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外伝 花精の甘露8

 祭りの喧騒は遠く、人の気配も遠い。  そこに、不意に気配が現れた。  ラウははっとして目を見張り、暗がりに目を凝らす。 「ラウ?」  様子を違えたラウに、ミレイアが不審げに声をかける。  カッカッ、と軽快な足取りで暗がりから獣が寄ってくる。  暗がりの中でもわずかな光源を元に輝く銀の被毛。翠の瞳は狼族らしく精悍で凛々しく、だがまだどこか子どものあどけなさを覗かせる。  その瞳が、ラウを見てとろりと蕩けた。 「エリファ!」  カツカツと爪を鳴らして走り寄るエリファレットの口には大輪の花が咲きこぼれ、手足についたままの灯花がフワフワと揺れる。  エリファレットは片膝をついて迎えたラウの胸に飛び込んで、頭を擦り寄せる。  グリグリと押し付ける銀の被毛を、ラウの大きな手が撫でる。 「エリファ、大丈夫か?」  ラウはエリファレットから大輪の花を受け取って、体に異常がないかを調べる。触った感じでは、どこも傷をつけた様子もない。  エリファレットはラウの手を鼻をスピスピと大きくしながら受け入れ、もたれかかる。 「へへ……ラウだぁ……ぼく、ちゃんと甘露をもってかえってきましたよ……ふへへ……」  とろりとした声で、エリファレットがラウに手に映った大輪の花を指し示す。  ミレイアは感動の再会を一歩引いて見ていたが、エリファレットの言葉に近付いてきて大輪の花をラウの手から抜き取った。 「あっ……っエリファ!?」  抜き取られたそれにラウがはっとミレイアを振り返るが、エリファレットが容赦なくラウにのしかかったので非難の声はかき消えた。  ミレイアは大きな大輪の花をマジマジと観察し、そっと花弁に触れる。柔らかな接触だったが、その瞬間に花弁から蜜が溢れてミレイアの白く小さな手を濡らした。 「なるほど。花弁に甘露が含まれているのですね。エリファレット、ご苦労様でした。花精の甘露、確かにいただきました」 「はい! これで姫さまもだいじょうぶですね……」  人型に戻ったエリファレットがラウの首に齧り付くように抱き着いて、ミレイアを見上げてふわふわと笑う。  その様子に、ミレイアはあら、と菫色の瞳を瞬いた。  翠の瞳は潤んで蕩け、白い頬はうっとりと上気して色付いている。 「エリファレット、もしかして酔ってますか?」 「はぁ!?」 「よう? ぼくはだいじょうぶですよ……? ラウにあえたので、もうまんぞくです。ふふふっ、ラウにあえたのでって……おかしい……うれしいなっておもったのになぁ……おかしいの……ふふふふっ……」  ラウにしなだれかかるように寄りかかり、肩口に顎を乗せて、エリファレットは詮ないことを呟いては楽しそうにきゃらきゃらと笑い声をあげた。 「酔ってますね。では、ラウ。エリファレットのことはお任せします」  ディノクルーガーの森に甘露は必ず届けましょうと言い、ミレイアは振り返りもせずに帰っていた。いくら愛らしい銀狼と言えど、酔っ払いになっては相手が面倒なのであろう。  スパっと物事を割り切る潔さは、彼女の中でラウが好ましいと思う一面だ。そんなことを考えて後ろ姿を見送っていると、エリファレットの両手がラウの頬を掴んだ。  ふわっと甘い匂いがしたのは一瞬だった。エリファレットの唇がラウのそれに重ねられ、甘い舌が誘うように唇を舐める。ラウは悪戯な舌を追って開いた口から舌を差し入れ、絡め取って擦り上げる。 「んっ……ぁっ……はぁっ……ん……」  エリファレットの口内は甘く、いつになく芳醇な味わいがした。だがアルコールの感じはなく、絡める唾液がこっくりと蜜のように甘い。味わったことのない甘さと美味しさで、ラウは執拗にエリファレットの口内を犯した。 「ふぁ……んっ……ぁんっ……はっ……ぁ……ラ、ウ……ぁ……」 「甘いな……」  全身が極上の甘露に満たされたように、エリファレットが甘い。ラウは唇を放して、とろりと蕩けて涙の膜を張るエリファレットの瞳を舐める。ふるりと震えるエリファレットの頬は色付いて、へたりと伏せられた耳さえもふるふると震える。ラウはそれを片手で撫でて弄って、赤く色付いた頬にやわく歯を立てた。 「……んっ……」  体がピクンと跳ねて、乗り上げるようにエリファレットの足がラウの腰に絡む。腰を抱えて引き寄せると、存在を主張するものが熱を煽る。  隙間なく体を密着させて、エリファレットがラウの首筋に口付けたまま笑う。 「ふっ……へへっ……ラウ……だいすき、です……」  ふぅっとそのまま、エリファレットの意識が落ちた。ずるりと滑り落ちる体を、ラウは慌てて抱き止める。 「……エリファ?」  くったりとしたエリファレットは頬も薄く色付き、ぽったりと赤い唇は誘うように半開きになっている。だが穏やかな寝息は子どものそれと変わりなく、楽しい夢の中なのか、銀の毛束がゆったりと揺れている。  ラウは煽られた熱をそのままに目を丸くしたが、それも束の間声を出して笑った。ふくふくと幸せそうに眠るエリファレットは穏やかで、ラウはそっと彼を抱え直す。  何を飲まされ酔った状態になったのかはわからないが、このままでは朝まで起きることはないだろう。 「俺も好きだよ、エリファレット」  ちゅっと頬と額に口付けて、ラウは宿屋へと足を向けた。 了

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