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14.契約魔法のせいで(2)

 先刻リュシーが頑なに目を閉じていたのは、いつ|何時《なんどき》アンリに視界を覗かれるかわからないからだ。アンリの眷属であるリュシーには、そういう契約魔法がかけられている。  ……断じて久々のキスに流されたからではない。 「……っ」  なのに、ロイが離れると、支えをなくしたようにリュシーはぺたりと尻もちをついてしまった。  濃霧のせいもあるのだろう、地面からひんやりとした冷たさが伝わってくる。 「悪かったな。大丈夫か」 「大丈夫って……何が……」  顔を上げると、ロイが申し訳なさそうにリュシーを見下ろしていた。  リュシーは「何の問題もありませんけど」と言いながら立ち上がろうとする。  けれども、どういうわけか足に力が入らない。……まるで腰が抜けたみたいに。 (……あれ)  何度か試してみたけれど、やっぱり思うように動けない。  すると見かねたように、ロイが小瓶を持たない側の手を差し出してきた。 「何がっていうか……立てねぇんだろ?」 「!」  図星を指され、言葉に詰まった。 「ほら」 「……大丈夫ですから」  リュシーは逃げるように視線を逸らした。  ……最悪だ。  何でいきなり立てなくなってるんだ。  しかもこんなタイミングで……! 「いいから、ほら。尻、濡れるぞ」  言われた通り、ぐずぐずしている間にも、接地面からじわりと湿気が広がっていくような感覚があった。  それでもその手を取らないでいると、痺れを切らしたみたいに腕を掴まれた。 「あっ」  強い力で引き上げられる。  けれどもいまだ足元はおぼつかず、そのままロイの胸へと寄りかかってしまう。 (だから嫌だったのに)  らしくない失態に、気恥ずかしさが込み上げる。目元を隠すかのように伸ばされた前髪の下で、|眦《まなじり》がじわりと熱を持つ。 「……案外見た目通りなんだな」 「は……?」 「反応。……キスで腰抜かすとか」 「はぁ?!」  ロイの手が、不意にリュシーの背を撫で下ろす。  心外そうに声を上げたリュシーを見下ろしたまま、ロイは僅かに口端を引き上げた。 「単に、驚いただけです」 「そうかぁ?」 「あんた……俺をなんだと思って、……!」  言葉も半ばに、ぐっと腰を引き寄せられる。  リュシーはいっそう間近となったロイから視線を外し、 「離してください。今日のあんた、なんかおかしいですよ」  溜息混じりに腕を突っぱねようとするけれど、先刻と同じようにそれをロイは許してくれなかった。  ――どころか、気がつくとロイの呼吸は再び浅くなっていて、ますます身体を押さえつけられる。 「……?!」  リュシーは反射的にロイを見た。  かち合った金色の隻眼が、獲物でも狙うかのように細められる。さっきまでの印象と違う。瞳孔が収縮している。  ……嫌な予感がした。 「違いますから!」  リュシーは自身を奮い立たせるようにも声を張り、ロイの身体を強く押した。 「ロイ!」  とにかく正気に戻れと、重ねて名を呼んだ。ロイの胸元をドンと叩いた。  その拍子に、ロイの他方の手の中の小瓶から小さく雫が飛び散った。 「あっ……」  それに気付いて、瓶が落とされてしまうのではと思ったリュシーは動きを止めた。  その刹那、ふっとロイの腕が緩む。 「……悪い。リュシー」 「悪いと思うなら、最初からしないでください」  ようやくロイの腕から抜け出したリュシーは、よろめきながらも何とか自力で立つと、すぐさま片手を差し出した。 「返して下さい、それ」  ロイの持つ小瓶へと向けて、催促するように小さく手を振る。  ロイは思い出したように自身の手元に目を遣ると、数拍何かを考えるような間を置いて、 「いいけど……ちょっと付き合ってくれよ」 「……え?」 「発情してるんだよ、俺。群れの雌にあてられて」  けれども、今回その|彼女《めす》が選んだのは、別の雄だった。 「要はふられたわけ」  リュシーの必死の呼びかけに何とか我に返ったロイだったが、自嘲気味にそう言いながらも、その眼差しはどこかギラついたままだった。

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