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第壱話

 大きく咲き誇る、桜の木の下。  少年から青年へ成長を遂げたばかりの、威厳と呼ぶにはまだ覚束ないが強い意思を宿した、真っ直ぐに伸びた甲冑姿の背中がそこにあった。  風に舞って散る花弁を惜しむかの様に、まるで自分自身の姿をそれに見るかの様に、微動だにせず青年は降り注ぐ桜にその身を委ねている。  見上げるでもなく、手に取るでもなく、ただなすがまま。桜の木の下に立ち続ける青年が、遠くから掛けられた声に振り返ったのは、どれ位の時が経った頃だろうか。 「殿!」 「……孝則か」  青年よりも多少なりとも年上だと思われる孝則と呼ばれたその男は、しかし躊躇いもなく青年の元に跪いた。  身につけている鎧の質感や豪華さから見ると、青年よりも身分は低そうだ。だとすると、部下か何かかもしれない。  そう考えると、孝則が青年に膝をつく事もおかしなことではない様に思えた。 「皆、無事に逃げおおせたようです」 「そうか、ご苦労だった」 「殿を案じて皆なかなか行かず、説くのに苦労致しましたよ」 「……俺は、幸せ者だな」 「そう言える殿だから、皆もついて来たのです。もちろん、私も」 「あぁ。感謝している」 「本当は、生き延びて欲しい。領土など捨ててくれてもよいのです、貴方様さえいて下されば」 「俺はここで逃げるわけにはいかない」  絞り出す様に告げられた祈りにも似た孝則の言葉に、青年はきっぱりと首を振る。固い決意を秘めたその瞳は、これ以上の願いを聞き入れる事は出来ない事を物語っていた。  浅くない付き合いであるらしい孝則には、それだけで十分察するところがあったらしい。頭を垂れて、ただ謝罪する。 「出過ぎた事を申しました」 「だが……俺も同じ気持ちだ、お前には生きていて欲しい。今ならまだ……」 「例え貴方様のご命令でも、それだけは承知致しかねます。私は、最期までお側を離れるつもりはございません」 「……孝則」  今度は青年の言葉を遮って、孝則がきっぱりと否定する。  顔を上げて青年を見つめる孝則の顔は、先ほどの青年に負けず劣らず強い意思を宿しており、これ以上の言葉は不要であるようだった。  例え無理矢理に引き離されても、どこまでも付いて行く。そう暗に告げられている事を読み取れないほど、鈍感ではない。 「どうか同行の許可を」 「許す」 「有難き幸せ」 「もし来世と言うものがあるとしたら、またお前と共にありたいものだ」 「そのお言葉だけで、私はこの一生に悔いはございません」 「大げさだな」  孝則の大げさな喜びの表現にくすりと青年が笑うと、冗談でも何でもないと訴えかけるかのような真剣な瞳が、青年を見上げた。 「貴方様が私を忘れても、必ず見つけ出してお側に参ります。必ず……」 「忘れるものか」  死地に赴く直前だとは思えない程、温かな頬笑みを浮かべて青年が孝則に近づくように腰を落とす。と同時に、孝則が引き寄せられるように腰を浮かし……。  まるでそれが当然の事の様に、二人の顔はゆっくりと近付いていった。 * 「……またか」  目を覚ました江藤秋良は、ベッドに身を沈めたまま白い天井を見上げ、そこに現代を象徴する照明器具を見て大きく息をつく。  ここはどこぞの桜の木の下でもなければ、重たい甲冑姿の人間などどこにもいない。ぬくぬくとした布団の中で、スウェット姿でごろごろと転げる事の出来る、文明の発達した現代日本だ。  けれどそんな至福の空間であるにも関わらず、目覚めたばかりの秋良が溜息をつきたくなるのも、無理からぬことだと言えた。  この春、秋良が父親の会社から出向するという形で、地方にある子会社の社長に就任する事が決まって以来、特に赴任地に入ってからは毎日と言っても過言ではない位、同じ夢に捕らわれていたからだ。  夢の中の出演者達の姿から、きっと今よりずっと昔だろうという予想だけはつくが、ヒントが桜の木だけではそれがいつかも何処かもわからない。  わかるのは、自分の役割が「殿」と呼ばれている青年だという事と、その殿に仕えているらしい孝則という名の部下と、信じ難いが上司と部下という関係だけではなく、どうやら恋人同士であるらしい事。  何故夢の中の短い時間の中でそこまでわかるのかと問われれば、殿と呼ばれていた青年と自分がリンクしているかのように、胸の内を手に取るように理解出来てしまうからだと言う他ない。夢とは、大概そういうものだ。  孝則の事を好きだという感情も、それが一方通行では決してなかった事も、最期の時に共に居られる事で心の安息を得られた事も、ただ理解出来てしまったというだけの事だ。  恐らく、敵に追い詰められたとかそういう事態なのだろう。あの先の二人に待ち受けているのは、死という事実だけ。  諦めている様には見えなかったが、これから先の未来がない事実を受け止めている事は間違いない。  それは、あまりに非現実的で。けれど、夢の中の時代では当たり前に起こり得る事。秋良には理解できない、受け入れる事の出来ない状況なのに、夢という都合のいい理由で強制的にわからされてしまう。  あの青年にとっては、自分の命よりも大切な物があり、そしてそれを守るためなら、何でも出来ると思っている。のしかかるその責任と義務は当然のことであって、何故自分がという疑問にも行き当たらない。  それでも、ただの夢だと片付けるにはあまりにも鮮明すぎて。けれど何か出来る訳でも無くて。ただの傍観者として幾度も見せられる世界は、正直キツイ。  せめて、明るいシーンだったらよかったのに。いつもいつも、救われる事などないとわかっている永遠の別れに向かう瞬間を見せられるだけ。  夢の中の彼らは、それでも幸せそうではあるのだけれど。 「気分転換でもしに行くか」  上半身を起こしながら頭上にある窓のカーテンを開けると、外は雲ひとつない青い空が広がっていた。  赴任までは余裕のあるスケジュールが組まれていた為、引っ越してきたばかりの部屋も大方片付いた。着任するのは明日からだから、今日は一日暇を持て余す予定だった。  そうと決めてしまえば、今回の赴任を機に一人で暮らす事になった秋良を邪魔する者などいない。ベッドから降りて、ジーパンとTシャツという可もなく不可もなくの普段着に着替えながら洗面所へ向かい、遠出をするわけでもなく近所を散策するだけのつもりだったので、軽く支度をしただけで部屋を出る。  太陽はまだ頂上へは到達してはいないが、朝と呼ぶには多少遅い時間でもあり、ゆっくりし過ぎたかと若干反省しながら、朝食兼昼食を食べる場所を求めつつ近くを歩いてみる事にした。  今まで秋良の住んでいた場所は、都会の中心と言っても過言ではない場所で、周りに緑こそ少ないものの、徒歩圏内でほぼ全ての事は用足りるような便利な所だった。  祖父の起業した商社の成功の恩恵を受け、何不自由なく過ごしてきたと言っていい。  今回の辞令も、場所こそ都会から離れた場所ではあるが提示されたポストは社長であり、父がゆくゆくは自分に跡を継がせたいと考えている事は明白だった。  秋良には二歳下の弟がいる。秋良がこのまま親の跡を継ぎたくないと駄々をこねれば、そのお鉢は近い内に弟に回る事になるだろう。弟とは特に兄弟仲が良いというわけではない。喧嘩もすれば仲良く出掛けたりもする、世間一般的にいう普通の兄弟だ。  ただ、疑問を感じつつも結局は何の目標も持たずただ流されて生きてきた秋良と違って、今もまだ夢を追いかけ続けている弟を応援したい気持ちはある。だから弟に責任を擦り付けるのは忍びない、そんな風に弟に理由を押しつけていることを理解しながら、秋良は親の敷いたレールの上を進む選択をした。  けれど、文句を言いつつも他の道を目指す訳でもなく乗っかってしまったレールの上は、意外と自分に向いていると最近になって気付いたからかもしれない。弟の事は建前になりつつあり、今では少しずつ上に立つ責任を考えるようになってきている。  だが多分一番の理由は、あの夢を見始めた事だ。  今年二十六歳になる自分より、恐らく弟よりも幾分年下だと思われる青年が、何人いや何十人もしかしたら何百人という民の命を一人で背負っている。  夢の中の時代、それが過去の日本だと仮定するならば、余程の信念をもって下剋上でも起こしたのではない限り、その命の責任を取る立場は自分で決められる事ではなく、その出自に左右されるものだろう。  選択の余地さえもなく、死さえ伴う重い荷物を生まれた時から背負わされる運命をただ受け入れる。そうして生きていかねばならなかった年若い青年を思えば、拒否する権利があったのにそうして来なかった自分の選択など、なんと甘い事だったのだろうと思わざるを得ない。  何より、あの青年に出来て自分に出来ないと思われるのが悔しかった。  夢の中の住人と比べられる事など、あるはずもないとわかってはいるが、どこかで引っ掛かった事も事実だ。受け取った時には渋々だった今回の辞令は、いつの間にか自分にとってとても大切な一歩だと思うようになっている。  だからここに来た事に今更後悔はないが、生まれてからずっと都会で育ってきた身からすれば、この地が不便に感じる事はどうしようもなかった。  とはいっても、秋良の住むマンションのある場所は田んぼと山と川だけに囲まれたような所ではない。恐らくこの近辺の様子からすれば、どちらかと言えば発展している部類に入る場所なのだろう。少し歩けば中規模と言える駅だってあるし、飲食店やスーパーも立ち並んでいる。生活する上で困るという事はないのだ。ただ、望むものが望むだけ手に入る場所ではないというだけで。  一番の違いはその自然の量だろう。駅へと向かう道の途中でさえ、作られた自然ではない風景にぶち当たる。反対方向へなど進もうものなら、少し歩くだけで見渡す限り田畑が広がり始めるに違いないけれど、それを確認する余裕は秋良にはまだない。  この条件下はそんなに悪いものではなく、マイナスに思う事などないはずなのだが、ばりばりの都会っ子である秋良にとって未知の環境である事も確かで、まだ戸惑いの方が大きいと言った所だろうか。  今回は近隣の散策も兼ねているから、引っ越してから幾度となく往復した駅前への道のりではなく、いつもとルートを変えてみる事にした。駅と反対方向へ進んでしまうと、目標とする朝食兼昼食を取れるような飲食店が見つかる可能性が低くなる事は予想がつくから、遠回りをして駅を目指す事にする。  緩い歩調で道を辿っていると、通りがかりの公園の先に小高い丘が見えた。  何かの史跡なのだろうか、子供の遊ぶ遊具があるわけでもなくただだだっ広い緑の公園は、春先の良い気候の割に訪れる人は少ない様で、ゆっくりと散歩を楽しむには気持ち良さそうだと感じ、少し食事を後回しにする事にして秋良は迷うことなくその公園に足を踏み入れた。  なんとなく最初に見つけた丘へと足が向く。緑の芝生を踏み越えて丘の頂上に辿り着くと、そこにあったのは大きく咲き誇る、桜の木。 「……ここ、は」  秋良から思わず声が漏れる。見覚えのありすぎる、その風景に。  まるで身体が鉄にでもなったかのように動けなくなった秋良が、呆然と桜の木を見上げていると、桜の木の反対側に居たらしい誰かの人影が揺れた。  のろのろと視線を移し、そこに居た青年を見出した秋良は、短いスパンで二度目の驚愕に出会う事になる。 「孝則?」 「……っ!」  視線を合わせた途端、思わず口から零れるように発せられた秋良の呟きに反応するかのように、桜の木の陰から現れた青年はこれでもかという程に目を見開いた。そして、その両目からぼたぼたと涙が溢れる。 「え、ちょ……何? だ、大丈夫…ですか?」  自分より年上だと思われる成人男性が、声こそ出してはいなかったが人目もはばからず大泣きする場面など、そう遭遇するものではない。  秋良の身体は、驚きの上に驚きを重ねられ過ぎて固まるのを止めたらしい。目の前の男性が泣いている理由には全く心当たりはないのだが、自分と目が合った瞬間に起こった出来事に無関係とも思えず、ジーンズの後ろポケットに突っ込んであった少しよれたハンドタオルを差し出そうと一歩踏み出したところで、今度は違う力によって身動きできなくなっていた。 「殿!」 「は? ……って、何だ? 何がだ!」  泣きじゃくる男性にどうやらがっちり抱きしめられているらしいと気付いた時には、もう逃れられる状況ではなかった。  自分より体格のいい男ががむしゃらに抱きついてくるというあり得ない事態に対応するまでに、時間がかかり過ぎたのは責められる事ではないと思う。  結局、秋良は男性が落ち着くまでその体勢を維持し続ける事を余儀なくされた。

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