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第1話 ファビアンとアレクシス

 緑深いその森の奥には、『学校』がある。  学校の正面は出口も見えない深い森、裏手には海に続く険しい崖。  その『学校』から出られるのは、『卒業』を許された子供だけだ。 「ねぇ、卒業したら、街のお金持ちに引き取られるんでしょう? パウルが言ってたよ」  金茶色の柔らかな髪をした少年、ファビアンは、その琥珀色の瞳を細めながら無邪気にそう言った。歳は十三歳。 (いつ『卒業』の打診が来てもおかしくない年齢になったな)  教官、アレクシスはそう思う。ファビアンは妙に自分になついている。昨日も、一昨日も、他愛のない話題で自分を呼び止めた。 「その認識で間違いないよ。この学校は、高貴な人に引き取られる少年を養育する場所だ。引き取り先が決まったら卒業することになる。君もそろそろ、卒業アルバムの写真を撮ることになる」 「アレク先生は、この学校から出ないの?」 「俺は出ないよ。教官だからね。この年齢で卒業していなかったらおかしいだろう」  アレクシスは今年で十八歳だ。教官と言っても、まだまだ若い。無垢なファビアンは、アレクシスもやがてこの学校を出る機会があるのだと考えているようだ。  そんなことはありえない。それをアレクシスはよく知っている。 「教官って、僕らと同じくらいとか、アレク先生みたいにちょっと年上とか、そうじゃなければうんとおじさんばっかりでしょ」 「そうだね」  事実なので、頷いておく。 「教官って、卒業した後に戻ってくることを希望した人がなるんだって噂聞いたんだけど、本当? それなら僕、卒業した後は教官になりたい! そしたらアレク先生とずっと一緒にいられるから!」  ファビアンがその琥珀の瞳を輝かせるのをみて、アレクシスは逆に深い藍色の瞳を伏せた。 「誰がそんなことを言ったんだ?」 「あ、いけないことだった? ごめんなさい」 「いけないことではないけど、事実ではないよ。君にその噂を教えた子にも、そう教えてあげなさい。教官は、望んでもなれるものではないから」 「……そうなんだ」 「まぁ、少しくらいなら外出は許されるから……それで変な噂がたったんだろうね」 「それじゃあ、僕が卒業したら、たまに会いに来てくれる」 「必ずとは約束できないけど、様子を見に行くくらいはできるかもね」 「やったぁ! それなら僕、喜んで卒業するよ!」  ファビアンの笑顔からは、眩しいくらいの笑顔が溢れている。  何一つ疑うことがない笑顔。そういう風に、純真無垢に育てられた者の笑み。  自分にも、たしかにこんな風に笑っていた時期があった。アレクシスには、それがはるか遠い昔のことのように思える。 「そろそろ何人か、卒業生を選ぶと校長先生がおっしゃっていたよ。君が選ばれるといいね」 「うん! あのね、僕、お金持ちのおうちの子供になったら、頼んでみようと思うんだ」 「何をだい?」 「アレク先生を家庭教師にしてもらえないかって。そしたら、またアレク先生と一緒にいられるから」 「……そうだね。そういう未来があるといいね」 「でしょう!」  あまりにも無邪気で眩しくて、そして罪悪感ばかりが募っていく。  次の卒業生には、彼が選ばれるだろう。この場所に愛着を持ちすぎてはいけない。ましてや誰か特定の人に深い想いを寄せるなんて。  あまりに不毛で、残酷で、無慈悲だ。  ファビアンが手を振りながら駆けて行くのを見送って、アレクシスも踵を返した。  本当に、そういう未来があれば良かったのに。 ◆ 「今日は、卒業アルバムに載せる写真を撮るよ。準備はいいね、ファビアン」 「はい!」  ファビアンは今日も無邪気にアレクシスの元にやってきた。  アレクシスは彼を写真室に連れ出す。彼の『卒業写真』を撮る許可が、正式に降りたからだった。ファビアンは、自分を引き取ってくれる人はどんな方なのだろうと、期待に胸を膨らませている。あれこれと理想の引き取り先を語る彼の姿を、アレクシスはなるべく視界の隅に追いやるようにしていた。 「ほら、ここに君の先輩たちの卒業写真がある。こんな風に笑ってごらん。満面の笑みじゃなくていい。さりげなく、上品に笑うんだ。その方が、高貴なお方は喜ばれるんだよ」 「こんな風に?」  ファビアンが笑って見せる。口角があがりすぎだ。これではニヤついたやんちゃ坊主に見えてしまう。 「もっとふんわり笑って。そうだなあ、ほら、なんとなくいい夢を見た後みたいな気持ちで笑うんだ」 「こんな感じ?」 「そうそう、その笑顔がいいよ。じっとしていてね」  写真機のシャッターを切る。ファインダー越しに見る彼は、モナリザのように控えめな微笑みを浮かべていた。上品で慎ましやかで、美しい少年。 「アレク先生、もう崩していい?」 「大丈夫だよ。お疲れ様」 「えへへ、卒業したらちゃんと会いにきてね、アレク先生」 「約束はできないけど、きっとね」 「約束してよ!」  無邪気なファビアン。アレクシスは幼い子供のように拗ねる彼を見ながら、困ったように髪を撫でた。彼は『卒業』の意味を知らない。この『学校』を『卒業』する大半の子供達が、自分の運命を知らずに去って行く。そして二度と戻ってくることはない。  自分のような、『失敗作』を除いて。 ◆  半月後、ファビアンは『卒業』していった。  愛らしい子だったから、すぐに引き取り手は見つかった。  彼は『失敗作』にはならなかったから、二度とこの『学校』に戻ることはないだろう。そして、二度と自分のことを思い出すこともない。「アレク先生」と呼んで駆け寄ってきた彼の無邪気な笑顔も、いずれ遠い思い出となって消えて行く。 「っ……、ふ、ぁあ、んあっ……」  キシ、と背中の下にある教壇が悲鳴を上げた。 「あ、ああぁ、ゆ、許して……っぁあ……」  キシ、キシと体を揺さぶられる度に教壇が軋んでいる。軋んで悲鳴をあげているのは、あるいはアレクシスの心であったかもしれない。 「君が許しを乞うているのは、誰にだ? 主人である私にか? それとも、先日送り出した君をいたく気にいって慕っていたあの子に対してか?」  自分を組み敷いいている男は、そう耳元でささやいた。 「ゆるして、ください……理事長……ひうっ!」  乱暴に奥深くまで貫かれて、反射的に悲鳴が漏れた。乱暴な抱かれ方をしても、この身体は反応する。今も自分のものは完全に勃ちあがっていて、いやらしく透明な汁をぽたぽたとたらしているし、自分を暴き貫くそれに物欲しげに食いついている。  全てこの場所で教えられた。従順に、与えられたものを全て快楽として享受できるように。 「お前は感情も消えなかったし、成長も止まりはしなかった。それでもこの『学校』に置いてやっているのは、教官として有能だからだ。それに、外では君に行く場所などない。どうせあと数年の命だ。やましいことを考えるのはやめて、大人しく従順にしていなさい」 「っは、うあっ、……ぁぁ……」 「言うことさえ聞いていれば、君にはご褒美をあげよう。優しく抱かれて、快楽に溺れる日々を送る方が幸せだ。そうは思わないかい?」  何度も、自分の奥を穿つ濡れた音を聴いていた。  まなじりを伝う涙が、過ぎた快楽によってもたらされた生理的なものなのか、それとも自分の運命を悲しむがゆえのものなのかもわからない。  モナリザの少年――その『学校』で育てられた少年たちは、そう呼ばれている。  美しく、無垢で、その顔には常に透明な微笑みを浮かべている様が、まるで絵画のモナリザのようであるからだ。  モナリザの少年は歳を取らない。悦楽以外の感情を持たない。  彼らは性的快楽のみを享受し、常に微笑みを浮かべている。  寿命はわずか十年ほど。それでも、多くの資産家がその美しく魅惑的な少年を買い求めた。  『学校』を『卒業』する時、少年たちは薬を服用させられる。  肉体の成長を第二次性徴の段階で止め、記憶や感情を消し、ただ快楽のみを残す生き人形にさせられる。  薬が上手く作用しなかった少年たちは、多くはその場で死ぬか、処分されるか――運が良ければ生き延びる。それでも、薬の作用が完全に消えるわけではなく、寿命は十年、長くても十五年ほどだ。  生き延びてしまった、人形にもなれなかった少年は『学校』に連れ戻されて、残りの生涯を『教官』として過ごすことになる。 ――アレク先生!  ファビアンの人懐っこい声が、耳の奥にまだ残っている。 (ごめん、ごめんね……)  快楽に翻弄されながら、アレクシスは涙をこぼした。  アレクシスが嬌声をあげるその教壇の上に、一冊の本が開かれている。  モナリザのような、淡い微笑みを浮かべた少年たちの写真が並ぶアルバム。  『卒業アルバム』という名のカタログの末尾には、先日撮ったばかりのファビアンの写真に『売約済み』との記述がされていた。

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