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第2話

 むにむにむに、うにうにうにうに。  と、顔をこねられる。内から外に、何かしらのクリームを塗り広げられているところだった。ファンデーションはこんなにほんのちょっとの量でいいのかと驚いた。目の周りの皮膚の薄い場所もぬりぬりとされて、変に緊張する。  そうかと思うと粉を叩かれた。それもファンデーションじゃないのか。違うのか。でもなんとなく粉を叩くと化粧っぽい。  冬弥はまだ肩から布団を被っていたが、机の前に座っていた。  向かいには紅蓮が座っていて、机の上には化粧品が並んでいた。  化粧をしたいと言い出したとき、冬弥は遂にきたかと思った。紅蓮の女装(させる)趣味が、遂にこの領域に踏み入ってしまったのだ。 「うわ、すごいぞ。モデルみたいな肌になった。鏡見るか?」 「見ない」 「まあ全部終わってからのお楽しみだな」  目閉じて、と楽しげに囁かれる。キスの合図ではない。  目蓋の上、眼球の形に沿うように、ぎこちない動きでスポンジ状のものが這う。 「デパ地下の化粧コーナーの店員さん、近頃は男でも普通に接客してくれるらしいんだ。でも流石に恥ずかしくてさ、友希についてきてもらったんだが、本当に接客してくれるもんでちょっと暇させてしまったな」 「……化粧の練習もしたのか」 「ちょっとだけ。オススメの練習動画も紹介してもらったんだが……やっぱり見てるより難しいな」  痛かったら言えよ、と、睫毛を何かに挟まれる。多少痛みはあったけど、怖くはなかった。目を閉じて顔を好き放題されても、傷つけはしないだろう、という根拠のない安心感がある。身を委ねていると言ってもよかった。  いいぞ、と言われて、目を開ける。思ったより近い場所でこちらを覗き込んでいた紅蓮が、「あ、でも……」ぽつり呟いてから、ふへへ、とこそばゆそうな笑顔を浮かべる。  アイブロウ。ハイライト。紅蓮の聴き慣れた声から聞き慣れない言葉が次々飛び出して、ぶら下げて帰ってきたデパートの紙袋から次々とアイテムが取り出される。なんとも楽しそう。ぽぽちゃん人形にママの化粧品を塗りたくる幼女の表情の輝きを思わせる。恋人に血色をプラスする紅蓮の方が、だんだん血色を良くしていくくらいだ。  色迷ったんだよなあと言いながら最後に取り出した口紅を、冬弥の薄い唇に真剣な顔で塗りつける。 「ん〜ってして。唇をこう、むいむいって」 「ん」 「そう、上手……」  むいむいする冬弥の口元から視線を離し、顔全体を俯瞰するようにして完成度を確かめた紅蓮は、 「……か、かわいい……」  と本気で照れて目を逸らした。 「あーやばい……想像以上だ、やばいわこれ」 「……紅蓮って本当……趣味悪いよな」 「鏡見ろよ、本当にかわいいぞ?」  かわいいわけがないのは自分の顔と二十二年付き合ってきた冬弥の方がよほど分かっている。 「嫌だよ」 「見ろって」 「絶対嫌だ」 「じゃあ記念写真撮ろう!」 「絶ッ対嫌だ」 「そんなに拒否しなくても」 「そんなにかわいい子がいいなら」  意地になるあまり思わぬ大きい声が出て、ハッとした。 「……お、女と……付き合えば……いいのに」  尻すぼみになる声が自分の本心でないことは、自分がよく分かっているし。  少し首を傾け、大きな口で微笑んで、壊れものを扱うようにそっと頭を撫でてくる紅蓮が、自分のことを何よりも大切にしてくれることも、冬弥はよく分かっている。 「……っ、……」 「ほら、泣くな。メイクが落ちる」  絆されていたらマニキュアまで出てきた。  細くとも節くれ立った男の指先に、筆が乗る。マニキュアというのはひんやりとしている。  机の上にきちんと並べた、さして綺麗でもない指先に、紅蓮がこれ以上ない真剣な眼差しを注いでいる。その顔を見て、ああ、ずるいな、と冬弥は思う。こんなに不本意なことをされているのに、こんなにも自分だけに向けられている彼の顔つきをひとりじめすると、嬉しくなってしまうのだ。好きなんだな、僕は、この男が、と、しみじみと感じ入ってしまうのだ。 「悪かったよ。コソコソして」  爪を見ながら紅蓮が謝った。アホなくせに、冬弥が尾行していたことには気づいていたようだった。 「怒るよな。俺だってお前の立場だったら怒る。ごめん」 「……友希と何もないのは分かってたよ」  あの子は紅蓮の好みのタイプとは対極だし、更にイケメンの彼氏がいる。真面目な紅蓮が彼女相手にやましいことをするはずがない、ちゃんと分かっていた、心が理解しなかっただけで。 「でも、置いていかれたような気持ちになって……」  すん、と鼻を啜ると、丁寧に小指に筆を滑らせる紅蓮の口元が微笑んだ。 「お前の化粧品見繕うために、お前付き合ってくれないだろ?」 「……僕が女の方がよかった?」 「それは違う」  紅蓮のよく響く声が一段と芯を持った。 「よく聞け、俺はな、冬弥。俺の大好きな冬弥を、俺の手でこうやって、いーっぱい飾ってかわいくするのが、好きなんだ。お前がかわいくて仕方ないからあの手この手で構いたくなるんだ」 「……子供のお人形遊びみたいに?」 「否めんな」  わは、と笑ってから紅蓮は続けた。「もちろん素の冬弥の顔が一番好きだけどな!」  ほらできた! ――彼は普段はほとほと不器用な男だが、ひとたび集中すれば思わぬ真価を発揮する。案外綺麗に塗れていた。柔らかい桃の色味に彩られた爪先を見ていると、自分という卑屈でフツメンで価値のない男が、この男に愛されていることの証明のように感じられて、胸の奥がほわっとした。 「人形にされる方は、良い気はしないよな」  言いつつ紅蓮は満足げに爪先を見て、それから冬弥を見て、眉を下げる。 「悪い男だよな。恋人の嫌がることをして」  冬弥も紅蓮の目を見た。  太陽のような瞳の奥にある、少し後めたげな薄暗がり。  ……女装、嫌じゃない、と言うのは嘘だ。というか嫌だ。出来るならやりたくない。  でも、あまり言いたくないけれど、君に好き勝手にされて満更でもないのも、本当の気持ち。 「……どのくらい待てば乾く? これ」 「十五分くらいかな」 「結構長いな」  目を閉じて、とまた言われる。合間に見た、薄暗がりの瞳の奥から、欲情が融け出してくるのが見えた。  唇が触れ、どちらともなく舌が求め合う。  頭を掻き抱いて深くしたいのに、爪が乾いていないせいで手が動かせない。捩じ入れられた舌先から、不安になっている暇などないほどの膨大な欲望が雪崩れ込む。紅蓮の求める無理難題に、冬弥はいつも応えたくなるのだ。

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