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 ある夏のバカンス-シーズン、俺とミーシャはボリソヴォ湖畔の別荘で、賓客の来訪を待っていた。そわそわと落ち着かない俺にミーシャが少しばかり眉をひそめて、耳打ちした。 「あくまでも、商談だからな」 「わかってるよ」  口を尖らせる俺の視線に、イリーシャの運転するリムジンが飛び込んできた。 「来た!」  俺はエントランスを駆け降り、迎えに走る。 「遥!」 「小蓮(シャオレン)、久しぶり!」  リムジンのドアが開き、満面の笑みが駆け寄ってくる。 「元気だったか?」 「もちろん。な、隆人」  少年のような可愛らしげな微笑みの後ろに、やや緊張したような男の苦笑いが見える。加賀谷隆人だ。傍らには桜木俊介もいる。 「この度はお招きいただきまして......」 オヤジどもが、型通りの堅苦しい挨拶を交わして、大理石の階段を昇る。ニコライが深々と礼をして、ミーシャに告げる。 「会議室の準備は整ってございます。遥さまと小蓮(シャオレン)さまは、如何なさいますか?」  ミーシャが振り返り、苦笑いしながら言った。 「水遊びでもしてくるといい。はしゃぎすぎるなよ、パピィ」 「大丈夫だ。俺は犬でもガキでもない!」  息巻く俺に、やれやれ....と二人は笑いながら、ゲストルームに消えていった。さっそく俺は計画を実行に移すことにした。 「釣りに行こうぜ、遥!」 「釣り?!」  俺は、さっそく遥をラフな格好に着替えさせ、ボートで湖面に漕ぎ出した。もちろん、救命胴衣は付けさせてるし、周りにはイリーシャのチームと桜木のボートが周囲を警戒している。 「さ、釣ろうぜ!」 「釣るって......」 俺は餌と針をつけた竿を遥に渡した。 「これを湖面に投げて、後はボーッとしてりゃいいんだ」    傍らでイリーシャが苦笑する。  青い湖面に太陽の光が跳ねて、煌めいている。森に囲まれたここは空気も美味いし、空はサンクトペテルブルクよりなお青い。しばらく二人して、水面をじっと見つめていたが、所在ないのだろう。遥が何気なく切り出した。 「なぁ、小蓮(シャオレン).....いやラウル、あのさぁ....」 「ん、なんだ?」  俺は軽く竿をさびきながら応えた。 「ラウルは、レヴァントと二人で出掛けたりするのか.....その.....プライベートでさ」 「プライベート?」 「いや、あの......レヴァントもデートとかするのかな....と思って」 「デートぉ?!」  俺は思わず竿を取り落としそうになったが、遥の顔は至って真剣だった。あちらの方でイリーシャがわざとらしく横を向いている。これは真面目に答えねばいけないらしい。 「ん.......時々、エルミタージュ美術館に行って、帰りにカフェで一息入れたりするけど.....」  俺達の休日は学生だったあの頃と同じように過ごすのが、慣いだった。 「そうなんだ.....」  遥が俺の真似をして、竿を軽く動かしながら呟いた。  ピチッと、水面を小さな影が跳ねた。 「ラウルは美術館とか好きなのか?」 「美術館が好きなのはミーシャだ。俺はお供さ」  怪訝そうに遥が首を傾げる。 「レヴァントが?.....意外だな。ラウルは着いていって面白いのか?」 「ミーシャは絵画や彫刻が大好きなんだ。夢中になって観賞してる。俺は絵に夢中になって子どもみたいに眼を輝かせているミーシャを見るのが好きなんだ」  そう、大企業のCEOでもなく、マフィアのボスでもない、学生時代から変わらない、学問好き、東洋美術好きのミーシャの顔が、俺は好きなんだ。 「ふぅ.....ん」  釈然としなさそうな遥の目線の先で、大きく竿がしなった。 「遥、引いてる!でかいぞ!」 「ええっ?!」  急いでタモを引き寄せ二人掛かりで引き上げたのは、立派な体格の鱒だった。 「すげぇ!」 「やったな遥!今晩のメイン-ディッシュにしてもらおうぜ!」  柔らかな風にサラサラの髪がなびいて、微笑む遥は少女のようだった。怒られそうなんで言わなかった。  その日の釣果はさっそくにその夜のテーブルに饗され、隆人も感心したように目を見張っていた、皆で和やかに夕食を楽しんだ後、俺とミーシャ、遥、隆人は娯楽室に移った。 「凄い立派なカウンター-バーがある」  遥が部屋の奥にあるカウンターに眼を輝かせた。 「俺、バーテンダーをしてたことがあるんだ。凄いな、色んな酒が揃ってる.....何か作らせてもらってもいいか?」 「遥......」  隆人は口許を歪めて、窘めようとしたが、ミハイルがそれを制した。 「せっかくの機会だ、是非、腕前を拝見しよう。ニコライ、氷を......」  ドアの傍らに控えていたニコライが軽く頭を下げてキッチンに向かい、手早くサーバーに氷を満たしてきた。ライムとペパーミントの葉も添えて;...。 「さて、何を差し上げましょうか?ミスター」  キラキラと目を輝かせている遥に、ミハイルが小さく笑って言った。 「では、ドライ-マティーニを」 「私は、ジン-トニックを」 隆人も小さな溜め息をつきながら言った。 「かしこまりました」  おどけながらも、にっこり笑ってシェイカーを振る遥の手は実に優雅で美しい。細い指が、オリーブをひとつ、グラスに落とし、ミハイルに差し出した。隆人の前にグラスを置き、つぶらな瞳が俺を見た。 「小蓮(シャオレン)はなんにする?」  自慢じゃないが、俺はカクテルなんて洒落たものは殆んど飲んだことがない。ラム-コークぐらいがせいぜいだ。 「えっと.....俺は...」 「パピィにはミルクがいいんじゃないか?」  ミハイルの揶揄いに遥が小さく肩を竦めた。 「じゃあ、カルーア-ミルク?......あ、でも俺に任せて」  遥かがふと何かを思い付いたらしく、ウィンクをして、シェイカーを楽しげに振り、ショートグラスに透明のカクテルを注いで俺の前に置いた。ミントの葉が一枚、涼やかに揺れている。 「何?」 「ギムレットだよ。ドライマティーニときたら、やっぱり相方はこれじゃなきゃ」  得意気な遥にミハイルがくすっ.......と笑った。 「遥は、チャンドラーが好きなのかね?」 「別にそれほど好きじゃないけど、貴方と小蓮(シャオレン)には似合ってる」 「なるほどな.....」  隆人が、くぃ....とグラスを口に運んで呟いた。 「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている価値はない......か」 「そうだよ」  遥が、ジン-ライムを口に運びながら微笑んだ。 「ミスターと小蓮(シャオレン)にぴったりだろ?」  ミハイルの頬が酔いのせいか、わずかに赤らんでいるように見えた。 「何かかけましょうか?」 ジュークボックスに凭れていたイリーシャが軽く口笛を吹いて言った。 「そうだな....」  ミハイルがはにかみながら、俺を見た。 「テイク-ファイブを......」 ーそうして、男達の他愛の無い夜は更けていった。ー

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