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02.アンリと言う魔法使い(1)

 手の中の試験管に片手をかざして数秒待つと、透明だった中の液体が桃色へと変わっていく。その過程に無意識に安堵の息を漏らしながら、黒い法衣を身にまとった長身の男――アンリはふと傍らの机上に目をやった。視線の先には、アンティークな装飾に縁取られた古めかしい手鏡が置いてあった。 「……気絶したか」  アンリは持っていた試験管を木製の試験管立てに戻し、入れ替わりにその手鏡を取り上げた。  そこ映っていたのは、深い森の中、一本の木の根本でぐったりと眠る青年――ジークの姿だった。  ジークは全身を覆うように頭から布をかぶっていたが、その下に隠れる顔つきは凛々しく、細めながらも細すぎない足腰に、健康そうな蜂蜜色の肌、どこか青みがかった黒い髪、同色の瞳はすでにアンリの目に焼き付いていた。ジークが森に立ち入った瞬間から、その姿を確認していたからだ。  アンリにはない誠実さを湛えているような眼差しが特に印象的で、もともとはさほどの興味もなく眺めていたはずが、気がつくと目が離せなくなっていた。 「さて……このまま放っておくのも悪くはないが」  わずかに目を眇めながら、アンリは小さく独りごちる。そうして、先刻の試験管と同じように今度はその鏡面へと片手をかざした。  朱銀色の糸で細やかな刺繍のほどこされた法衣が、風もないのにふわりと広がる。ほどなくして手のひらがじわりと淡い熱を帯びてくる。更に意識を集中させると、次には平らとしか見えていなかった表面が、確かな質感を持って揺らめいた。  続けざま、雫が落ちたような波紋がいくつも広がり、かと思えばそこに様々な色合いが混じり始める。さながらパレットに並べた絵の具を一気に混ぜたかのようなそれをアンリは暫く注視して、やがてその一連が収まると静かに目を閉じた。  持っていた手鏡を机上へと伏せると、背の中ほどまである朱銀色の長髪を緩やかにかきあげる。そうしながら、不意に声をかけた。 「おい、あれを拾ってこい」 「は?」  答えた声は、窓際からだった。 「サシャに貸しを作っておく」 「はぁ」 「早く行け、リュシー」  命じると共に、アンリが視線を転じた先には、扉のない鳥籠がかけられていた。銀細工のスタンドに、同じく銀細工の鳥籠の中、華奢な止まり木を微かに揺らしていたのは全長15センチほどの青い鳥。左足には朱色のリングがついている。  開かれた窓から吹き込む風に目を細め、リュシーと呼ばれた青い鳥はさえずった。 「資格は?」 「持っているようだ」 「へぇ……」  リュシーは一つあくびをしてから、籠の外に出た。 「ご主人が自分で行かなくていいんですか?」 「私は私でやることがある」  アンリは伏せた鏡に目を戻し、密やかに口端を引き上げた。そんなアンリの横顔を見遣って、リュシーは小さく瞬いた。 「あ、そう、ですか。……じゃあ、はい。行ってきます」  何か言いたげながらも、そのまま窓から外へと飛び立った青い鳥を横目に、 「まぁ、たまには人助けもしてやらないとな」  そうこぼしたアンリの口元には、どこか酷薄な笑みが刻まれていた。

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