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第1話
昼下がりの日曜日。
ベッドサイドに置かれた春人のスマホがバイブで震えた。
「……はる、お前のスマホ光ってる」
「んー……」
寝ぼけ眼で春人がスマホを手にすると、確かにメッセージを知らせるランプがチカチカと点滅している。
受信したのは2件のメッセージ。
高校時代より付き合いのある友人からだった。
「うっそ」
画面を見て春人が固まる。
その様子が気になったのか、和之ものっそりと上半身を動かし春人の隣で寝そべったまま頬杖ついてスマホを覗き込んだ。
「結婚?まじで?」
そこには『俺達結婚しました』の文字と男友達二人の写真。
「えー、まじであいつら結婚したんだ」
「いいなぁ……」
同性婚が法律で認められるようになり早10年。
写真に映る彼らは、幸せオーラできらきらと輝いて見える。
「なぁかず、俺らは結婚しないの?こうして同棲すんのもいいけど、やっぱり何かあった時には配偶者って必要だろ?俺らだって年食ってくわけだしさ。それに孤独死なんかしたくないし」
春人が単刀直入に聞いた。
別に結婚を前提として付き合い始めたわけじゃないけれど、春人と和之との付き合いは、数えてみれば7年にも及ぶ。
7年前の大学の卒業式で春人は和之に告白された。
あれからずっと付き合っている訳だが、酸いも甘いも共に味わい何度目になるかわからない倦怠期をも乗り越えて、お互いもう三十路を目前に、これだけずっと一緒にいるのだからそろそろ身を固めてもいいんじゃないか……と、否が応でも春人は思ってしまうのだ。
しかし春人が結婚を匂わせると、どういう訳かのらりくらりと躱されるのが常だった。
春人は真面目で嘘のない和之のことが大好きだ。
長く居すぎて、その好きは恋愛よりも家族に向ける愛情に近いものに変わりつつあるが、それでも好きな気持ちに変わりはない。
昨日より今日、今日より明日、好きの目盛りは少しずつ増えてきている筈だった。
ただ、──今は少しそれが停滞しているだけで。
「んー」
「ちゃんと考えろよかず。だらだらとこの先もただ同棲するなんて嫌だからな、俺」
「寝起きにそんなこと言われても……」
和之はそう言って頭から布団を被る。
寝た振りをして逃げているのだ。
あからさまな態度にカチンとくる。
(かずにとって俺は一体何?家事だって俺の方が圧倒的にこなしてるし、これじゃただのセフレ兼同居人兼家政婦じゃないか?ただの都合のいい男になってないか?)
春人は溜息を吐くと同時にもやもやとする胸を押さえる。
(こんな長いこと一緒に居たって終わるときは一瞬で、きっと呆気ないんだろうな……)
そんなことを考えながら春人は和之と共にしていたベッドを抜け出した。
「っていうか!やばいかず!」
その瞬間、春人が絶対に忘れてはならない大事なことを思いだし声を上げた。
「ん……?」
相変わらず布団を被ったままの和之が、中からくぐもった声で返事する。
「あ、いや。気付いてないならいいんだ。何でもない」
そう言いながら春人はカレンダーを見て一人テンション高くガッツポーズをきめる。
3週間後の金曜日、3月24日は7年前に和之に告白され、付き合い始めて8年目の記念日だった。
誕生日はもちろん、初めてデートした初デート記念日や初めてキスした和之とのファーストキス記念日。
更には初めてセックスした××記念日など春人の中には記念日が溢れていた。
初めての全てが、大切で尊いかけがえのない思い出であり宝物だ。
春人はそれを大切に思うあまり、初めての全てを記念日化し、祝い、その時の感動を思い出してそれをつまみに酒を飲むのが常習化していた。
(なーんか最近かずのノリ悪いし、付き合い始めて8年目記念、気合い入れてサプライズパーティーやるか!そんでもう一度、結婚について聞いてみよう)
この関係が終わることを考えている暇などない。
早速春人は準備に取り掛かる。
丸一日休んでも準備には足りないくらいだと思ったが、仕事はなかなか忙しく有給は現状取りにくい。
しかし半日もあれば何とかなるだろう。
春人はすぐに半休申請を会社に提出した。
仕事帰りにディスカウントストアへ寄り、部屋を飾りつけるための道具を少しずつ買い足しながら、料理は何を作ろうか和洋折衷様々な料理本と睨めっこする。
和之の好きな料理は春人の作るロールキャベツだ。
だからそれは絶対に外せない。
それからトマトのコンポート。
白ワインに半日は浸けておかなくてはいけない料理だ。いつ仕込もうか。
色々考えているうちに、あっという間に時間が過ぎる。
こうして和之に尽くしている自分に春人は半分酔いしれながら、やっぱり和之のことを愛しているのだと再認識するのだった。
うきうきとした心持ちで帰路に就く。
あれこれ計画を練っていると、やはり思い浮かべるのは和之の喜ぶ顔だった。
和之の顔が見たい、和之に会いたい、と気持ちも高揚する。
自宅に到着し、インターホンを押す。
デスクワークが主な仕事の春人は、営業職の和之よりも帰宅が早いことが多く、インターホンの返事はない方が多い。
しかしこの日は違った。
春人がインターホンのボタンを押すと同時に内側からドアが開き和之が現れたのだ。
「あれ、かず帰ってたのか。ただいま。珍しいな、かずの方が帰り早いの」
「あ、あぁ。俺ちょっとこれから用事あって出るわ」
「用事?」
何とも歯切れの悪い口調で話しながら、和之が靴を履いた爪先をトントンと床に打ち付けた。
「こんな時間から?あ、もしかして飲み?」
「うん。あー……俺帰り遅いからはる鍵かけて先寝てろよ」
「え、うん。わかった。気をつけてな」
春人は黒いダウンジャケットを着こんだ和之の背中を今までに感じたことのない違和感を覚えながら見送った。
飲み会なのかと春人の方から話を振ったが和之は少し戸惑っていたようにも見えた。
(え……もしかして浮気?)
どきどきと嫌な想像に胸が早鐘を打ち始める。
浮気デートにしても大分服装が適当だったなとスニーカーをつっかける和之の足元を思い出した。
しかし考えたところで浮気だろうが浮気じゃなかろうが全てが憶測に過ぎない。
その晩、和之は深夜に帰宅した。
悶々とし眠れなかった春人は、和之が鍵を開けドアを開けて入ってくる音、シャワーを浴びる音、冷蔵庫を開ける音、歯磨きをする音まで、和之の行動全てに耳を傾けるはめになった。
その翌日も夜になると和之は出て行った。その日はジョギングだと言っていた。
あくる日もあくる日も。
そのうち和之は春人と顔を合わせる前に家を出ていくようになり、春人がベッドで眠っている間に帰ってくるようになった。
擦れ違い生活の始まりだった。
おかしい。
確実に何かが変だ。
付き合って7年だ。
7年もの間付き合ってきた中で和之がこんな不審な行動をとったことはあっただろうか。
7年も一緒にいればお互い浮気の1つや2つ、したこともあるしケンカだってした。
ある時、壮絶な修羅場を経験し、若気の至りだったと許すと同時にもう浮気はやめようとお互い固く誓ったのに。
立てた誓いは脆くも崩れ去ってしまったのだろうか。
(もしかして……本命ができたのかな……)
春人は仕事帰りに寄ったスーパーで、特売の卵をカゴに入れながら考える。
(それとも俺の何かが不満だったのか?)
料理も掃除も、営業でくたくたになって帰ってくる和之の負担を軽くしたいと思って、頑張ってやってきたつもりだったけれど、もしかしてそれが逆に和之の重荷になっていたのかもしれない。
(そうだ、きっとそうだ)
だから結婚の話をすれば濁されるし、今だって和之は春人を避けるようにして過ごしているではないか。
付き合い始めて8年目記念パーティーだなんて、そんなことを考えている場合ではなかったのかもしれない。
春人は震える手で卵の入ったカゴを握りしめた。
帰宅するとやはり既に和之の姿はなく、やはり避けられているのだと再認識する。
「……くそっ、何なんだよ!」
春人は食材の入ったスーパーの袋を感情に任せに床へ叩きつけた。
グシャ……と中に入っていた卵が割れる音がした。
和之なんてもう知るもんか、と春人の心は急速にやさぐれていった。
目尻に涙が浮かぶ。
これが悔し涙なのか、春人と和之の無い未来を暗示した失望の涙なのか、自分ではもう考えることもできなかった。
こうして春人の付き合い始めて8年目パーティーは、和之の謎の行動で企画倒れとなり、春人の中で納得出来ない形で消化された。
擦れ違い生活が続いて3週間。
悶々とし続け、仕事では凡ミスの連続。
残業が増え、春人は心身ともに疲れ果てていた。
あくる朝、春人はぼうっとしながらカレンダーを眺めた。3月24日だ。
(あ……24日か。……本当は和之と一緒に8年目記念、祝いたかったのに)
もう無理なのだと、春人は奈落の底に落ちたような物悲しさと失望で生きる希望すらをも見いだせない状態でいた。
(これ以上はもう、無理だ)
振られる前にせめて自分から別れを切り出そう。
春人はそうすることでこれ以上自分が傷つくことのないように自分を守ろうと考えた。
「あのさ、かず」
「春人」
声を発したのは、春人と和之同時だった。
澄んだ明瞭な声で和之に「春人」と呼ばれたのは久し振りだった。
春人は思わず和之に発言権を譲った。
「何?かず」
「あのさ……。ちょっと大事な話があるんだ。今日は俺も早く帰るし、はるも真っ直ぐ帰って来てくれないか?」
どきり、と心臓が跳ね上がる。
春人を呼んだ割りに、話しは方は歯切れ悪く、いよいよ来るべき時が来たのだと春人は悟る。
同時にまるで死刑宣告でもされた罪人のように、頭から血の気が引いていく。
「……わかった」
春人は震える手をぎゅっと握りしめ後ろに隠した。
その日は仕事など手につかず、ぼんやりとした1日を過ごし、帰り道は和之と過ごしてきた7年という長い歳月を振り返り、零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら帰宅した。
自宅に着くもインターホンを押すのも億劫で、ドアノブを直接回す。
鍵はかかっていなかった。
「ただいま」
「おかえり、はる」
玄関先には和之が立っていた。
いつもならば帰って直ぐにリラックスウェアに着替える和之が、スーツを着たまま立っている。
和之も帰って来たばかりだったのだろうか。
「着替える間も惜しいくらい、俺と別れたかった……?」
春人の口からぽろりと本音が涙と同時に零れ落ちる。
「気付かなかったんだ。俺、本当にかずに夢中で。どんなに尽くしても尽くしきれないくらいいい男だと思ってたから、重い男だと思われていたなんてこれっぽっちも思わなくって……。この際はっきりと、この場で俺を振ってくれ!!」
抱えていた気持ちを押さえきれず、やけになった様子で、春人は声を上げ、早口に捲し立てた。
しかし和之は唖然とした表情で口を開く。
「え……何で俺とはるが別れんだよ。た、頼まれたって俺は別れる気はないからな!!」
想定外の返事だった。
春人に向かう和之もまた、驚きと怒りを隠せない。
「へ?」
きょとんとしている春人を見て和之は「違う違う」と言いながら頭を振った。
「そうじゃなくて、俺が言いたかったのは……」
和之がおもむろにスラックスのポケットに手を突っ込み、中から黒い丸みを帯びたケースを取り出した。
和之はその場に立ち尽くす春人の前に跪く。
目の前に提示されたそれがジュエリーケースだったことを春人はその時理解した。
和之がゆっくりとケースの蓋を開けた。
そこにはシンプルなリングが2つ鈍い輝きを放っていた。
「はる。長い間待たせて悪かった。結婚して欲しい」
「え……」
想定外のプロポーズに呼吸も忘れる。
「……えっと、この指輪は今まではるを待たせた罪滅ぼしというか、俺なりのけじめであり、この先も身に付けてほしい、所謂結婚指輪というやつで……一応材質はプラチナ」
「……っ」
春人の目に映るしどろもどろに話す和之が、一気に涙で大きく歪んだ。
何か盛大な誤解がお互いあったのだろうと気付くと同時に、振られる前提で帰宅した春人の心を熱く揺さぶるには十分すぎる出来事だった。
春人はハラハラと涙を溢しながら和之の厚い胸板にしがみついた。
「はる、愛してる」
「うん……っ、俺も……」
春人の想定していた訣別の時は、プロポーズという、それはそれは甘いサプライズプレゼントに変わったのだった。
ジュエリーケースに納められた2つの指輪。
これを買うため和之が毎夜アルバイトに精を出していたことを知るのは、この数分後のことになる。
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