118 / 118
第118話 はじまりの、その前に (真司と蓮との出逢い)
重たいドアを開けると、長いカウンターと隅に小さなテーブル、そして数人の上品なバーテンが出迎えてくれる。
カウンターの奥には無数の間接照明と、いったい何本、何種類あるのだろうなと思わせるボトルが並んでいて、客をもてなす椅子は上等の皮張りだ。
立花蓮がここに通いだしたのは、一体いつごろだろうか?
何かあれば、必ずと言っていいほど、足がこのバーに向いていた。
「立花さん、今日は何にされますか?」
馴染みのバーテンには、蓮に何かあったことはすぐにわかっていた。
だが、それはあえて聞かない。
『何故聞かないんですか?』と、問えば、きっとそのバーテンに『貴方にも人には言いたくないこともあるでしょう?』と返されそうだ。
「私はカクテルに詳しくないので、キウイ系で何か見繕ってくれませんか?」
「キウイ……ですか?」
フルーツ系とオーダーが入るのはわかるが、キウイ単体でのオーダーは珍しい。
「はい。食べ物の中でキウイが一番好きだった人がいたので……」
「はい。かしこまりました」
バーテンにニコッと微笑んだ蓮だったが、瞳の奥はどこか寂しげだった。
蓮は先日、長年付き合っていた同性である彼氏と別れていた。
理由は簡単。
相手に新しい相手ができたからだ。
それも女性の。
半年ほど前から、いつか彼氏に別れを切り出される日が来ることを蓮は予感し、その日のために、毎日毎日別れを切り出された時の覚悟を決めていた。
切り出される覚悟はできていると思っていても、自分から別れを切り出す勇気もなければ『行かないで』と、いう勇気もない……。
ただ二人で過ごせる時間を守るのでいっぱいだった。
「キウイ・マティーニです」
すっと、差し出されたカクテルは、別のバーで元彼と初めて飲んだカクテル。
皮肉だな……。
これはこのバーテンに向けられたものではない。
ずるずると引きずっている自分に向けられたものだ。
そんな時、また重たいドアが開けられた。
そこには30代前半と20代後半であろうか、男性が二人で入ってきた。
最近よく来る人……。
蓮とその人達は顔見知りではなかったが、蓮はその人達のことをよく知っている。
たしか、職場の先輩、後輩……だったかな。
聞き耳を立てて、二人の話を聞いていたわけではなく、たまたま聞こえてきた話の内容がそうだと思った。
「それで、彼女とはうまくいってないって?」
「そうなんです! 先輩、︎聞いてくれますか?」
オーダーしたカクテルを飲みながら、後輩が話し始める。
内容は至って普通の痴話喧嘩からの、大喧嘩。
彼女は電話に出ず、ラ○ンを既読無視。
そうしたかと思えば、寂しくなったのか、急に電話がきて、
『本気で謝るなら、許してあげる』
とのことだった。
だいたい誰かに相談するまでもないような事。
喧嘩の内容が許せ、仲直りしたいなら謝ればいい。
もし喧嘩の内容に不服があるなら、
『やり直したいからそのことを、話し合いたい』と、誠実に伝えればいい。
そして、どうしても許せないのなら……。
仕方ない。
別れるしかない……。
蓮はそんな極端に答えを出す方ではないが、今回に限り、ふとそんな事を考えてしまう。
俺自身はそんなに割り切れた付き合いをしてなかったのに、人には厳しいんだな。
今の自分に、その後輩のことをかさねてしまったようで、蓮は苦笑した。
後輩が一頻り話し終えると、真剣に話を聞いていたその先輩の男は、
「松野、そんなことがあったんだ。それは辛かったと思う」
悲しそうな表情を後輩に向けた。
!
蓮はその男性の言葉を聞き、耳を疑った。
それ、そんなに辛いこと?
後輩は今後のことをはっきり言っていないが、答えはもう出てそうな表情だったので、蓮はてっきり愚痴を聞いて欲しかっただけなのかと思っていた。
「彼女の話をちゃんと聞いた訳じゃないからハッキリとはいえないけど、やっぱり彼女は松野の事が好きで、あんな事をいったけどほんとは離れたくないんじゃない?」
「でも、それだったらそう言ってくれればいいのに…っていうか、そう言ってくれないと、本当の気持ちなんてわかりませんよ」
後輩が不服そうに呟く。
「確かにそうだけど、みんながみんな松野みたいに言いたいことを言えるわけじゃないだろ? 相手の事が好きすぎて、嫌われるんじゃないかって自分の気持ちを言えなかったり、伝えられず二人のズレができて言いたい事が言えなかったりする人だっているじゃないか」
「確かにそうですけど……」
「どちらが正しいとは言えないし、その人達が臆病で言う勇気がなかったんじゃなくて、相手の事が好きすぎて、自分の気持ちを押し殺す事に慣れてしまってるんだと思うんだけどな」
!
「でも、彼女はきちんと自分の気持ちを伝えられる人だろ? じゃあ、松野も彼女に自分の気持ちをぶつけたらいいんじゃないか?」
「……」
「きっと、松野が思ってる未来が開けるんじゃないか?」
!
聞こえてきた話が蓮の心の中に刺さった。
俺は勇気がなかったんじゃなくて、自分の気持ちを押し殺すことになれてしまっていた……のか。
どちらが正しいとかではなく、好きすぎたのか……。
勇気を出せなかった自分の事を責め続けていた蓮は、その言葉を聞いて、胸につかえていたものが、溶けていくような気がした。
「俺、今からきちんと話、してみます!」
後輩の顔は、何か吹っ切れたものを蓮は感じた。
「じゃあ、行ってこい。あまり女の子を泣かすなよ」
「ありがとうございました‼︎」
後輩は晴れ晴れした表情で店を出た。
そして、その先輩の男が一人、店で飲んでいると、今度はまた別の電話がはいってきた。
どうやら彼女と待ち合わせのようだ。
彼女が店に来てたとき、蓮は仕事の電話がかかってきており、店の外に出ていた。
そして店に戻ろうとした時、その彼女とすれ違うかたちになった。
あれ?
やけに帰りが早いな……。
そんな事を考えながら店に入ると、
「何か飲まれますか?」
バーテンが彼に声をかけていた。
「俺はカクテル、全然わからないので、キウイ系のお勧めをお願いします」
!
「キウイ……ですか?」
いつもは冷静なバーテンも驚いたように聞き返すと、その表情に男も驚いている。
「あ、すみません。今日は立て続けにキウイのカクテルのオーダーが入ったので、少しびっくりしたんです」
「それは珍しいですね」
先ほどまで暗かった表情が少し明るくなった。
「ほら、あちらのお客様です」
!
バーテンが男に蓮の事を紹介したので、驚いた蓮は目を見開く。
「本当に珍しいですね!」
にこやかに笑う男は、とても優しそうだった。
「キウイのカクテルはお好きなんですか?」
「……?すみません。よく聞こえなくて……。もう一度お願いしてもいいですか?」
蓮は離れて座る男に話しかけたが、きちんと聞こえてなかったようだ。
「キウイのカクテルは……」
蓮がそこまで言いかけた時、
「すみません。せっかく声をかけてくださっているのに聞こえ辛くて……。もしよろしければ、お隣、いいですか?」
男はよく通る声で蓮に話しかけた。
「もちろん。私も一人だったので……」
蓮は隣の椅子を引いて見せた。
「ありがとうございます!」
男は微笑むと、蓮の隣に座った。
二人してキウイ・マティーニを飲みながら色々な話をした。
その男の名前は『佐々木真司』だと言うことも、
先程彼女と別れたが、とてもいい彼女だったということも、
後輩には偉そうな事をいっていたのに、自分は出来なくて、情けないと思っていることも。
あまりにも真司がウィスキーを頼むので、さすがの蓮も水を勧めたが、水を進めれば進めるだけ真司はウイスキーを飲み……。
蓮も水を勧める事を諦めて、真司がしたいようにさせた。
この人はしっかりしているようで、甘えたで……。
可愛い人なんだな。
カウンターでうつらうつらと船を漕ぐ真司を見て、蓮は微笑ましくなった。
「立花さん、すみません。俺が立花さんに紹介したばかりに……。彼の面倒はこちらでみます」
申し訳なさそうにバーテンが蓮に頭を下げるが、
「いえ、私はこの後も予定ないので、私がきちんと家までお送りします」
「本当にすみません……」
恐縮しっぱなしのバーテンを背に、蓮は店を後にした。
蓮はいつも通り、タクシーを拾うと、
「佐々木さん、ご自宅はどちらですか?」
「……」
タクシーに乗った真司は、もう既に寝かかっていて、隣に座る蓮の肩に頭を寄りかからせている。
さすがに、初めて話した人のカバンを勝手に開けるのは……。
「すみません、運転士さん。〇〇までお願いします」
蓮は自分の自宅の住所を伝えると、タクシーは動き出した。
「蓮さん……色々聞いてくださり……ありがとうございました……」
!
真司の言葉に驚いた蓮は真司を見たが、真司はスヤスヤと寝息を立てながら眠ってしまっていた。
俺の方が色々聞いてもらってたのに、本当にこの人は……。
蓮は愛おしい人を見るような目で真司を見つめ、そして優しく髪を撫でたのであった。
ーー終わりーー
ともだちにシェアしよう!