74 / 94

第74話

「綺麗な手!」 「少し冷やっとしたわ」 「すべすべだった!」 「近くで見ると、うんと綺麗ね!」 『喜劇・源氏物語異聞』と名付けた芝居は、初めて白帆が立役を演じ、その美貌と演技力を遺憾なく発揮した。  次から次へ女性を口説き、最後は団結した女性たちにとっちめられる筋書きに、客席からは拍手喝采が沸き起こった。 「ああ、たくさん笑ったわ」 「お腹の皮がよじれるかと思った」 「いやはや痛快だね。明日からまた頑張ろうって気持ちになるな」  二階席の一番後ろで、壁に左肩を預けて腕を組み、客席の声を拾っている舟而の口元にも笑みが浮かぶ。 「いい反応だ」  最後方の壁に寄り掛かって観ていた森多は、舟而の肩に左手を置き、さらに右手を差し出した。 「舟而先生、初日おめでとう」 「ありがとうございます」 「ぼくの弟子がこんなに活躍してくれるなんて、嬉しいよ」 「これからもよろしくご指導ください」  二人は笑顔で握手を交わした。 「初日、お疲れ様でしたあっ!」  自宅の客間と次の間をぶっこ抜きにして座卓を並べ、『喜劇・源氏物語異聞』にかかわる役者と職方が集まった。 「ごく普通のお惣菜で、お恥ずかしいですけど」  白帆は、豚肉の甘露煮、鰤の塩焼き、キャベジ巻、コロッケ、煮しめ、風呂吹き大根、若布の酢の物、小松菜の胡麻和え、いなり寿司、乾し杏の甘煮など、座卓一杯に料理を並べる。 「白帆チャンが作ったのかい」  床の間の前に座った森多が、前掛けと片襷姿で大皿を運んでくる白帆の姿を見上げる。 「はい。森多先生のお口に合うといいんですけど」 「合うよ。白帆チャンが作ったっていうだけで、日の本一のご馳走さ!」 「お口が上手いんだからっ! おビールでよろしいですか?」  森多の手にコップを持たせてビールを注ぐと、するりと尻を撫でられる。 「もう、森多先生ったらぁ。男の尻なんて触っても楽しくないでしょっ」  白帆は笑いながら森多の手の甲を叩き、隣に座る舟而の後ろに控えるふりで隠れた。  舟而はすううううっと息を吸ったが、白帆にそっと背中を撫でられて、気取られないように静かに吐き出した。 「先生も、おビールでよろしいですか」 「ああ」  白帆がビールを注ぐと、座員から声が飛んだ。 「舟而先生、一言お願いします!」  そうだ、そうだ、という声が上がり、舟而は立ち上がった。 「ええと、では。今日、無事に初日の幕が開きました。皆さんが作品の理解を深めようと、努力を重ねて下さったおかげです。このまま千秋楽まで、事故なく、怪我なく、病気もなく、よりよい芝居をお客様へ届けることができるよう、協力し合っていきたいと思います。お願い致します。乾杯!」  乾杯と、サイダーやビールが入ったコップをぶつけ合う。 「はい、はーい、乾杯! かんぱーい!」  白帆も笑顔で、周囲の人とコップをぶつけ合った。 「白帆さん、このお煮しめの加減、ちょうどよ」 「わーい、お口に合って、よかった!」  小皿で受けた八つ頭を口にしつつ、白帆は末摘花(すえつむはな)役の、化粧を落とせばとても美人な女優と話している。 「あら、お酒は飲まないの?」 「私、お酒にとんと弱くて。乾杯もできないのよ、いやんなっちゃうわ」  葵上(あおいのうえ)役と六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)役の二人が、断髪に軽やかなワンピース姿で、親しげに肩をぶつけ合っているのも、源氏物語を知る舟而にしてみれば面白い光景だ。  舟而はお疲れ様、ご苦労さんと声を掛けながら卓を半周回って、道具方へ酒を注いで労う。 「お疲れ様です。細かい注文をつけて申し訳ありませんでした」 「いやいや、言われてみれば、先生の言う通りだった」  舟而も酒を注がれて、道具方の腕の見せ所など聞くうちに、夜は更けていった。

ともだちにシェアしよう!