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おまけ『もう一歩、前へ』〈賢二郎目線〉
鍵の開く音がする。
ここで練習しながらサーシャの帰りを待つつもりでいたが、なんだか弾く気分にもなれなくて、ソファでぼんやりしているところだった。
「わっ、賢二郎。来てたのか」
「……おう、おかえり」
「珍しいね、合鍵使うなんて。どうしたの?」
お互い持ってはいても滅多に使うことのない合鍵だ。だけど、自分の部屋で一人きりになってしまうと、抱えきれない感情に押しつぶされてしまいそうだった。
そして気づけば、キーケースの中に新品同様のまま収まっているサーシャの鍵を使っていたのだった。
「はぁ……疲れた」
バスルームで軽く着替えを済ませたサーシャが、賢二郎の隣に腰を下ろした。充実し、心地よさそうなため息だ。口元には笑みが浮かんでいるし、瞳にはまださっきの高揚の余韻が残っている。
「ええ演奏やったで。ほんまに……よかったわ」
「そうだね。俺も盛り上がっちゃったなぁ。こっちの学生はみんな素直でいいね、オケの子たちもすごくまとまりが良くて楽しかったなぁ」
「うん。……よかったな」
いつになく口の重い賢二郎の横顔を、サーシャがじっと見つめているのがわかる。きっと戸惑っているのだろう。
本当は、ちゃんとサーシャの努力を讃えたかった。
来日してすぐの学園祭で、出会って間もない学生たちをまとめ上げ、不安に慣れてしまったがゆえに縮こまっていた累の心を解放し、今日のコンサートを素晴らしいものにしたのだから。
だけど、うまく笑えない。いつもはぺらぺらと良く動く舌がうまく回らない。
まるで構われたがりの子どものようだ。普段は来ないこの部屋へ来て、だまりこくって、俯いて、優しい言葉をかけてもらいたそうに座り込んでいる自分が、心底情けなくて恥ずかしい。
——何してんねん僕……。
このままここにいては、随分と無様なことを口にしてしまいそうで怖かった。賢二郎はため息をつき、ソファから立ち上がりかけたが……。
「賢二郎。座って」
すぐにサーシャが手首を掴む。思っていた通りの反応をしてもらえたことに安堵する。だが、そんなことを考えてしまう自分に幻滅だ。……散らかった感情をどうすることもできないまま、賢二郎はすとんとソファに腰を落とし、くしゃりと自らの黒髪を乱した。
「……すごかったな、累クン。ほんまにあの子は、才能の塊や」
「そうだね」
「スランプなんて感じさせへん演奏やった。……めちゃくちゃ綺麗やった。ほんまに」
「うん……」
「僕も嬉しい。あの子がまた元に戻って……いや、もっと、もっといい演奏ができるようになって。空くんも安心したと思う。僕もホッとしたし」
「……」
ぎゅ、と唇を噛み締める。累の音色に圧倒されてしまったがゆえに、さまざまな感情がないまぜになり、溢れかえってしまいそうだ。
賢二郎が黙り込んでいると、手首を握るサーシャの指に、じわじわと力がこもってゆく。
そこから生まれた微かな痛みに、賢二郎はぴくっと眉をしかめた。
「賢二郎……まさか、別れ話でもしにきたの?」
「……はっ?」
「俺、前も言ったろ。きみがまたルイに惚れ直したらどうしようって。不安だって」
「え?」
「まさか……現実になってしまうとは思わなかった……」
「ち、ちがう! ちゃうよ!! そんなんちゃう!!」
白い肌をさらに青白く染めながら、サーシャがこわばった声でそんなことを言うものだから、賢二郎は慌てた。
「違うねん。ただ、悔しなってしもて……」
「悔しい?」
認めたくもない狭量な自分をサーシャの前で顕にするのは抵抗があった。だが今ばかりは、吐き出さないと収まりそうにない。
久方ぶりに実感した、累への敗北感を。
「……小さい頃からずっと、あんなふうになれへん自分が悔しかった。でも、ヴァイオリニストにも個性がある。求められるものが違うってわかってる。……けど、眩しくて、羨ましくて、苦しくなんねん、今でも」
「……賢二郎」
「あの子の音が好きや。それは変わらへん。けど、やっぱり悔しい。あの子が慕ってくれるからいい先輩ヅラしていられるけど、あんな演奏間近で聴いてしもたら……」
自らの髪を掴む手に汗が滲む。
こんなことは言いたくない。そろそろこのへんでやめておきたいと思っているのに、一度こぼれ始めた感情が、堰を切ったように溢れて止まらなかった。
「スランプに苦しんでるあの子を見て、ちょっと安心してた。天才でも苦しむんや。僕と同じ人間なんやって思えて、ホッとした。あの子はあんなに苦しんでんのに……ほんまに最低や」
「……」
「認めたくはないけど、子どもの頃から……累クンの音を目指して練習してる自分もいて……ふとそれに気づいて悔しくなって、地団駄踏んだりしたこともあった。練習してるとな、あの子の音が頭の中に流れんねん。あの音をなぞろうとしてる自分が許されへんかった。……あの子が、僕と合わせやすいて言うんは、たぶんそういうことやねん。ウィーンで自分なりに納得のいく演奏ができるようになったと思ってたし、最近そんなふうに思わへんかったのに、なんや今日の演奏聴いてたら、また……」
「……賢二郎。顔を上げて、俺を見て」
ぐい、とやや荒っぽい仕草で肩を掴まれ、引き寄せられた。
「やめてくれ。ルイの話ばかりしないでよ」
「……ご、ごめん」
強い語調にハッとして顔を上げると、苦しげに眉をひそめるサーシャの瞳がすぐそこにあった。
だが、強張った賢二郎の顔を見てか、サーシャはすぐに我に返ったように目を瞬かせる。
「あっ…………いや、すまない。そういうことが言いたいんじゃない。けど……」
今度は、サーシャがため息混じりに仰いている。それはウィーンで何度も見てきた顔だった。
累に嫉妬を感じつつも、賢二郎の心を最優先にしようとしている表情なのだ。それを久しぶりに目の当たりにして、心底申し訳なくなってしまった。
「いや……僕が悪い。ほんまにごめん! 無神経やった」
「違うんだ。俺は賢二郎を励ましたいんだよ。きみの気持ちはわかってるつもりだし、そういう感情も受け止めたいんだ。……なのに、つい、感情的になった」
「サーシャ……」
……自分を殴りたくなった。
これは甘えだ。
賢二郎が抱える累への巨大な感情を知った上で、そばにいてくれるサーシャへの甘えに他ならない。
賢二郎はぎゅっとサーシャに抱きつく。……きつくきつく、力いっぱい。
「ぐっ……ぐ、ぐるしいよけんじろう……っ!」
「ああ~~~~~もう、やめややめや!! こんなネガティブ言うててもしゃーないわ!! キリないわ!!」
「だ、だがらぐるじ……っ、いったん離そう、離そうか……!」
本気で苦しかったようだ。涙目になっているサーシャを解放し、賢二郎は乱れていた前髪をさっとかき上げた。
「はぁ……あかんな、呑まれてしもてたわ。あかんあかん……」
「そう……げほっ。骨折れるかと思った……」
「ほんまに悪かった。ああ~~~さっき言うたこと全部忘れて。ダサすぎやわ」
「そんなことないよ。きみがまだまだ上を目指しているからこその感想だ。ダサくなんてないさ」
「……」
聞きたくもないであろう累への賛辞を聞かされていたというのに、こうして穏やかに微笑んでくれるサーシャの優しさに胸が詰まる。賢二郎は改めて、サーシャに向き直った。
「ごめん。……ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。まぁ……今回のコンサート、きみがルイのことしか見てなかったってのがよ~~くわかったけどね」
サーシャは肩をすくめて苦笑を浮かべ、ギョッとするようなことを言い始めた。賢二郎は青くなって、サーシャのシャツをぎゅっと掴む。
「そ、そんなことないて! ちゃんと見てたってサーシャのことも!」
「『も』ね、俺のこと『も』。ま、指揮者なんてそんなもんだから。ソリストとオケをまとめるのが仕事ですから」
「なぁ、そんな拗ねんといて? 見てたってちゃんと。な? カッコよかったで?」
「はいはい、どうもありがとう」
「もう、ごめんって」
サーシャはふざけている様子だけれど、本心では傷ついているかもしれない。改めて、無神経な自分に腹が立つ。
ここに赴任して初めてのコンサートだから集中したいと言っていたため、サーシャとこうして二人きりで過ごすのも久しぶりだ。なのに、最悪の空気を作り出してしまった……。
賢二郎はやおらサーシャの膝の上に跨り、正面から抱きしめた。唐突な行動に、サーシャが目を丸くしている。
「どうしたの?」
「今日の演奏が素晴らしかったんは、サーシャの指揮やったからや」
「あ……ありがとう」
「うちの頭固い指揮科の教授じゃ、あんなにええコンサートには絶対ならんかった。学生も累クンも、観客もみんなリラックスして、全員が楽しめた。それは指揮者としてのサーシャの力量やろ」
「……賢二郎」
サーシャの腕が持ち上がり、上半身を抱き返される。背中に感じるぬくもりに安堵するあまり、目尻に涙が滲んだ。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」
「ほんまにほんまにそう思ってんねんで! リップサービスちゃうねんで!?」
「リップサービス……?」
ぴく、とサーシャが反応する。そっと脇腹に手を添えられて身体が離れると、サーシャは艶やかな眼差しで賢二郎を見つめ、悪戯っぽく微笑んだ。
「そうだな。キスしてくれたら、さっきのことは許してあげるよ」
「えっ? いや、リップサービスってそういう意味ちゃうくて……」
「知ってる知ってる。けど、賢二郎が言うと、なんだかセクシーに聞こえちゃって」
「そんなわけあるか」
「ねぇ、して? この間の続きだ」
サーシャは自らの唇に人差し指をあて、小首をかしげて微笑んだ。なんというあざと可愛らしい表情だろう。
年上のくせになんのためらいもなく小悪魔っぽい仕草をするところには呆れるが、それが似合ってしまうので恐ろしい。
「……い、一回だけやで」
「一回ね、オーケー。いつでもどうぞ」
「うう」
やはりこういうシチュエーションになると照れ臭いやら恥ずかしいやらで自我が崩壊しそうになるが、これもサーシャのためである。
賢二郎は緊張のあまり乾いた唇を小さくひと舐めして、ドキドキしながらサーシャの唇にそっと自らのそれを重ねた。
押し当てた唇に、やわらかな感触がある。
キス一回、これでサーシャは機嫌を直してくれるはずだ。義務は果たしたとばかりに顔を離そうとすると……するりとうなじにサーシャの手が触れ、そのまま後頭部を包み込まれた。
「っ……こ、こらっ」
「今度は俺からのお返しだ」
「ん、っ……サーシャ……」
あんな拙いキスでは物足りなかったのだろう。サーシャはあやすように賢二郎の唇を何度か啄みはじめた。
「んぅ……っ、ふ……」
「……くち、あけて、賢二郎」
初めてではないのに、毎回最初は縮こまってしまう賢二郎の舌へと、柔らかなものが絡みつく。ゆったりと粘膜を擦られるたびに、くすぐったさに息が漏れた。腰が震えて、しどけない声が漏れてしまう。
声が出てしまうことが恥ずかしくてたまらないのに、あまつさえシャツの中へするりと熱い手が入ってきた。
「サーシャ、っ……」
「キスだけで、こんなに熱くなるの?」
「っ……し、知らん、そんなん……っ」
「きみは肌がきれいだ。触ってるだけで気持ちがいいよ」
「んっ、ぁ……へ、へんなさわりかたすんなやっ!」
「ははっ、そんなに照れなくていいだろ?」
楽しげに笑う様子を見るに、どうやらサーシャの機嫌は直ったようだ。
ほっとして表情をゆるめると、サーシャは艶を含んだ眼差しで賢二郎を見つめた。
そんな色っぽい顔で見つめられてしまうと困る。
このまま雰囲気に流されてしまいたいような、怯んでしまいそうになるような……相反する感情に賢二郎は葛藤した。
だがサーシャはうっとりするほどに優しい笑みを浮かべて、賢二郎の唇を親指で愛撫した。間近で見つめられ、唾液で濡れた唇を強く押されるたび、ぞくぞくと妙な感覚が背筋を駆け上る。
「……脱がせていい?」
「えっ……と」
「もっと見せて。俺だけに」
「ぁっ、……んっ」
もう一度キスをされ、言葉を奪われる。抵抗する間もなくするすると裾をたくし上げられて、シャツを抜かれてしまった。
こういう雰囲気の中で肌を露わにすることが恥ずかしくてたまらないし、この先に控えているであろうさまざまな行為を想像してしまうと……やはり、身が竦んでしまう。
「サーシャ……」
瞳に浮かぶ怯えを感じ取ったのか、サーシャはそっと賢二郎の手を取った。膝の上に跨る賢二郎の手の甲にキスをして、やや上目遣いに微笑む。
「最後まではしないから……今日はもう少しだけ、許してほしい」
「……」
「賢二郎、今は俺を見て。俺だけを」
そう訴えるサーシャの瞳には、隠しきれない切実さが覗いている。賢二郎は、身じろぎをやめた。
——僕はまたサーシャを不安にさせてしもたんやな……。ほんまにアホや、僕は。
大きな手で頬を撫でられる心地よさに、賢二郎は静かに目を閉じた。熱を孕んだサーシャの手におずおずと指で触れ、口元に引き寄せる。
そして、手のひらにキスをした。
——こんなに大事に思ってんのに……。ほんまはもっと、ちゃんと恋人らしいことしたいのに。
賢二郎は瞼を持ち上げ、アイスブルーの瞳を間近で見つめた。
言葉はなくとも、賢二郎がサーシャに身を委ねようとしている意図が伝わったらしい。もう一度深く、唇が重なった。
さっきまでのキスとは違う、情感の込められた濃密な口づけだった。大きく口を開き、賢二郎の吐息ごと飲み込んでしまいそうな情熱的なキス。
口内を深く舐られ、擦れ合う舌のとろけた感覚がいやらしい。あまりに性的な予感を孕んだキスが怖くなり、一瞬はサーシャの腕から逃れようかとも思ったが……。
キスの隙間に賢二郎の瞳を覗き込むサーシャの眼差しは切なげだった。猛々しささえ感じさせるようなキスとは裏腹に、賢二郎の頬に添えられたサーシャの指はどこまでも優しい。
欲しくて欲しくてたまらないのに、必死で欲望を抑え込んでいる——わかっていたことだが、サーシャはずっと堪え続けているのだ。
同性との恋愛に不慣れな……そもそも、恋愛自体に不慣れな賢二郎を想って。
「サーシャ……」
「……ん……? どうしたの? もうやめたい?」
サーシャの首に腕を回し、賢二郎はゆるくかぶりを振った。そして、今度は自らサーシャの唇に食らいつく。
すると腰に回った手に力がこもり、ぐっと強く引き寄せられる。身体ががぴったりと密着すると、互いの昂りを確かに感じた。
さらにキスが深くなり、舌が絡まり合うたびに水音が生まれ、吐息が乱れる。
「賢二郎……」
ふと唇が離れた拍子に、サーシャは掠れた声で賢二郎の名を囁いた。溢れんばかりの思慕が込められた低い声音が、胸の奥深くまでを震わせる。
汗に濡れた背中や腰、サーシャの手が触れている場所からじわじわと甘い快感が広がってゆく。賢二郎は思わず嘆息を漏らした。
ただキスをしているだけ。そのはずなのに、頭の芯が痺れて何も考えられない。
そこへ追い討ちをかけるように淡く肌を撫でられると、身体の中心がずくずくと甘く疼いて、どうしようもなくもどかしい気持ちにさせられて……。
「……賢二郎。なんてかわいい顔をしてるんだ」
「へ……?」
「はじめてだね、こんなにたくさんキスするの」
息は乱れ、力の入らない目でサーシャを見つめることしかできない。そんな賢二郎をサーシャはそっとソファに横たえた。
その拍子に表情をややこわばらせると、サーシャは優しい手つきで賢二郎の頭を撫でた。
「手でするだけだよ。……苦しいだろ?」
「っ、待っ……僕、」
「何も考えなくていい。俺ことだけ見ててくれ」
「んっ…………ァ……」
真上からキスをされながら、窮屈なジーパンの前が開かれてゆく。
露わにされた先端からは、すでにトロトロと透明な蜜が溢れ出していた。
——っ……いやや、こんなん……見られたくない、恥ずかしい……!
にわかに羞恥心がこみ上げて、賢二郎はサーシャのシャツを掴んだ。
「サーシャ……あかん、むり、はずかしいて……っ」
「どうして? 俺は嬉しいよ。俺とのキスで、こんなに気持ちよくなってくれてたんだってわかるから」
「けどっ……僕は、」
「もっと感じて、俺のこと。俺にだけ、全部見せてよ」
繋がった右手をソファに縫い付けられたかと思うと、サーシャの唇が下へ下へと滑り降りてゆく。首筋から鎖骨へと唇が触れ、ビク、ビクッと身体が震えた。
「ンっ……は、ぁ……」
そしてそのまま、ぷっくりと硬くなった乳首に唇が触れ、甘い悲鳴が漏れる。自分の口から飛び出したとは思えないほどに甘ったるい声だ。賢二郎は咄嗟に口をつぐんだ。
だがサーシャは容赦無く賢二郎の尖りを舌で愛撫し、あまつさえペニスまでゆっくりと扱き始めた。
抗いがたい快楽の波に弄ばれながらも、賢二郎は拳で自らの口を塞ぎ、声を殺した。
「んっ……ん! んっ……」
「賢二郎、声、がまんしないで?」
「い、いややっ……こんな、声……っ」
「俺は好きだよ。もっと聞きたい。ほら、手を外して」
一旦愛撫の手を止めたサーシャは、頑なに目を閉じて口を押さえている賢二郎の手を外させた。そして、ふたたびあの甘くとろけるようなキスで、賢二郎のこわばりを解いてゆく。
「ん……んぅっ……ぁ、ぁ」
瞳までじんじんと痺れてしまうような淫らなキスだ。目にも口にも力が入らず、情けないほどだらしない顔をしているに違いない。
だが、サーシャはことさら愛おしげに賢二郎を見つめたあと、眉間に深い溝を作ってため息をついた。
そんなにも見苦しい顔をしているのかとショックを受けかけたが……サーシャは賢二郎の肩口に顔を埋め、ドイツ語でうめいている。
「ああ~~……もう、かわいすぎるからその顔はやめてくれ……もうがまんできない、限界だ。今すぐきみをめちゃくちゃにしたい。きみを抱きたい」
「……なんでドイツ語……」
「あっ、ごめん、心の声が漏れて……」
「……ごめんな、我慢ばっかさせて。サーシャもしんどいやんな、……ここ」
部屋着に着替えたサーシャの股ぐらは、ゆるいズボン越しにもわかるくらい隆々と猛っている。自分に触れることでこうも昂ってくれることは嬉しいが、同時に申し訳なくなってしまう。
「ぼ、僕が……するわ」
「え? 触ってくれるの? 無理してない?」
「してへんよ。い……いっしょに、気持ちようなりたいし」
「賢二郎……」
サーシャの瞳が嬉々として揺らめく。
これまでずっと、こういうことはサーシャ任せで、賢二郎から何かするということは一度もなかった。
ウィーンにいたころ、酒の力を借りて行った行為の数々でも、ただひたすら賢二郎が喘がされるばかりだった。
キスから始まり、手で、口で、賢二郎の熱を散らしてくれていたけれど、そのあとはいつも「俺は大丈夫だから」といって、賢二郎にそれ以上を求めてこなかった。
なので、初めて触れるサーシャの雄芯だ。賢二郎のそれと同じように、鈴口からはすでに蜜が滴り、刺激を欲して脈打っている。
それは柔らかくてとても硬く。そして、驚くほどに熱かった。
「っ……は……賢二郎……っ」
「……こ、こうでええ?」
賢二郎の上に覆いかぶさり、四つ這いになっているサーシャのそれを手に包み、ぎこちなく扱いてみる。するとサーシャは感極まったようなため息とともに、賢二郎と額をくっつけた。
「うん、……イイ、すごく」
「めっちゃかたい……はぁ……すごいな」
「……きみから触ってくれるなんて、嬉しすぎて……もうイキそうだ」
呻くようにそう囁いたサーシャの手が、ふたたび賢二郎の屹立に触れた。情熱的なキスとともに。
「ンっ……! ァっ……ぁ、んっ……」
「……きもちいいよ、賢二郎。……嬉しい、幸せだ」
「んっ……ん、ぁ、サーシャ……っ」
「キスが好き? もっと硬くなった。……可愛いな」
同じことをしているというのに、サーシャはキスをしながら賢二郎をあやす余裕があるらしい。そう思うと若干悔しい。
だが、低音の声で優しく語り掛けられながら色気たっぷりのキスをされ、あまつさえペニスまで愛撫されてしまうと、快楽に不慣れな賢二郎は太刀打ちができない。
「ぁ、……ぁ、っ……はぁっ……も、あかん」
「ん……? なにが?」
「はぁ……っ……、きもちよすぎて……も、イきそ……」
「俺もだよ。そうだ……こんなのはどう?」
サーシャはそっと賢二郎の手を自らのペニスから外させると、ふたりぶんの昂りとひとまとめに握り込んだ。
手とは全く違う感触だ。一番敏感な場所に、サーシャのリアルな熱をまざまざと感じさせられ、ぞくぞくと興奮した。
「ぅ、あ……なんこれ、すごぃ……。あ……ぁっ……」
体液でトロトロに濡れそぼったそれが擦れ合い、とろけあう感触に、賢二郎は顎を仰いて喘いだ。
喉仏にキスをされ、舌先で耳を舐めくすぐられながら「好きだよ、かわいい、きれいだ」と誉めそやされ、いっそう性感が高まってゆく。
「あっ……、あ、あかんて……っ。そんな、いきなり激しくされたら、出てまう……っ」
「出していいよ? 実は俺も……かなりやばい」
「ほんま……? 僕とすんの、きもちええ……?」
「当たり前だろ。きみが可愛すぎて、気持ち良すぎて、頭がおかしくなりそうだ」
間近で囁くサーシャの吐息は乱れ、声にもいつもの余裕がない。初めて見るサーシャの表情が愛おしく、笑みがこみ上げてくる。
「……よかった」
「きみのそんな顔、初めて見たよ。……ああ……賢二郎」
やがて、張り詰めた性器を愛撫するサーシャの動きが速くなり、迫りくる絶頂感に肌が震える。
トロトロに濡れた屹立が擦れ合う。扱かれるたびに腰が揺れ、吐息とともに甘い声がこぼれた。
サーシャのシャツを掴んでしがみつきながら、声を殺すことも忘れて乱れているうち、とうとうあの予感が腹の奥から迫り上がり……はじけた。
「ん、ン、んんっ——……!!」
ビク、ビクッと全身を震わせて吐精しながら、賢二郎はきつくサーシャに縋った。
硬く目を閉じ、二度、三度と肌を震わせる賢二郎を、サーシャはしっかりと抱きとめていてくれた。
サーシャもほぼ同時に達したようだ。胸の上に迸る体液の熱さとともに、興奮の残り香が鼻腔をくすぐる。
余韻に痺れた身体は気怠く、瞼さえ重い。賢二郎はのろのろとまつ毛も持ち上げ、サーシャの肌の匂いを深く吸い込んだ。
「はぁ……っ、はぁ……は……っ」
賢二郎を潰さないように腕に力をこめていたサーシャが、甘えるように賢二郎の頬や額に口づけを落とす。
乱れた吐息もそのままに、ふたりはもう一度深く唇を重ねた。
「……愛しているよ、賢二郎」
無防備な声音で愛を囁かれ、賢二郎のまなじりに涙が浮かぶ。
いつもいつも感じていた。
眼差しにも、普段の何気ないしぐさのひとつひとつにも、賢二郎を想うサーシャの気持ちを。
こうして肌を触れ合わせ、快楽を共にすることができた喜びか、安堵感か……これまで以上にサーシャを近く感じる。
下からサーシャの両頬を包み込み、自らそっと唇を寄せた。
「……僕も」
「ふ……」
キスをしながら笑みがこぼれて、胸の奥がくすぐったい。こめかみへと流れてゆく一筋の涙を拭われながら、賢二郎はひたとサーシャを見上げた。
深いきらめきとともに、サーシャの瞳もゆらめいている。
美しい瞳に見惚れていると、サーシャはひときわ幸せそうな笑顔を浮かべた。
そして賢二郎を力強く抱えあげ、身軽にソファから立ち上がる。
「うわっ! ど、どうしたん急に……!」
まさかこのままベッドにでも連れていかれるのか——!? と、危機感を新たにする賢二郎に、サーシャはほがらかに微笑んだ。
「バスルーム。今日はゆっくり浸かろうと思って、お湯を張ってたんだ。一緒に入ろう」
「風呂……サーシャ、そんな習慣あったっけ?」
「きみが教えてくれたんじゃないか。この部屋、バスルームが広くて最高なんだよ?」
「そら、知ってるけど……って、一緒に? いやいやいやいやあかん。む……」
無理、といつものようにバッサリ斬り捨ててしまいそうになったが……賢二郎は口をつぐんだ。
さっきの行為で弛緩した身体は気だるく、理性が勝りがちな賢二郎の頭の中にも、まだ甘い雰囲気が揺蕩っている。
もうちょっとくらい、サーシャの優しい愛撫に身を委ねていたい——……。
急に腕の中で大人しくなった賢二郎を見つめ、サーシャは首を傾げた。顔が熱くて熱くて、賢二郎はぎゅっと目を瞑る。
「嫌がらないの? お風呂だよ?」
「い……いやちゃうし」
「ええっ? ほんと!?」
「……そ、そんなきらきらした目こっち見んなやっ! 恥ずかしくなるやろ!」
「ごめんごめん。よし、今夜はゆっくり入ろうね」
「……うん」
弾むような歩調でバスルームへと向かうサーシャに体重を預け、賢二郎は真っ赤に火照った顔を両手で覆った。
『もう一歩、前へ』 おしまい♡
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