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番外編 ヒート休暇のお店番9

くるんとした長い睫毛がふるっと震え、ランは驚きながらリアムから手を離し、つま先立ちも止めてしまう。 「どうして、急にキスしたの?」 周りの喧騒の中では消え入りそうな透明感のある声色。真っ直ぐで曇りのない上目遣い。 ランは本当に不意のキスを嫌がるというより何故だがわからないという顔をしている。 可愛くて、つれなくて…… 少し憎らしい。 こう素直すぎる反応には正直に応えてしまいたくなる。花火を見ながら言いたいと思っていたのに……  「好きだからだよ。好きだと急にしたくなるんだよ」 好きだと、キスしたくなる。 挨拶のキスでない、したいときにするキス。 ランは指先を唇にやわく触れさせ、もう2日触れ合わせていない、兄の壊れ物のように大切に触れてくる唇を思い返していた。 あんなに優しいキスなのに、いつからか触れられると、とくんっと小さく胸が波打つ瞬間があった。 いくらでも傍にいて触れ合っていたいのに、身を離されると寂しくて。いくらでもまたあの包み込まれるような温もりを求めてしまう。 小さな頃なら『おにいちゃん』と泣いて呼べばいつだってランの傍に駆けつけてくれたのに。 夜会や出張先で見知らぬ女の人と楽しげに談笑したり、そしていつかは見知らぬ誰かを番にしランに与えていたような抱擁で暖めるのか。 (ずっと、ずーっと。僕だけの兄さんならいいのに) 舞台では群舞の舞踏がクライマックスに移行し、またもテンポの早い旋律に変化する。 演者全員が手を繋いで大きな輪になり足が印象的なステップを刻みながらぐるぐる回り始めた。 その輪を取り囲むように、我先にと群衆も飛び出して行き更に大きな輪を作る。 その全身を震わせるように鳴り響く原始的な太鼓の脈動をきいたとき、ランの中に大きな確信が生まれた。 (わかった。わかったよ…… 僕、兄さんのことが本当に、特別に、誰より一番に好きなんだ) その瞬間胸の中にキラキラと光る星が飛び込んできて、道標のように一筋の光を兄に向かって放ったような。 そんな幻想にランは囚われた。 周囲の群衆が大きな渦ような動きにかわり、目を見開き立ちすくむランは呑み込まれそうになる。 一旦身を離したランの腕を引き寄せて、リアムは踊りの輪とは逆の方向へランを半ば持ち上げつつ引っ張って歩く。 不意の動きに成すすべなく抱き上がられ、振り落とされたらきっと絶対に転倒するだろう。 怖くなったランはぎゅっとリアムの服の袖を掴みあげてしがみついた。 明るい市場や舞台に人々が殺到し、人気のない酒場の横にある路地にランを連れ込む。 白い壁にランを押し当てるようにしながら、腕の中にその小さな身体を囲った。 再び唇を強引に寄せてくるリアムにランは思わず顔を斜め下にそむけてしまった。 リアムは諦めず覆いかぶさるようにして屈む。壁に突いていた両手をランの小さな顔に当て持ち上げた。 けして強い力を込められたわけではないが、有無を言わせず視線を合わさられたことに、初めて本能的な恐ろしさを覚える。 薄暗い路地では影の落ちリアムの表情が追えない。それが余計に怖い。 「お前のことが好きだ。この2日で余計好きになった。修行して帰ってきたら一緒にパン屋やらないか? ……俺と付き合ってくれ」 滅茶苦茶な順番でそう言いながらゆっくりと、ランの小さな唇を覆うように口づけた。 感触を確かめるように角度を変えながら啄まれる。ランは無意識に身を固くして息を止めると、むずがるように喉の奥が苦しげに震えた。 明らかに意識的に拒む素振りに、リアムは意地になり小さな唇に舌を這わせ、より深く奪おうと口内への侵略を試みる。 「やめて!」 ついに声を上げて両腕をどんっとリアムの胸について距離を取る。その際リアムの歯が当たり唇にちりっと小さな痛みが走った。 じんじん痛む唇を拭い、ランはぽろぽろと涙をこぼす。 「リアムの店のパン、大好きだよ。食べると幸せな気分になれるし、リアムの焼くパンはまだおじさんほどじゃないかもしれないけど、一生懸命な味がする。でも、リアムにとってのパンみたいなの、僕にとっての香水は。 僕は調香はできないけど、店の商品が大好きだから沢山の人に届けたい。こんな、物語のある香りなんだよって知ってもらいたい。だから一緒にお店はできない」 「店のことと付き合うことはまた別に考えてくれてもいい。俺がベータだからだめか?」 ランは首を横に振る。急激に楽しかった気持ちはしぼみ、この路地のように暗く寂しい心地になった。 「僕、多分兄さんのことが好きなんだと思う。リアムが言ってたみたいな意味の好き」 するとリアムが激高して右足で壁をドカッと蹴りつけた。子どもの頃のような乱暴な仕草にランは身をすくめて更に涙が溢れてきた。 「やっぱりそうだろ? メテオがアルファだからだ。どいつもこいつも、メテオメテオって……   ラン、やめとけよ。どうせあいつとは番に慣れないだろ? 」 「番?」 「なに? お前だって番になりたいからアルファのあいつと付き合いたいんだろ? でも無駄だろ? アスターのおじさんとおばさんは番になれなかった。おじさんがオメガの香水作りをするために番が邪魔だったからだ。そんなことこの街で知らないやつなんていない」 「つ、番になるなんて…… そんなこと考えたことないよ」 「嘘だな。お前オメガだろ? 番がいないとオメガは発情にずっと苦しむ。それにアルファのメテオとは発情期がはじまったらどのみち傍にはいられないだろ? あいつが番を作ることもないだろうし、お前たちがずっと一緒に店をやっていくなんて無理だ」 そんな考えに至ったことはなかった。 ランにそんなことを教えてくれる人はいなかったのだ。でもみんなは知っていて…… ランのことを哀れに思っていたのかもしれない。 そんな自分が情けなくて、惨めでランはまた大粒の涙を足元にぽたぽたと零した。 リアムは口をつぐみ身動き一つしなくなったランを抱き寄せてその首筋に唇を寄せた。ほっそりしたそこにはまだ誰の印もついていない。無垢な証。 「俺はベータかもしれないけど家族でお前を支えてやる。ヒートのときも絶対にずっと傍にいる。……こんなに可愛いいお前と離れたくなるはずないしな。片時だって離さない」 「……リアム」 「なんだ?」 「苦しくてもいい」 どんっと再びリアムの胸に両手をつきあげ、ランは凛とした声色できっぱりとこう言い放った。 「苦しくてもいいんだ。僕は、それでも兄さんと一緒にいる。母さんみたいに、絶対に兄さんと離れない」 そういうと細い身体で体当りするようにしてリアムの身体を傾がせ、開いた隙間から路地を飛び出していった。

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