同棲生活を送っている。
さすがに国内じゃぁ結婚は出来ないので、海外に移住しようと計画中なのが、今の僕の最大の目論みである。
-END-
ともだちにシェアしよう!