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盂蘭盆

 八月の半ば、三日間、俺は邑妹(ユイメイ)とアジアを訪れるのが慣例となった。香港のオヤジの墓に線香を手向け、手を合わせる。墓はオヤジの古馴染みの茶屋の小母さんがいつも綺麗にしてくれてる。香港の墓は日本のそれと近いが、個人ごとに立てられている。  俺はずらりと並ぶ丘の上の墓石群の中、オヤジの墓に老酒と花を備え、冷たい石にそっと手を触れた。 ーオヤジ.....ー  しかめっ面でいつも難しい顔をしていた。でも髪の薄くなった頭を撫でて笑う顔は優しくて、酔って目尻の下がった顔は布袋さんみたいだった。ヤクザ者のくせに勉強には厳しくて、小さい頃から広東語と英語を仕込まれた。ロシア語も出入りの得意先のお母さんに習った。今思えば、『連絡員』てやつだったんだろうな。  それなのに、俺がドイツ人と日本人の混血だと言いながら、 ー必要ないから....ー とドイツ語を学ばせようとしなかったのは、たぶん、ドイツ語を学ぶことで辛いことを思い出すかもしれないと思ったろうし、俺の父親は自分なんだ.....という主張なんだろう。  俺はそれは間違ってはいないと思う。  俺を育ててくれたのは、間違いなく、趙、あんただ。俺にとってあんたは間違いなく、大事な父親だ。 「いつか、俺はここに帰ってきたい。ミーシャは許してくれないかもしれないけど.....」  立ち上がり、振り向いて呟くと邑妹(ユイメイ)が小さく笑った。 「ミーシャはあなたを死んでも離さないわよ」 .「そうだな。.....邑妹(ユイメイ)。明日はあんたに付き合う」 「ありがとう小狼(シャオラァ)。......さ、ホテルに戻りましょう。ミーシャが待ってるわ」 「そうだな」  ミーシャは嫌そうな顔はするが、 ー東洋人の文化だから......ー  と必ず一緒に付いてきてくれて、墓参の間、ホテルで待っていてくれた。  それは、ベトナムでも同じだった。  サイゴンの郊外には、邑妹(ユイメイ)の両親と姉、そして崔の墓がある.....。  あの日、俺達の『戦争』が終わって、三日した後、俺はミーシャの膝にもたれて、ヤンゴンの街を見下ろしていた。崔に止めを刺して、ほっとしたはずなのに、胸の中がざわざわとざわめいて、落ち着かない。  あの最後に見た崔の眼差しが目の裏に焼き付いて離れないのだ。氷のように鉛のように無表情だった崔の瞳に、一瞬、優しい哀しげな光が宿り、そして消えた。それは、もしかしたら俺が小さい頃、熱を出して寝込んだ時、よく俺の頭を撫でてくれていた医師の眼差しに良く似ていたからかもしれない。  俺はガウンで満足気にタリズマンを燻らすミハイルに訊いた。 「なぁ、ミーシャ......あいつの、崔の遺体はどうなったんだ?」 「ミャンマーの国軍が検分した後、処理される。まだ、検分中だろう。」 「そうか......」 しばらく思いあぐねていたが、俺はミハイルに激怒されるのを覚悟で、ヤツに言った。 「なぁ......崔の遺体、引き取ってやってくれないか?」 「なんだと?」  案の定、ヤツは眉をひそめた。だが、俺はそんなことは承知だ。ソファーから降りて正座して、ヤツに頭を下げた。 「ちゃんと荼毘に伏して.......アイツの婚約者と一緒に葬ってやりたい。アイツがどんなに非道をしてきたかは知ってるけど...情けをかけてやってくれないか?」 「慈悲ってやつか....」  ミハイルは俺の顎を掬い上げ、この上なく渋い顔をして、俺の目をじっと見つめた。俺は神妙に、頷いた。 「お前次第だな」  ミハイルは俺の頭を撫でながら、ガウンの前を寛げた。まったくこいつは......。  俺はヤツの股間に顔を埋めながら、だが俺の頭を撫でる手が、いつにもまして優し気に感じた。そして、散々、俺を啼かせた後、ぐったりと横たわる俺の傍らで、モバイル越しに誰かと喋っていた。いや、たぶん脅していた。結局、優しい奴なのだ。  翌日、検分の終わった(つまり急がせた)崔の遺体は、俺とミーシャ、ニコライ、それとイリーシャに抱き抱えられた邑妹(ユイメイ)の立ち会いで荼毘に伏され、遺骨は、邑妹(ユイメイ)に渡された。  邑妹(ユイメイ)は、小さくなった『伯嶺兄さん』を胸に抱いて、そっと涙を溢していた。    それから一度、サンクトペテルブルクに戻り、ミハイルの部下が確認を終えたとの報告を待って、邑妹(ユイメイ)がサイゴンに飛び、崔の遺骨を埋葬した。 「ありがとう、小狼(シャオラァ)」  邑妹(ユイメイ)は、両親の墓碑の傍ら、仲良く寄り添って建つ姉、苓芳(レイファ)と崔伯嶺の墓碑の前に花を捧げ、呟いた。 「これで......きっと姉さんも安心して眠れるわ。生前も、いつも伯嶺のことを心配してた。真面目で、繊細過ぎるから.....って」  振り向いた邑妹(ユイメイ)の両の目にはうっすらと涙が滲んでいた。 「あなたは、似ているわ。やっぱり......」 「止せよ、邑妹(ユイメイ)」  言いながら、俺は邑妹(ユイメイ)と崔が手を取り合って静かに微笑んでいるような気がした。彼らの『戦争』は終わったのだ。 ー安らかに眠れよ、崔。もう出てくんなよ.....ー 「帰ろう、ミーシャが待ってる」  盂蘭盆会は終わった。    俺達は、日常に還る。俺達の『戦争』はまだ終わらないから.......。

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