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第74話
「綺麗な手!」
「少し冷やっとしたわ」
「すべすべだった!」
「近くで見ると、うんと綺麗ね!」
『喜劇・源氏物語異聞』と名付けた芝居は、初めて白帆が立役を演じ、その美貌と演技力を遺憾なく発揮した。
次から次へ女性を口説き、最後は団結した女性たちにとっちめられる筋書きに、客席からは拍手喝采が沸き起こった。
「ああ、たくさん笑ったわ」
「お腹の皮がよじれるかと思った」
「いやはや痛快だね。明日からまた頑張ろうって気持ちになるな」
二階席の一番後ろで、壁に左肩を預けて腕を組み、客席の声を拾っている舟而の口元にも笑みが浮かぶ。
「いい反応だ」
最後方の壁に寄り掛かって観ていた森多は、舟而の肩に左手を置き、さらに右手を差し出した。
「舟而先生、初日おめでとう」
「ありがとうございます」
「ぼくの弟子がこんなに活躍してくれるなんて、嬉しいよ」
「これからもよろしくご指導ください」
二人は笑顔で握手を交わした。
「初日、お疲れ様でしたあっ!」
自宅の客間と次の間をぶっこ抜きにして座卓を並べ、『喜劇・源氏物語異聞』にかかわる役者と職方が集まった。
「ごく普通のお惣菜で、お恥ずかしいですけど」
白帆は、豚肉の甘露煮、鰤の塩焼き、キャベジ巻、コロッケ、煮しめ、風呂吹き大根、若布の酢の物、小松菜の胡麻和え、いなり寿司、乾し杏の甘煮など、座卓一杯に料理を並べる。
「白帆チャンが作ったのかい」
床の間の前に座った森多が、前掛けと片襷姿で大皿を運んでくる白帆の姿を見上げる。
「はい。森多先生のお口に合うといいんですけど」
「合うよ。白帆チャンが作ったっていうだけで、日の本一のご馳走さ!」
「お口が上手いんだからっ! おビールでよろしいですか?」
森多の手にコップを持たせてビールを注ぐと、するりと尻を撫でられる。
「もう、森多先生ったらぁ。男の尻なんて触っても楽しくないでしょっ」
白帆は笑いながら森多の手の甲を叩き、隣に座る舟而の後ろに控えるふりで隠れた。
舟而はすううううっと息を吸ったが、白帆にそっと背中を撫でられて、気取られないように静かに吐き出した。
「先生も、おビールでよろしいですか」
「ああ」
白帆がビールを注ぐと、座員から声が飛んだ。
「舟而先生、一言お願いします!」
そうだ、そうだ、という声が上がり、舟而は立ち上がった。
「ええと、では。今日、無事に初日の幕が開きました。皆さんが作品の理解を深めようと、努力を重ねて下さったおかげです。このまま千秋楽まで、事故なく、怪我なく、病気もなく、よりよい芝居をお客様へ届けることができるよう、協力し合っていきたいと思います。お願い致します。乾杯!」
乾杯と、サイダーやビールが入ったコップをぶつけ合う。
「はい、はーい、乾杯! かんぱーい!」
白帆も笑顔で、周囲の人とコップをぶつけ合った。
「白帆さん、このお煮しめの加減、ちょうどよ」
「わーい、お口に合って、よかった!」
小皿で受けた八つ頭を口にしつつ、白帆は末摘花 役の、化粧を落とせばとても美人な女優と話している。
「あら、お酒は飲まないの?」
「私、お酒にとんと弱くて。乾杯もできないのよ、いやんなっちゃうわ」
葵上 役と六条御息所 役の二人が、断髪に軽やかなワンピース姿で、親しげに肩をぶつけ合っているのも、源氏物語を知る舟而にしてみれば面白い光景だ。
舟而はお疲れ様、ご苦労さんと声を掛けながら卓を半周回って、道具方へ酒を注いで労う。
「お疲れ様です。細かい注文をつけて申し訳ありませんでした」
「いやいや、言われてみれば、先生の言う通りだった」
舟而も酒を注がれて、道具方の腕の見せ所など聞くうちに、夜は更けていった。
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