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貢サイド-end-
俺は幸せだった。
光が居る。
優しく微笑みながら俺に近付く。
力強い腕で俺を抱きしめ、耳元で繰り返し囁く。
「先輩が好きです」
言い聞かせるように何度も何度も……。
俺も光が好きだと伝えたかったが、言葉が出てこない。
抱きしめ返したいのに、腕が重くて動かない。
光が額に瞼にキスをする。
優しく……触れるだけのキス。
嬉しいはずなのに不安になる。
不安に……。
ズルリ!!
落ちるような間隔に襲われハッとする。
俺はベッドの真ん中に仰向けで寝ていた。
今さっきまで俺を抱きしめ、キスをししていた光の姿は無い。
光の名前を何度も呼んでみるが、返事は返ってこない。
分かっている。
光はもう二度と来ない。
俺を決して許しはしないから……。
だから幻影を作り出し、都合のいい夢を見る。
微笑む光。
力強く俺を抱きしめ好きだと言う光。
俺にキスの雨を降らせる光。
寂しい心を慰めるように繰り返し夢を見る。
繰り返し……繰り返し……。
人の気配を感じて目を開けると、光が居た。
また夢を見ている。
自分が起きているのか寝ているのか、今が朝なのか昼なのか夜なのか分からない。
だが、目の前の光が本物で無い事は分かっていた。
光はもうここには来ない。
来たとしても、鍵を持たない光が勝手に入ってくる事は出来ない。
分かっているのに、俺の見る夢は厄介な事に音声も感触もある。
だから、本物と勘違いして泣きたくなる。
ゆっくりと光が近付いて来た。
ベッドの縁に座り腕を伸ばし俺の頬に触れる。
温かい。
頬を撫でている手が額を覆っている前髪を振り払うように退かすと、光の顔が近付いて来た。
額に温かく柔らかい光の唇の感触を感じて無意識に目を閉じた。
すると、今度は瞼に唇の感触を感じた。
唇が離れていくのを感じ、目を開けると、息がかかりそうな程近い場所で止まっていた。
何時もは優しく微笑んでいるのに今日は微笑が消えていた。
もう、夢の中ですら笑ってくれないのかと、自嘲気味に薄く笑った。
俺の作り出している夢なのだから、俺の都合のいいようにあるはずなのに……。
そう言えば今日は好きだとも言わない。
これは俺が現実を受け入れ始めた証拠なのだろうか?
靄がかかったようにハッキリとしない頭で考えていると、不意に唇に柔らかいものがあたった。
それが光の唇だと分かるまでに少しかかった。
何時ものように触れるだけのキスだった。
夢だと分かっていても嬉しかった。
現実ではありえない事だから余計に……。
短いキスの後に光は俺を力一杯抱きしめた。
あまりにも力が強過ぎて息が苦しかった。
息が止まるのではないかと思うほどに……。
いっそこのまま息が止まってしまえばいいと思った。
大好きな光に抱きしめられたまま死ねたらどんなに幸せだろう。
ずっと1人で生きてきた。
人の温もりというものも知らずに……。
寒かった。
心が麻痺してしまうほどに寒かったんだ。
だから最後くらいは人の温もりを感じたまま……。
光の腕の中で死ねたらと本気で思う。
夢でもいいんだ。
幻影でも……。
寒いのはもう嫌なんだ。
微笑んでくれなくていい。
好きだと言ってくれなくても……。
ただ抱きしめていて欲しい。
寒さを感じないように……。
次に目を開けた時には光の姿はやはり消えていた。
暗闇に包まれるように孤独感が押し寄せ、身体が震えた。
ガクガクと震えが止まらない。
涙が流れる。
心の中で光の名前を何度も呼ぶ。
助けてくれと、繰り返し繰り返し……。
光を失う事が分かっててやったのに、後悔している。
なんてバカなまねをしたんだろう俺は。
あんな女無視すればよかった。
そうすれば、もう暫くはお前と一緒に居られたのに……。
傷付けて悪かった。
もう一度会う事が出来たなら、土下座でも何でもして謝りたい。
許して貰えるとは思っていない。
許してくれなくてもいいんだ。
ただ、一言伝えたい事がある。
お前は俺を軽蔑するかもしれないし、嫌悪するかもしれない……。
それでも伝えたいんだ。
生まれて初めて実感として感じた気持だから……。
光……。
光……。
枯れるほど泣いた。
目が痛い。
喉の奥がカラカラして上手く声が出ない。
泣き過ぎの所為で水分不足になった頭が重くクラクラする。
水を飲もうと思った。
水を飲んで、電話を掛けよう。
光はもう二度とここには来ないのだから……。
光に謝らなくてはいけない。
感謝の気持も言いたい。
伝えたい事があるんだ。
俺の声なんか聞きたくないかもしれないが……。
直ぐに切られてしまうかもしれないが、何度でも掛けよう。
そう決心して身体を起こす。
鉛が巻き付いているように身体が重い。
立ち上がろうとするが、目の前が真っ白になってその場に崩れる。
ろくに飯を食っていない所為で、貧血を起こしているのだろうか?
壁を支えにしてなんとか立ち上がると、グラグラする身体を何とか引き摺って寝室と居間を隔てているドアのノブに手を掛けた。
力が入らないので体重を乗せ、ドアを押し開けた。
部屋から出て直ぐに、壁にぶつかった衝撃があった。
壁にぶつかりよろめく身体を何かが支えたお陰で俺は倒れずに済んだ。
壁?
こんな所に壁なんかあるはずが無い。
弾かれたように俯いていた顔を上げる。
壁の正体を知り、腕を掴まれたまま俺はその場にへたり込んだ。
俺はまた夢を見ている。
光が……居る。
自分では起きているつもりだったのに……。
もう、夢と現実の区別もつかなくなっているのか?
「大丈夫ですか?」
目の前の光は心配そうに俺を見つめている。
俺の腕を掴んでいる手を放し、肩を掴んで前後に軽く揺さぶり、大丈夫かと訊ねる。
音声のある夢。
感触のある夢。
何時も見ている夢と同じだ。
今見ている夢はあまりにもリアル過ぎて、現実だと錯覚してしまいそうになる。
これが夢だと分かるのは目の前に光が居るからだ。
鍵を持っていない光が勝手に入ってこれるはずがないのだから……。
早く目を覚まして光に電話を掛けなくては……。
どうすれば目を覚ます事が出来るんだ?
どうすれば……。
「……先輩!? 志野原先輩!!」
さっきよりも少し強めに身体を揺さぶられた。
頭がガクガクと前後に振られる。
「しっかりして下さい!!」
抱きしめられた。
力強い腕に抱きしめられて苦しかった。
だが、とても気持ち良かった。
光の身体の硬さ……温かさ……。
何よりもあの甘い匂いを感じて幸せな気持になった。
……匂い?
夢で匂いを感じた事なんかあっただろうか?
「……か…る?」
喉が渇いていて上手く喋れない。
「ひか…る……なのか?」
かすれる声を何とか絞り出して発した言葉に光は反応をした。
身体を離し俺と真正面から向き合った。
光の俺を見つめる瞳が優しく感じられる。
あんな事をしてしまった俺に向けられる眼差しではない。
やっぱり夢なんだろうか?
「俺、先輩と加奈子が寝たと知ってムカついたんです。別に加奈子は俺の彼女でも何でもないんだから、腹を立てる必要なんかないのに……」
今……なんて言った……?
彼女じゃない?
「俺と切れる為に加奈子と寝たんだと思ったら悔しくて情けなくて悲しかったです」
ち……違う!!
光と切れる為なんかにあの女と寝たわけじゃない!!
そうじゃないと訴えるように、必死で顔を左右に振った。
その様子を見て光は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。もう、分かっていますから……」
分かっている?
何を分かっているんだ?
「加奈子にも腹立てていたんです。多分他の誰かと寝たとしてもなんとも思わなかったと思います。相手が先輩だったからムカついたんだと……俺の先輩なのにって……」
光は何を言っているんだ?
「俺、加奈子に嫉妬していたんです」
それはまるで俺の事を……。
「先輩が好きです」
ああ、やっぱりこれは夢だ。
光が俺を好きだなんて、また都合のいい夢を見ている。
何故か笑いが込み上げて来た。
最初クスクスと小さい笑いが、次第に肩を震わせ笑い出し、終いには狂ったように笑い出した俺を見て、慌てふためいて俺の肩を掴み揺さぶった。
「先輩どうしたんですか!?」
心配そうに何度も何度も俺に訊ねた。
なんて良く出来た幻影なんだろうか。
こんな時の表情も光そのものだ。
手を伸ばし目の前の光の顔に触れてみる。
何から何まで本物そのものだった。
可笑しかった。
何が可笑しいのか分からないが、笑いが止まらない。
壊れたように笑い続ける。
次第に涙が溢れてきた。
目を開けると俺は何時ものようにベッドで寝ていた。
やっぱり夢を見ていたのだ。
俺は起き上がったりせず、ずっとここで眠っていた。
何時ものように光を呼ぼうとするが、声が上手く出てこない。
枯れた言葉とは思えない呻き声のようなものが出るだけだった。
「大丈夫ですか?」
心臓が止まるほど驚いた。
俺しかいないはずの部屋から人の声がした。
何故?
それまでぼんやりと見つめていた天井から目線を声のした方にずらす。
息を飲んでしまった。
光が居る。
まだ……夢から覚めて……いない……。
心臓が急に早鐘を打ち始める。
まだ、夢を見ている・・・だから声が出ないのか?
光の名前を呼ぼうとするが出てくるのは枯れた呻き声だった。
声を出そうと必死になっていると「水飲みますか?」と訊くと、背中とベッドの間に腕を滑り込ませて俺の上半身を抱き起こした。
口にあてがわれたコップから水を飲もうとするが、上手く飲むことが出来ず、口の端から溢してしまった。
「すいません!!」
言って光は自分の服の袖で俺の口元を拭いた。
「替えの服出しますね」
言うと光は素早く立ち上がり、洋服箪笥を漁り始めた。
なんてリアルなんだろうか。
現実のように感じられる。
……感じているだけか?
これは現実じゃない。
夢と現実の区別がつかない。
どうすればいいんだ……。
どうすれば……?
ベッド脇にあるチェストの上に置かれたコップに手を伸ばし、右手でコップを掴むと、そのままチェストの角に打ちつけた。
パリンという音と共に滑らかな曲線をえがいていた硝子は、ギザギザの歪な姿に変わった。
鋭く先の尖った部分を左の手の平に押し当てようと近づける。
ギリッ!
右手が痛い。
見ると、光が青い顔して俺の手首を掴んでいた。
「何やっているんですか!?」
言いながら俺の右手から割れたコップを奪い取り、チェストの上に置いた。
「どうしてこんな事を!」
「恐いんだ……」
言い訳をするようにこぼす。
「夢から覚めない……お前が居る……」
チェストの上のコップを取ろうと、手を伸ばした次の瞬間、左頬に衝撃が走った。
「しっかりして下さい!!」
左頬を右手の甲で擦る。
ジンジンと痺れている。
口の中に血の味がした。
「痛いでしょ?夢なんかじゃありません。現実ですよ」
今一納得していない俺を見て「お望みなら反対の頬も殴って差し上げますよ」と真剣な顔で言った。
呆然としていると、光は急に俺のシャツのボタンを外し始めた。
反射的に身体を引いてしまった。
「着替えをするだけです。濡れているし、硝子も付いているかもしれませんから」
そう言うと手際よく脱がせ始めた。
頭がボォとしていてなすがままになっていると、直ぐ様新しい服に着替えさせた。
ふわりと身体が宙に浮いたので驚いて光にしがみ付いた。
「そんなにしがみ付かなくっても落としたりしませんよ」
安心させるように、優しく微笑んでくれた。
百七十cm以上ある男を軽々と持ち上げ、姫さん抱っこのまま居間のソファに運び、ソファに俺を座らせると隣に光も腰を下ろした。
「俺が寝室を片付けるまでは絶対にあっちの部屋には行かないで下さいね」
何度も何度も念を押され、俺は何度も頷いた。
「お前……本物の光……だよな?」
掠れてはいたが、水を飲んだお陰か何とか言葉が出せた。
光はキョトンとして「俺以外の何に見えるんですか?」と笑った。
「そうじゃなくて…鍵……」
「鍵なら晃くんに借りました」
ああ、そう言えばアイツはスペアキー持っていたな。
……鍵を持っていた!
「光……お前何時からココに居た?」
「何時からって、昨日の晩から居たじゃないですか」
昨日の晩……。
朝も昼も夜もなく、夢と現実の区別もつかない俺には「昨日の晩」が何時の事なのか分からなかった。
靄のかかった頭の中で、夢と現実の境目を必死で探していると、光は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
光……。
そう言えば光に伝えたい事があったはずだ。
何だっただろう?
上手く働かない頭で考えていると、不意にそれは思い出された。
「光……あの、お前に聞いて欲しい事があるんだ」
「何ですか?」
優しく微笑む光を見て、怖気付きそうになる。
この顔を曇らせてしまうのかと、心が重くなった。
「…光……」
「はい?」
「ごめん……なさい……」
消え入りそうな声で語尾は殆ど消えていた。
盗み見るように光を見た。
俺の言葉が意外だったのか、キョトンとした顔をしていた。
「そのごめんは何にたいしてのごめんですか?」
「何って……お前の彼女と……その……」
言い難そうにしていると、光は俺の頭をポンポンと叩いた。
「さっきも言いましたが、加奈子は俺の彼女なんかじゃありません。だから先輩が謝る必要なんかないんですよ」
あの女が光の彼女じゃない……。
ずっしりと重く伸し掛かっていたモノが一気に落ちた気がした。
「俺に聞いて欲しい話ってそれだけですか?」
光は溜息を吐いた。
残念そうに見えたのは、気の所為だろうか?
「いや、それから……有難う。今まで抱き枕として付き合ってくれて感謝している。凄く助かったよ」
光の顔色が変わった。
「なんか、お別れの挨拶みたいですね。今日で終わりみたいな……」
否定せず黙っていると、肯定と取ったのだろう。
光の目付きがきつくなった。
微笑んではいるが、目が笑っていない。怒っている。
「俺と切れたいならちゃんと理由を言ってくれないと納得しませんよ」
理由……出来れば言いたくない。
光が女の事で怒っていないと分かった今、この事を言わなければまだ少しの間一緒に居られるのではないかと欲が出て来た。
今日一日だけでもいいから一緒に居たい。
「俺の事嫌いなんですね? 一緒の空間に居るのも嫌なくらい……」
違うとそうではないと、必死に顔を左右に振り訴えた。
「先輩」
呼ばれて反射的に光を見る。
光と目が合い、気持の後ろめたさから目を逸らしてしまった。
「俺と目も合わせたくないほど嫌いなんですね……」
違う……。
「スイマセン。先輩の気持も知らずに勝手に合鍵で入ってきたりして……」
いいんだお前なら……。
「もう、二度とココには来ませんから安心して下さい」
待ってくれ! 行くな!!
腰を浮かせる光の服の端を力一杯掴んだ。
「ああ、鍵! 俺が持ったままだと心配ですよね?」
そう言って持っていた鍵を俺の胸ポケットに滑り込ませた。
「先輩から晃くんに返しておいて下さい」
再び立ち上がろうとした光の腰に抱き付くようにして引き止めた。
「帰らないでくれ!」
「でも先輩、俺の事嫌いなんでしょ?だから帰りますよ」
「違う! そうじゃないんだ!! 俺は……」
「もういいですよ。無理しないで下さい」
腰に絡み付いた俺の腕を解き、立ち上がろうとする光にさらにしがみ付く。
「お前が好きなんだ!!」
しまったと思った時には既に遅かった。
一度口にしてしまった感情は、水道の蛇口を捻った様に流れ出てきてしまう。
「お前が好きだ……好きなんだ……」
他に言葉を知らない子供のように繰り返し繰り返し言った。
光は何も言わないでいた。
軽蔑されただろうか?
気持悪いと思われただろうか?
恐くて光の顔を見る事が出来ずに、腰にしがみ付く事しか出来なかった。
「やっと言いましたね」
想像もしなかった言葉を言われ、困惑した。
「有難う御座います。俺も先輩が好きですよ」
思いがけない返事に驚いて顔を上げると、光が微笑んでいた。
「好き? ……お前が俺を?」
「はい」
一気に身体中が熱くなり、ドキドキと心臓が早鐘を打ち始めた。
ずっと夢に見ていた言葉を聞いて、おかしくなりそうだった。
落ち着け! 落ち着け! と自分に言い聞かせた。
身体を光から離し、少し距離を置いた。
少しでも鼓動が治まるように。
「お前の好きと俺の好きは違う!!」
「そうですかね? 結構近いと思いますよ」
「お前の好きはラブとライクで言ったらライクだろ。俺のは違う……俺のは危険なんだ。だから一緒に寝られないんだ」
「危険て、俺の事殺しちゃうんですか?」
そうじゃなくて……。
「俺はお前が抱きたいんだ」
「いいですよ」
何でもない事のように二つ返事だった。
やっぱり分かっていない。「抱く」を抱きしめるか何かと思っているに違いない。
「SEXしたいって言っているんだ。分かっているのか!?」
「だからいいですよって言っています」
顔色一つ変えずにニッコリと微笑んでいる。
駄目だ……分かっていない。
「光、お前童貞だろ?」
俺の突然の質問にキョトンとした。
「それがなにか?」
ああ、やっぱり。
ははっと軽く笑うと、光はムッとした顔をした。
「何笑っているんですか……気分悪いですよその態度」
「本当のSEXを知らないから、平気でいいですよなんて言えるんだよ。どんな事されるか知らないから……」
「確かにSEXの経験なんてないですよ。正直同性同士がどうするのかも知りません。でも、先輩が望むならいいと思ったんです」
あまりにも真剣な顔で言うものだから、笑い飛ばしてしまった。
本気にするなと、自分に言い聞かせる為に……。
「優しいなお前は・・・俺を助ける為に抱き枕になってくれた上にSEXにも付き合ってくれるのか? 俺が望めば足を開いて恥ずかしい処も見せてくれるわけだ」
「そうですよ」
眉一つ動かさずに答えた。
「たいした自己犠牲愛だな」
僅かに眉がつり上がった。
「何ですかそれ? 俺先輩が好きだって言いましたよね!」
「お前のは勘違いだ」
ムキになって直ぐに言い返してくるかと思ったが、光は黙ってしまった。
怒らせてしまっただろうか?
急に不安になった。
見れば光は無表情に俺を見ていた。
ほんの僅かな間だっただろうが、とても長く感じた。
「先輩は……何をそんなに恐がっているんですか?」
ギクリとした。
見透かされている……。
どんなに上手く見繕っても光にはばれてしまう。
光の前では虚勢は無意味なのだ。
身体中の力が抜けた。
観念して本当の事を言うしかない。
嘘を吐いても見破られしまうから……。
「俺は寝ているお前にキスをした事がある」
俺の突然の告白に光は驚いていた。
「その時は思い止まる事が出来たけど、何時か歯止めが利かなくなってお前を傷付ける」
「俺は傷付いたりしません」
「お前分かっていない……」
俺は自嘲気味に笑った。
「何が!?」
「好きでもない奴とヤルのは気持悪いぞ。グチャグチャとして……それに心が凍えそうなほど寒くなる。消えて無くなりたくなるんだ……」
光の顔が歪んで見える。
俺は、泣いているらしかった。
「お前にあんな思いはさせたくないんだ」
不意に力強い腕に引き寄せられ、抱きしめられた。
「先輩の言っているのは好きでもない相手とした時の話でしょ? 俺は先輩の事好きだって言っているじゃないですか!」
だからそれは……。
「正直、俺も先輩への気持はただの憧れとか同情とかそういうもんだと思っていました。だから先輩を受け入れる覚悟もなかなか出来なくて悩みました」
ああ、やっぱり同情だったのか……。
胸が痛んだ。
「兄に相談したんです。そしたら試してみればいいって言われて……試したんです」
試した……?
「昨日の夜先輩にキスしました」
突然の告白に心臓が跳ね上がった。
キス……光が俺に?
夢だと思っていたどれかが現実だったのだろうか?
心臓の音が五月蝿い。
きっと光にも聞こえているだろう。
「気持悪いようなら先輩を受け入れられないだろうから諦めるつもりでした。でも、全然気持悪くなんかなくて……むしろ愛しくて……」
今、光はなんて言っただろうか?
心臓の音が五月蝿過ぎてよく聞こえない。
光の胸から顔を引き剥がし向き合った。
涙で滲んでよく見えない。
「もう一度言ってくれ……」
もう一度だけ……何度も哀願していると不意に口が塞がれてしまった。
一瞬何が起きているのか分からなかった。
ピントがぼやけるほど近くに光の顔があり、唇に柔らかい感触を感じて自分がキスされている事に気が付いた。
重ねるだけのたどたどしいキスだったが、嬉しくて一度引いた涙が再び溢れた。
カタカタと身体が震え出すと、光は離れて行った。
「先輩は今まで好きでもない人としかしてこなかったから、寒かったんだと思うんです。俺としたら寒くなんかなりませんよ」
幸せ過ぎて眩暈がしそうだった。
身体の震えがドンドン酷くなっていき、ううっと声が漏れ出す。
震えも声も止められずに、その場にうずくまるようにして泣いた。
小さく縮こまって泣いていると、光は俺を優しく抱き起こした。
ふわりと包むように抱きしめ、背中をポンポン叩きながら囁いた。
「先輩が好きです」
繰り返し繰り返し言い聞かせるように、何度も何度も……。
目を開けると、寝室の天井がが見えた。
俺は何時ものようにベッドに寝ていた。
不安になり飛び起きるが、上半身を起こした段階で眩暈に襲われ、そのまま真横に倒れて行った。
頭がベッドに着地するよりも先に、何かが身体を支えた。
グッタリと力の抜けた身体を抱き起こし、引き寄せられる。
「大丈夫ですか?」
光だ……。
光が居る。
夢なのか?
それとも現実なんだろうか?
分からない……。
「本物か? 本当に光か?」
手を伸ばし、ぺたぺたと顔や身体に触れてみる。
「また殴って差し上げましょうか?」
イタズラっぽく笑った。
現実……。
現実だと意識したとたん、光とベッドの中で密着している事が急に恥ずかしくなった。
身体を離そうとするが、身体に上手く力が入らず光の腕に納まったままになった。
落ち着かなかった。
ガチガチに固まっていると、クスリと光は笑った。
「そんなに緊張しなくても何もしませんよ」
そのセリフを本来言うべきなのは俺の方だろう。
邪な思いを抱き、狙っているのは俺なのだから……。
「お前は余裕だな」
むくれたように言うと「そうでもないです」と笑いながら俺の手首を握りそのまま自分の左胸に押し当てた。
手の平から光の鼓動が伝わってくる。
ドキドキと早鐘を打っていた。
「平静を装うって結構大変なんですよ」
光は照れ隠しするように笑った。
光も俺を意識してくれている事が嬉しかった。
「先輩お腹空いていませんか?」
「いや、全然……それより光……」
「はい?」
「抱きついて寝てもいい……か?」
光は優しく微笑み「勿論」と言った。
俺を抱きかかえたままゆっくりとベッドに横になった。
真横に光の顔があるのが恥ずかしくて、身体を下にずらした。
光の胸に顔を埋めると甘い匂いに包まれた。
もう二度とこの甘い匂いに包まれる事はないと思っていただけに、心が震えた。
目頭が熱くなり、後から後から涙が溢れてきた。
小さく震えながら泣いていると、光は俺の頭を優しく撫でてくれた。
光の優しさと甘い匂いに包まれ、幸せで胸が詰まった。
初めて感じる心の温かさに感動して涙が止まらなかった。
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