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番外編 貴方の香りに包まれたいエピローグ
ミリヤに頼まれてソフィアリの館まで檸檬パイを届けるために、そのあと二人で散歩がてら叔父夫婦のいる領主の館へ訪ねて行った。
執務中はより街に近い旧領主の館にいることも多い二人だが、このところソフィアリが体調を崩しがちだとは街の噂が耳に入るのが早いミリヤの話だ。
ラグとソフィアリの仕事を手伝っている配下の若者たちに実務を回して、領主の決裁の必要なものを農園の館でソフィアリが確認している状態なのだそうだ。
二人で通いなれた大きな扉をノックするとラグが自ら出迎えてくれた。ラグはいつもと変わらない様子で、領主の仕事の補佐をするときのようなかっちりした服装でなく、街の他の男たちと変わらないような作業着に近いラフな格好をしていた。隆々とした筋骨は相変わらずだが頭には白いものが混じり始めて目元の皺も増えたが、逆に渋みが増してかっこいいとソフィアリは臆面もなくのろけている。相変わらず仕事を離れると可愛い人だとランは思う。
「ラグ様、ソフィアリ叔父様は大丈夫?」
「隣室で休んでいる。まあ入れ」
ラグが家事を手伝うオメガの少女に助けを借りてお茶を入れてもらいながら二人をもてなしてくれた。
パイはさっそく切り分けられて、お手伝いの者たちも含めて皆でソファーに輪になって腰かける。忙しいラグとお茶を共にするのも一週間ぶりか。その時はまだソフィアリは調子はそれほど悪くなかったと思うが、忙しい時でも人一倍無理をする性格なので少し寒くなってきた今の時期、体調を崩してしまったのかもしれない。
ランも甘酸っぱいパイを頬張りながら、ここぞとばかりにラグに告げ口するように兄への愚痴をこぼしはじめた。
「それでね、ラグ様。兄さんがアルファの香水は没収っていって返してくれないんですよ。せっかく父様と二人で初めて作った香水なのに」
兄にとってラグは年の離れた尊敬できる兄貴分であり、身近にいる世界をよく知っている大人の男だ。ラグの助言はメルトのいうことよりメテオはよく聞くとランは知っている。
それと同時にランにとっては叔父の連れ合いでもあり、真の意味で親族となった大切な人。街の人々はランにとって家族同然であるが、ランにとって昔から愛して可愛がってくれた二人はやっぱり別格だ。
そして二人の様に心の底から愛し合い、尊敬しあい、高めあう番同士になりたいとランはいつも思っている。
「発情期にはならなかったが、疑似発情みたいな状態になっていたようなんだ。ぼんやりしてたのか、一種の酩酊状態になっていたのか…… 俺が帰宅したら浴室側の鍵は開いていたし、電気はそこら中つけっぱなし、窓とか他の場所の戸締りもしていなくて本当に物騒で危なかったんだよ。眠っている間になにか大変なことにならなくて本当によかった。だからこれは俺が預かっている」
メテオは怜悧な表情で淡々と話しているが、昨晩は本当に驚いたし、実際我を忘れかけた。メテオが先に家に帰りついたからよかったが、平和な街とはいえよからぬ輩が入り込まないとも言い切れない。
ランがテーブルの上に置いていたアトマイザーを素早くメテオが取り上げたが、その手を両手で包むようにしてランが取り返そうとする。
一見揉めてはいるが、ランが兄を見つめる目元は終始ニコニコしていて甘やかな雰囲気が二人の間に漂ってた。
年若い館のオメガたちもそれぞれパイを食べたりおしゃべりして休憩しながらくすくす笑って、それぞれ自分の未来の番への期待を膨らませていた。
ぷんっと頬を膨らませるランの顔は小さいころと変わらないのに、もうメテオの番になったのかと、月日の流れと子供の成長は早い。ラグはそう思いながら穏やかに二人の痴話げんかを聞いている。本当にみなあっという間に大きくなる。
「そんなに効き目があるものなのか? 逆にあれだけ流通してきたオメガの香水でアルファがラットになったことなぞ、メルトから聞いたことがないぞ」
「それはそうなんですけど」
兄からついに香水を取り返したランは、いそいそとテーブルを回ってラグのもとに避難して隣にぴょんと座る。アルファの香水の入ったアトマイザーを取り出すとラグはシュッとひと吹きして首をかしげる。
「まあ、普通のさっぱりした香りの香水に感じるな。悪くはないが…… 番にはとても効くということなのか、よくわからんな」
「寝台に俺の服をかき集めてきて、香水振りかけてそのうえで寝るっている謎の行動もとったし。おかげで朝からぐしゃぐしゃの服を洗濯し続けて大変だったよな? この香水の効果なのか。なんなんだろうな?」
「そのことはメルトに話したのか? 」
「まだ父には話に行っていないからこの後寄ります」
「旅行から持ち帰った洗濯物も洗えたし一石二鳥だったから、まあいいかなって。それで僕、アルファの香水で本当にそんなことが起きるのか研究してみたいと思ったんです。もしよければソフィアリ叔父様たちの分のアルファの香水作ってみたくて。ラグ様の香水! どんな香りなんだろう、かっこいい香りかかな? 強そうな香りかな?」
失礼ながらもふもふした獣の香りを想像してしまったがそんなはずは多分ないだろう。フェロモンは総じて甘めというのが定説だ。実は番がいない父のアルファの香りもランは知っている。メテオに少し似ているからうっとりしてしまうが、そんなことをメテオに言ったら大変なのでランは黙っている。母も番はいないが、発情期がなくなってしまったのでフェロモンは香らない。そういえば母の香水の話はまだ父に聞いたことがない。機会があったらいつかは聞いてみたいと思う。
生き生きと頬を紅潮させてランはいつになく熱心にそんな話をする。何かに夢中になったランの顔は本当に輝かんばかりにかわいらしいが、またむくむく嫉妬心が沸いてきたメテオは流石に自分で自分に心の中で呆れていた。
でもまあこれは自動反応とでもいうべきもので、自分でもどうすることもできないもわかっている。
「疑似発情か…… それは当分試せなさそうだが」
ラグの静かなつぶやきにかぶさるように、ソフィアリの声が聞こえてきた。
「ラン。来てたんだね」
隣室から珍しく足元まである長い部屋着姿のまま、艶々した黒髪を三つ編みに束ねたソフィアリが出てきた。年齢を重ねても冴え冴えとした美貌は健在だが、顔色はいつもよりさらに青白く、なんだかやつれて一回りは顔が小さくなったようにも見えた。ランが心配げに眉を顰める。
「ソフィアリ叔父様、やっぱり体調がお悪いの?」
「少し食欲も出てきたし。ミリヤさんの檸檬パイだろ? 無性に食べたかったんだよね」
ランとラグの座るあたりに向かって歩いてくるが、なんとなく足取りがふらふらしている。
ラグが慌てて立ち上がってソフィアリの腰を抱くように身体を引き寄せたがソフィアリは笑顔でそれを制した。
「大丈夫だよ。隣で話が聞こえていたよ。興味深いね。ラン、香水貸してみて」
「おいやめとけ」
ランから茶色のアトマイザーを手渡されたソフィアリは、間髪入れずにシュッと香水を散布する。しかし見る見るうちに顔色が変わってきた。
「気持ち悪い」
真っ青な顔のまま長い指が優美な手で口元を抑えると、ソフィアリはよろめいて壁にぶつかりながら部屋を去ろうとするから、ラグが軽々と抱え上げて隣室に取って返す。そんなソフィアリの姿を初めて目の当たりにしたランはおろおろし慌てて兄の隣に戻ってきた。
「ソフィアリ様…… そんなに臭いか。俺の香水」
「自分の番のじゃないと臭いのかな? それともそんなに体調が悪いのかな……」
呑気な会話を呟く若い番たちのもとに、ラグが少ししてから戻ってきた。ラグにしては珍しく少し焦ったような表情をしている。そして気を改めるようにして居住まいをただすと二人の前に立つ。
「まあ、今のを見てわかったと思うが。その…… ソフィアリは妊娠している。だからまあ、当分俺の香水を作っても試せんと思うからそのつもりで」
武骨な彼が頭をかきながら少し恥ずかしそうにそう言ってきたから、ランは大喜びして立ち上がってラグに子供のころの様に飛びついた。
「わあ!!! おめでとうございます!! すごい!」
ラグは彼にしては相好を崩したというか、本当に穏やかな嬉しそうな顔をして頷いた。長らく街のみんなから父親のように慕われてきた優しく強い男がついに本当に父親となるのだ。
ラグがかつてソフィアリとは別の番と子がいたことをランが知ったのはつい最近のことだった。愛する家族を失って、その時若いラグはどんなにかつらく悲しい思いをしたのだろうと、聞いたときはショックだった。そして時を経た今愛してやまないソフィアリとの間に再び我が子を授かったことにランは自然に涙が滲んでぽろぽろと止まらなくなった。
成人直前に番ったソフィアリだが長い間子宝に恵まれないできた。仕事も忙しく半ばあきらめていたのだがこの度授かることができたのだ。
ランはわが事に様に嬉しくて、兄に抱き着きながら涙を流して喜んだ。
「嬉しいなあ。生まれたら毎日ここにきて沢山可愛がるんだ」
顔を上げて潤んだ瞳のまま兄を見上げたら、口には出さがメテオが日の光を浴び黄色く光る眼をやや目を細めたことをランは見逃さない。段々母のアスターの様に兄の僅かな変化に目ざとくなってきたランなのだ。
「兄さんが一番大好き。だからそんな顔しないで」
その発言にはメテオもびっくりして、顔を真っ赤にして反論した。
「何も言ってないだろ?!」」
しかし子供のころからメテオのことを知り尽くしている兄貴分のラグまでも首を振りながら否定するし、周りの少女たちもくすくす笑いをして『メテオさんお顔真っ赤~』と涼やかで華やかな声を上げてからかってくる。
「いや、メテオ。顔に出ていた。お前は昔からそうなんだ。言いたいことがあるならちゃんと言わないといけない。そんなことだからたまに爆発するんだ」
「そうなの。最近気がついたんですけど、兄さんはすごくやきもちやきなんです。僕が兄さん以外を好きになることなんて絶対ないのに。それに僕たちもう番なのに、なんでこんなに不安そうにするのか、僕にはわからないんです」
(今さらやっと気が付いたのか? メテオの嫉妬深さは街中みんな知ってるぞ? どれだけ大らかな子なんだ、ラン)
とラグは思ったが大人なので素知らぬ顔を通した。
隣に本人がいるというのに、ランが珍しく強気に出たのはラグがメテオにとって実の父よりもある意味信頼している相手だからだ。
ラグは今でも小さいころ見上げていた時と変わらぬほどの迫力ある大きな身体で、がしっとランの肩をつかんだ。そして慈しみ深い、深い森の木々ような色のまなざしで見下ろす。この難しい兄について、お節介だとは思ったが大切なことを伝えてやりたいと思ったのだ。
「ラン、メテオはな。ずっと不安だったんだ」
「ラグ!」
すぐさまメテオが咎めるような声を上げるがラグは無視して続けていった。
「番になったんだ。いまさら格好をつけるな。いいか、ラン。メテオは子供のころから、いつかおまえが中央の家族の元か、もしくはどこか外国にでもいってしまうのではないかと、その不安と焦りと戦い続けてきた。どうしたらお前とずっと一緒にいられるか。そればかりを考えて生きてきたんだ。だからまあ、お前はとにかくメテオに執着されて大変だとは思うが、安心させてやることだ。それには今まで通りお前がいつでも変わらず傍にいてやることが大切だ」
(僕がどこかにいってしまうって、そう思ってたのか)
ラグの言葉に、昨晩の兄の姿が蘇る。なぜか兄から感じ続けた焦燥感の正体。
それを知ることができてむしろランは心の底からほっとしていた。
これからも変わらず、いくらでも兄に愛情を注いで行ける、無限に愛を供給してあげられる自信がランにはあった。
だからといって兄がいつまでも満たされないのはそれはそれで哀しい。
(どうしたら伝えられる? いつだって僕は兄さんのことが大好きで傍にいたいのに)
不安げに兄の二の腕あたりの袖を掴んだランに、メテオは頭を抱き寄せてやる。
「でもまあな、メテオ。ランはお前のことを深く愛していると、これでよくわかっただろう。疑似発情とか難しいことを考えているようだが、多分そうじゃない。オメガが番の服を山盛りするってのはな、『巣作り』って言われてる行動だろな」
「巣作り?」
若い番の二人は小さな町で育って、番を持つ同年代とそんな話をする機会もなかったのだろう。目を丸くしてラグを話を聞き返してくる顔は、二人とも幼いころとまるで変らない。ラグは息をつきながら穏やかに笑う。
「巣作りの話はよく軍でも里でもアルファ同士では自慢話で聞くことが多かったが、お前たちは初耳みたいだな。アルファへの愛情が深いオメガがよくするとかまあ、そんな類の自慢話だ。番の残り香りのある衣服なんかをつかってな、自分なりに工夫をして巣づくりして、愛する番を誘うんだそうだ。発情期前に起こるとか言われているが、一般的に番への愛情が深いオメガがするという俗説があるからな。ランがお前を心から愛しているとそのαの香水とやらが行動を誘発したのかもれんことは否定できんが。面白そうな症例だからバース性の権威がちょうどいるじゃないか。ギルバート先生のとこに行って話をしてきたらきっと喜ぶぞ」
「そうなんだ~」
目を丸くしたまま感動して手をぱちぱち叩くランの隣で、今度はあからさまに嬉しそうな顔をしたメテオだ。ランと番になってからのメテオと言ったら今まで抑えていた感情の蓋ががばがばに開いたように不機嫌になったり有頂天になったり非常に忙しそうだ。
「ラグ様もソフィアリ叔父様にしてらったことあるの? 巣作り」
「あるぞ。もちろんな」
「どんな巣作りだったの? 僕みたいにクローゼットすっからかんにしたの?」
愛らしいランの質問に、ラグは野性味あふれ渋みのある表情でにやりと笑う。
「そういう秘め事は自分の中に大切にしまって置くもんだ。まあ、いい思い出だってことだな。口に出しても伝えきれないものが目に見えてよくわかるっていうのも、たまにはいいもんだ。なあ? メテオ」
実家の母から夕食をとってから帰ればいいのにと引き留められながらも、二人は洗濯物を取り込みたいからと早々に辞してきた。
父のメルトはランがいかに一生懸命愛らしく頑張って香水を作ったのかということを息子にいつもの名調子で講釈を垂れて妻と息子を呆れさせていた。ランだけは父の味方をして父にくっつくと、今度また別の香水作りを父と作ってみたいと可愛くせがんで父を喜ばせていた。
父がわざわざメテオの方をみながらした自慢気な顔をしたから、またもやもやした気持ちになったメテオだ。いちいち嫉妬しているのもいかんと思いつつも今度は父と張り合っていまい、『それなら俺を横に置いて、香りを比べながら香水を作ればいい』とかそんなことが口を突いて出てしまい、うっかりメテオは約束を取り付けてしまったのだった。
家に帰ると今度は二人で大切な工房の掃除をした。
残ったアルファの香水を返してもらったランは、以前海の女神祭りで売った小さなペンダントが棚のどこかに残っていたのを探し出して、その中に兄の香りの香水いれて手のひらの中に包み込んでうっとりした。
「そんなに俺の香りに近いか? その香水」
「正しくは、『兄さんが僕と一緒にいてリラックスしている昼頃の香り』を目指して父さんと作ったんだ。朝の爽やかな兄さんも、夕方のちょっと疲れてきた兄さんも、夜のちょっと怖いえっちする時の兄さんもまた違うんだ」
ランが真面目な顔で、まるでメテオ研究者の様にはきはきと答えるからメテオは驚きつつも笑ってしまった。
「そうかそうだよな。俺の一日のうちの、時間を切り取ってくれたんだな。
オメガの香水もその人の人生のある瞬間の香りをその刻と共に閉じ込めたものだ。ソフィアリ様の香水が発売から10年以上たっても未だに支持されるのはラグに恋をした時のソフィアリ様の咲きかけの初々しさがつまっているからかもしれないって父さんがいってたな」
ソフィアリとラグの眩く美しい恋と愛とが花開いてくところをつぶさに見ていたメルトが二人の姿に打たれて作った香水。
だとしたらランがメテオの香水を作ってくれた動機。それはメテオを愛する気持ち、そのたった一つの気持ちに他ならない。
自分をじっと見つめてくる窓辺からさす光により赤々と色づく瞳に宿るのは愛情ばかりだ。
「僕も僕の香水が欲しいな」
「ランの香りは本当なら誰にも触れさせたくない」
そう断言したら、ランはしょぼんとこんどはガラス瓶の曇りを取っていた手を止めて下を向いてしまった。
「でも俺のことが好きなランの香りをみんなに見せびらかすのも悪くないかもしれないな」
そう言いながらメテオは部屋の奥に設置してあった大きな木製の薬棚からラベルの付いていないオパールの光沢をもつ小さな小瓶を一つ取り出し、落ち込むランの目前に差し出した。
ランが顔を上げると、少し困ったような顔をした兄が愛おし気に香水の蓋をとりふわりと空中に散布する。
甘い花のような果物のような柔らかな香りがあたりを漂っていく。
「これがランの香り。名前はサンライズ。瓶はまだ仮のものだし、まだ作り途中だが、お前の香りだよ。イメージは俺と番になる直前の、咲きかけの香り」
兄がこっそりランの香りの香水を作っていたことを知らなかった。驚きすぎて言葉がでないでいると、続けて兄はさらに奥から今度は深いガーネットのような深紅の小瓶を取り出す。
「こっちはサンライズⅡ この間…… 女神祭りの花火の夜に俺を包んでくれた時のランの香りだよ」
「兄さん!」
ランは両手に小瓶を持った兄の胸に嬉々として飛び込んでまた胸のあたりの香りを堪能した。夕暮れ時の工房の中は少しずつ暗くなってきたが、兄がいるせいかなんだか周りまで輝いて見える。
「嬉しい。俺、ずっと憧れてたんだ! オメガの香水に自分の香りも加わればいいなあって」
「本当はずっと誰にも触れさせないでとっておきたかったんだけどな。ずっと俺ばかりがお前のことを深く愛しすぎていると思っていた。でも分かったんだ。お前の愛情の深さには到底かなわないって」
「当たり前だよ。僕の人生最初の記憶は兄さんの笑った顔だよ。絶対そうなんだから。その時からずっと僕は兄さん…… メテオのことだけ愛しているんだ。だから不安になんてならないで。いつでも一緒。ねえ?」
ランはポケットに入った手紙を取り出して兄から少しだけ身体を離すとそれをじっと見つめて兄を見上げる。
それはラグが帰り際に二人に渡してくれた手紙だった。シックな藍色の封筒には赤いシーリングスタンプがなされた古式ゆかしい手紙だった。
その印章をみてメテオは顔色を変えていた。
『ソフィアリがさっきこれをランに渡す様にといっていた。バルクからの手紙だ』
兄と二人だと開けずらくなりそうでその場の勢いで開けて三人で中を読んだ。
結婚後すぐに番になった二人に会いに行こうと思っていたのだが、なかなか時間が取れないから新婚のうちに旅をすることもよいだろうとバルクからの中央への招待と、そして母であるミカに初めて会いに来てみないかという誘いの手紙だった。もちろん期日はない一等客室のチケットがはいっていた。
それから家に着くまで、メテオは無言になってしまったのでランは胸がふさがれていた。洗濯物を取り込んで今度はこの部屋に来て。そしていまに至ったのだ。
「兄さん。今度さ、いってみない? 中央に。俺と一緒に父と母に会ってほしい。中央に行くなら兄さんとがいい。一緒に行って、一緒にこの街にまた戻ってくるんだ。俺の選んだ人はこの人ですって、会ったことはないけれど俺を生んでくれた人に兄さんを自慢したいんだ。ダメかな?」
ランはやはりわかっている。メテオの不安も焦りもすべて。ラグに言われる前から聡い部分では気が付いていた。その上でいわば荒療治の様に自分でメテオを選んだのだと宣言しに行ってくれようとしているのだ。
メテオが設えた馨しい小さな鳥かごの中、健気に明るく元気に囀る愛らしい小鳥のようなラン。
逃げられないから籠の中でそのまま過ごしてくれているのだと思っていた。
でもきっと実際は違うのだろう。いつでもその籠を自分で開けられる賢い鳥。
いくらでも羽ばたくことが容易な大きな翼をもつ若く美しい鳥。
それでもわざわざこの街にとどまってくれているのだ。
メテオへのあふれる愛情がランをこの街に留めさせている。
たまらなくなってメテオはランを香水瓶を握りしめたままきつく抱き寄せた。
「ラン、わかった。一緒に行こう」
「兄さんと父さんの香水が中央でどういう風に売られているのか、僕だってお店の一員だもの。興味あるよ。兄さんと一緒ならどこにいってもきっと楽しいよ」
「そうだな。お前と一緒なら、俺もいつでも楽しい」
メテオは頷いてランの旋毛にキスを落とした。甘い香りは髪からも漂ってきた。それはランも感じていた。兄の香りがなんとなくいつもより甘くて優しい。包まれていたらまた眠たくなってきてとろんとろんと蕩ける気持ちになる。
「兄さん、部屋に戻りたい。ずっとかいでいたいな。兄さんの香り」
「一晩中でも、一生でも。好きなだけ」
耳元で低く甘い声で囁かれて、ランはまた夢見心地のまま兄の香りにのまれていく。ランを抱き上げたメテオも番のハチミツ酒の様に甘く官能的な香りに包まれて、僅かに吐息を弾ませながら一路寝室を目指していった。
今夜もまた、貴方の香りに包まれて眠りたい。
お互いがそう思いながら、日が落ちたばかりの冴える夕べから。
相愛の二人の長い夜は再び始まったばかりだ。
終
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