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第一声 遊亀(ゆき)

 田中 遊亀(たなか ゆき)は、生まれつき、軽度の難聴があり、右側がとくに言葉の聞き取りに失敗しやすかった。  テレビは、人よりも少し高く音量を上げると言葉が正確に聞き取れるが、音量含めて、初めて聞く単語や滑舌の悪いしゃべりはどうにも難しいものがあり、字幕を重宝している。  最近は、字幕対応のないアニメーションも多く、半分ちんぷんかんぷんのまま、絵と拾える単語だけで追いかけている。  カタカナ語は、とくにわかりづらいので、技名やブランド名は、字幕が頼りである。  人との会話は音量、音域、滑舌によっては、聞き取れないことや、聞き間違いも多く、何となくこう言っているのかと脳内で処理をするか、やむを得ず聞き直しをしている。  手帳を申請できるほどではなく、日常会話がギリギリ聞こえる範囲内なので、人の輪に入る時に発生する生きづらさは、伝わりにくいものがある。  高すぎる、低すぎるとほぼ聞こえないため、モスキートーンは聞いたことがないし、ご老人の低いお声は何か言っているのはわかるけれども言葉として理解できていないことも多々あった。  配信系アプリケーションでは、音量が人それぞれで違うので、耳にちかづけないとわからないことが多く、そろそろイヤホンを使うべきだなと考えている。  単語の聞き取りも苦手なため、少し離れたところから呼び止められても、病院で名前を呼ばれても、自分が呼ばれているとはすぐわからないことも多かった。  もし、声をかける時は、肩をたたいてもらえると助かる感じ、である。  病院も、極力受付に近い場所で待機をしているが、放送タイプのものは、聞き逃しが怖いので番号札が命綱だった。  あと、遊亀は声が小さい。聞こえないと、声が大きくなると思われがちだが、小さい頃に、周りの人たちが聞き取って会話をしてくれていた環境もあり、大人になってきてから人づてに声が小さいと知った。  遊亀にとって、人が普通に聞こえる音量は、お芝居のように声を張らないと出せないので、ずっとはつらいのである。  また、歌詞カードが手元にない歌は、耳コピー状態では正確には聞き取れないものの、音楽は、言葉がなくても世界の人と繋がることができて、楽しめる、世界共通語だと思っているので、音楽配信を見て聴いたり、趣味と独学だがピアノの作曲をしたり、即興でピアノに触れている時間は大好きだった。  前は、ゲームのデバッグ専門の会社でアルバイトをしていたが、今は引っ越しを機に、兄に同居をさせてもらい、家事担当をして、空いている時間に作曲をしている。    

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