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第1話
──土下座。
土の上に直に座り、平伏して礼を行うこと。 日本の礼式のひとつで、姿勢は座礼の最敬礼に類似する。
ついこの間、ドラッグストアーのレジを打っていた女性店員にその場で土下座をさせたという老人のニュースが流れた。
老人曰く、『店員の態度がでかくて気に入らなかったので、土下座をさせた』らしい。
その老人は強要罪で逮捕されていた。
女性の土下座を見て、老人は怒りが収まったんだろうか。
俺は到底そうだとは思わない。
なぜなら今、同じ状況にあるからその気持ちがよく分かる。
リビングの床の上で綺麗な土下座をする、俺の恋人。
その体勢になって随分経つが、俺が何も発しないからか頭が上がる気配はない。
ちなみに強要はしていない。こいつが自らやり始めたのだ。
ちょっと問い詰めたら、すんなり白状しやがって。
やっぱりムカムカが治まることなんてない。
その後頭部に目がけて、俺は思い切り唾を飛ばした。
「てめぇ! あれほどすんなって言ってたのに、とうとうやりやがったな!」
「わぁーごめんしーちゃん! 許してぇ~!」
春 は大袈裟に声を張り上げ、ますます額を床にゴリゴリと押し付けた。
激しく泣くフリをすれば許してもらえると思ってるところは、俺の五歳の甥っ子に似ている。子供だったら可愛い気があるけど、二十五の大人にやられても。
「そんな風に謝るんだったら、はじめっからしなきゃ良かっただろうが!」
「だからごめんって~! この通りだからぁー」
泣き真似だと思っていたが、本当に泣いていた。
金褐色の頭を激しく振りながら泣きわめいて、仁王立ちになっている俺の足首を掴んでいる。
本当に、こんなに泣くぐらいならどうしてしたんだ。
──春が、浮気をした。
自分のアレを、俺以外の男の後孔に突っ込んだのだ。
ゲイバーで出会って意気投合した俺たちは、その五日後には恋人同士になり、二ヶ月後にはもう一緒に暮らし始め、先週、交際一周年を迎えたばかりだった。
四歳年下だけど、春は俺よりも背が高くて崇高な美人だ。
恐ろしく整った顔立ちと人形のように丸く大きな目。
数年前まで雑誌の専属読者モデルをしていたこともあり、街中を歩けばたちまち声を掛けられ、数多くの熱っぽい視線を浴びせられる。
そんな人物だからこそ、付き合い始める際に念を押したのだ。
浮気は、厳禁。
春はしっかりと首肯した。
なのに、その約束を破った。
きっかけは、ゴミ箱の中に見慣れない喫茶店の名刺が入っていたことだった。
何気なく見ると、車じゃないとわざわざ行かないような場所だったのだ。春は免許を持ってない。
女の勘ならぬ、男の勘が働いた。
最初は知らん顔していたが、何度か問い詰めるうちに視線が全く合わなくなって、我慢ならなくなったように床に手を付いた。
で、今のこの状況だ。
やっぱりされたか、と変に納得している自分と、なぜこの春が? とにわかに信じ難い気持ちが同居していて、こっち側の人間だと気付いた瞬間の次くらいに動揺していた。
そうなるのには理由がある。
だって春は……
「本当にっ、軽率な行動だったって思ってるから……っ、だから嫌いにならないでよぉぉお願いだよぉぉぉぉ」
「うわ、汚っ! どさくさに紛れて俺の服で鼻水拭いてんじゃねぇよ!」
そう。春はモテるけれど、俺のことが大好きなのだ。
ゲイ仲間たちには、俺が一目惚れで告白したのだと未だに思われているけど、実際は春の方からだったし、早く同棲したいと提案したのも春だった。
一緒に暮らし始めてからも、愛情が薄れたと感じたことは無かったし、多くはなかったけれどそれなりに夜の営みもあった。
「うぅっ……ごべっ、ごべんねっ、しーぢゃ……俺っ……」
「あぁあぁ、ほら、落ち着けよ、とりあえず」
ついには嗚咽をあげ始めたので、とりあえず土下座はやめるようにお願いした。
春はおずおずと腰を上げ、大人しくソファーに座る。座ってからもしばらくメソメソ泣き続けた。
そんなに泣かれると、こっちが虐めているみたいだからやめて欲しい。
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