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【Beginning】

「おい。」 そんな風に、ふてぶてしい態度で声を掛けて来たのが彼だった。 「お前だお前。そこのメガネ!」 「僕にも一応、名前くらいあるんですけど」 腹の奥のイラ立ちを抑えながら、顔に笑顔を貼り付けて振り返る。 「悪ぃ。俺、人の名前覚えんの苦手」 さほど“悪かった”と思っていそうもない、相変わらずの態度のままサクサクと僕に書類を押し付け、手短に内容を説明すると 「頼んだ!」 とだけ言って、自分はまたデスクへと戻って行く。 彼のデスクの上は乱雑で、どこに何があるかも分からない状態だ。否。“彼にしか分からない”と言った方が正しいのかもしれない。 「(かしこ)まりました。」 慌ただしい彼に届くアテの無い返答をしたのに、ちゃんと聞こえていたのか軽く手を上げて答えてくれた。 配属が決まってまだ間もない頃。 新人のくせに、その『厳しい』で有名だった(らしい)先輩に付いて行けた実績を作ってしまった僕は、知らないうちに『頭脳明晰』『成績優秀』と(うた)われる様になってしまっていた。 知らない同僚や上司(どちらも女性限定)からの飲み会やらデートやらに誘われ、『これも社交』と思い付き合っていたが、男性社員からは『生意気だ』と妬まれ、女性社員からは『誰とでも付き合う八方美人』と嫌われ、ふと気が付けば、独り孤立していた。 「ま、世の中そんなモンだよね」 独り呟くと、今日もまたデスクに向かい、人気の無いフロアで寂しく残業をする。 「何。独り言?寂しい奴だねぇ」 「ぉわぁ!」 いきなり後ろから声を掛けられ、必要以上に驚く。 振り返ると、彼が真後ろに立って居た。 「先輩も残ってたんですか」 ホッとしながら、溜め息を吐く。 「俺はな、ほぼ毎日残ってんだよ。なんせ期待の星だからな」 なんて言いながら、自慢気な表情を浮かべている。 「ソレ、思い込みなんじゃないですか?」 思わず笑いながらツッコミを入れてしまう。 “厳しい”って言われてるけど、意外に楽しい人なのかもしれない。コッソリ心の奥で、そんな事を思いながら。 「?」 と、意外そうな顔で見つめられた。 「なんだお前、笑うと可愛いのな。」 「はぁ!?」 また、予測出来ない意外な言葉を吐かれる。 「顔は良いんだから、もちっと笑ってれば良いのに」 言いながら、後ろ手に隠し持っていた冷たい缶コーヒーを頬に当てられた。 「冷た!」 また過剰反応する僕が面白いのか、ケタケタ笑うと 「コレやるから、ちっと付き合え」 そう言い放って、返事も待たずに振り返りもせずに、ドアの外へと向かって行く。 「仕事あるのに」 小さく呟いていると 「早く!」 ドアが少し開いて頭だけで覗き込み、僕を急かした。 「はいはい~」 仕方なく椅子から立ち上がり、彼の後を追って行く。 「ハイは1回!」 変な所だけ(こだわ)って先輩風を吹かせると、やっぱり振り向きもせずにガンガン先に進む。 「ハ~イ」 夜も更け薄暗くなった廊下に、自分の声がひどく大きく響いた。 本当に誰も居ないんだなぁと実感しながら、黙々と歩く彼の後を付いて行くと、非常階段を上がって屋上に出た。 「ココ、俺しか使って無ぇから。気ィ使わなくて良いぜ」 「はぁ。」 そんな所に、僕なんかが来ちゃって良かったのかなぁ? とか思っていると、いつの間に移動したのか、フェンスの端で手招きしている。 あちこちにある足元の障害物を(また)いで避けながら『あの人はサルか!』と思いつつフェンスに近付くと、密接したビルのネオンや遥か下に見える車のライトで、街全体が美しく輝いていた。 「ぅわぁ‥‥‥」 溜め息混じりに呟くと 「綺麗だろ?」 と、キラキラした眼で訪ねられる。 「えぇ、凄く。」 口ではそんな事を言いながら、子供みたいな彼の表情に“可愛い”なんて思っていた。 「な。ココに来ると、疲れや嫌な事とかが全部素っ飛ぶんだ。 お前も好きな時に、自由に出入りして良いからな」 そう言われて初めて気付いた。 そうか、この人は僕の噂を聞いたんだ。 孤独な僕を、気遣ってくれてたんだ‥‥ そう思うと、胸の奥が熱くなった。 「俺で良かったら、相談にも乗るしな」 そう続ける彼の表情は“義理”でも“同情”でもなく、素直に『心配してくれている』顔をしていた。 こんな身近に、自分を見ていて、気遣ってくれる存在があったと言う事実だけで、なんだか励まされた気がした。 「もしかして噂の事で心配してくれてます? でも、僕なら大丈夫ですよ。こういうの慣れてるし」 そう言って笑顔を見せると 「‥‥そうか?」 と言いつつ、まだ心配そうな表情をしている。 「でもお前、やっぱり無理して笑ってるだろ?“慣れてる”とか言うのはな、自分で自分に言い聞かせて、納得させようとしてるだけなんだよ。そうやって自分の中に感情を仕舞って、我慢してるだけなんだよ。 そんなモン、慣れられる奴なんか居ないんだからな?辛い時は、ちゃんと吐き出せ」 そう言うと、優しく背中を擦ってくれた。 「そんな、僕、無理なんか‥‥‥」 言いかけて、言葉に詰まる。 冷たい風に当たっているハズなのに、頬に暖かい何かが伝って行くのを感じたからだった。 どうやら無意識に涙が零れていた様だ。 「だから、無理すんなっつっただろ?」 彼の暖かい声と、温かい掌の温もりと。 全身を包む優しさに、しばらく言葉も出ず、情けない事に、ただひたすら泣き続けてしまった。 そんな僕に付き合って、ずっと黙って背中を擦りながら側に居てくれた彼の、言葉だけじゃない心の温もりを感じて、内側から温められた気がした。 それが、僕と彼の始まりの瞬間。 正確に言うならば、僕が彼に恋した瞬間だった。 今はと言うと、まぁお互い色々あったが、幸せな同棲生活を送っている。 さすがに国内じゃぁ結婚は出来ないので、海外に移住しようと計画中なのが、今の僕の最大の目論みである。             -END-

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