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8.愛していました…
(つばき様…)
心の中で愛おしそうに名前を呼び、楓は自分の代わりにつばきをベットに横たわらせた。
「今、タオルをお持ちします。…洗面台お借りしますね」
つばきの反応はもちろんないが、一応声をかけてから楓はベットから立ち上がると、部屋に備え付けられている洗面台に向かった。
蛇口をひねり、水がお湯に変わるのを待っている間、楓は自分の顔を鏡で見つめていると、先ほどまで目の前で繰り広げられていた煽情的なつばきの姿が鮮明に思い出される。
屹立しきってしまっている自分自身と同時に、つばきに触れた同じ秘部の疼きを感じ、楓は改めて自分がΩだということを思い知った。
「私は…何をして…。あの方はこの家の跡継ぎで…私と同じΩだ…。私では…つばき様をどうすることも出来ない…」
楓は自分に言い聞かせるように、鏡を見つめながら一人、呟いた。
香坂家に楓がまだ訪れたばかりの頃、楓が庭掃除をしていると、つばきが窓辺でうたた寝をしているところを見つけた。
まだ幼く、主人であり仕えるべき存在だということを深く考えず、楓は何かに引かれるようにつばきに近づいていった。
すると、楓に気付いたつばきが目を覚まし、そのまま話しかけてきた。
「新しい使用人?名前はなんていうの?」
「秋月楓…です」
「へぇ、僕はつばきって言うんだ。まるで僕たちの名前、兄弟みたいだね」
あの時、にっこり笑いかけてきたつばきの顔を、楓は今でも忘れていない。
その顔は、今まで見てきたどんな花や風景よりも綺麗だと思い、胸に温かい光のようなものが灯ったからだった。
恋をしてはいけない相手だと理解した時には、もう遅かった。
名家の跡取りで次期当主であるつばきを、想うこと自体許されないと。
だが、楓の中で一度心に灯った光は決して消えることもなく、今もひっそりと燃えていた。
(この想いが…消される日はくるのだろうか…)
自分自身に問いかけるように楓は目の前の鏡を見つめ、ゆっくりと目を逸らした。
楓は棚に置かれていたタオルを手にとり、濡れタオルを準備してベットに戻ると、つばきは先ほどと同じ格好で寝息を立てていた。
「この方は…」
呆れている反面、楓は内心、ほんの一時でもつばきを自分のものに出来たかと思うと、涙が溢れそうだった。
(今だけ…。今だけは私のものに…)
そんな湧き上がる感情を抑えるように、楓は首をゆっくりと横に振り、濡れタオルで丁寧につばきの身体を拭いていった。
拭き終わったところで、抑制剤を飲ませようと「つばき様」と声をかけるが、つばきの眠りは深いらしく、反応がなかった。
「しょうがない…」
楓は抑制剤と水を口に含むと、つばきの上半身を起き上がらせ口移しで飲ませた。
反射でつばきは水と抑制剤をゴクッと飲み込んだが、それでも目を覚まさなかった。
「…。毒だったらどうするんですかね…」
目を瞑ったままのつばきは、初めて会った時の寝顔と変わっていないように楓には感じられた。
「いっそ、毒を飲ませてこのまま目を覚まさないようにして、そんなあなたのそばに…私が一生いられたらいいのに…」
(馬鹿らしい…)
思わず漏れたそんな自分の発想に、楓は呆れたように溜め息を漏らすと、つばきに服を着せた。
最後のボタンをとめて。それでも目を覚まさないつばきの寝顔を楓はじっと見つめた。
(最後にもう一度だけ…)
楓はつばきの唇に、自分の唇をそっと触れさせた。
「ずっと…愛していました…」
掠れる声で静かに呟いた楓は、音を立てないようにベットから離れ部屋をあとにした。
「ばーか…」
一人部屋に残されたつばきは、目元を隠すように腕を当て、そっと呟いた。
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