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第6話
「お隣り失礼します、綺璃斗でェス」
風営法ぎりぎりのハイバックで仕切られたボックス席。
テーブルの上にはアイスペールとグラス、ミネラルウォーターのペットボトルとグリーンの瓶の焼酎に重ねられた灰皿。
片膝をついて挨拶をした僕を舐めるような視線で品定めする、ケミカルウォッシュのジーンズにチェックのシャツを身にまとったメガネの女性。
「あなた新人さんね、ここ、ここ座って」
手招きされて僕はすっと立ち上がる。
ユニフォームとして支給されたのは、真っ白な付け襟と真っ赤な蝶ネクタイ、素肌に着用するのは真っ黒なベルベットのウェストコート。
白い太ももも露わな下半身は磨き上げられたオペラパンプスと三つ折りの純白のソックス以外は、シンボルをコンドームのように包む筒と玉袋を覆う布だけでできたサテン地の紐Tバックショーツのみ。
ゲストの左隣に浅く腰掛ける。
早速僕の股間に手を伸ばすゲストは薄暗いボックス席でも近づけば真っ赤な口紅で精一杯のおめかしをしているのが分かる。
遠慮もなにもなく僕のシンボルを右手で握ると、肩にしなだれかかりながらねだってくる。
「あなた、新人でもあのサービスはできるの?」
シンボルを握る手を強く弱くにぎにぎしながら言うゲストに答える。
「もちろんです。お作りしますか?」
ふっくらと血が巡り始めたシンボルの勃ち具合を測りながらメガネにかかった前髪を払う。
きゃあと嬌声をあげたゲストの手はそのままに、僕はグラスを手にとってアイスペールから氷をいくつか取り出して放り込み、焼酎のボトルから安物の甲類焼酎を注ぐ。
ミネラルウォーターをグラスの6分目まで注ぐ。
この店の通常のグラスは何の変哲もないタンブラーだが、あるサービスではカフェオレボウルに近い広口の特注のグラスを使う。
僕は立ち上がり、ゲストの顔の真ん前でTバックショーツの腰紐に親指をかける。
ごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。
ゆっくりと紐を降ろしていくとシンボルを包んでいた筒もべろんと剥けて生まれたままの僕が現れる。
広口のグラスを手にとってゲストの前に捧げ持って勿体つけて宣言する。
「心を込めてお作りします、当店人気の裏メニュー、ちんマドラーシェイクを召し上がれ」
言うなり五分勃ちほどにふっくらしたシンボルをグラスの中に突っ込む。
氷で冷やされたドリンクがシンボルの熱を一瞬にして奪っていくが、ここで萎えてしまうとチェンジか最悪の場合クレームになる。
左手で支えたグラスに浸したシンボルを右手で摘んでドリンクをかき混ぜる。
カランカランと氷が涼しげな音をたてる。
食いつくように目を剥くゲスト。
「お待ちどう様!さあ、どうぞ♡」
シンボルを引き上げたグラスを両手で持ってゲストの手渡す。
ここはヨコハマ市街を流れて港に合流するオオオカ川に架かる橋の袂、ヒノデ町にある18禁ちんパブ【推し推しカーニバル】。
僕の潜入捜査第一日目の接客はこうして始まった。
【推し推しカーニバル】に身分を偽装して入店する三日前のこと。
情報屋の相澤からの第一報にはめぼしい成果はなく、僕自身で設置したいくつかのセンサーにも反応はない。
王煌月と名乗った男の足跡はまったく掴めないままでいる。
まあ、向こうもあれ以来接触してこないので忘れてしまえばいいと言えばいいのだし、それで忘れてしまえるのも僕の特技の一つではあるものの。
どっちつかずではいかんなあと思い始めた矢先のこと、みなと分署管内では珍しい空き巣事件が発生したとの報告を受けた。
イセザキモールと国道を挟んでいるホウライ町にいくつも建ち並ぶ雑居ビルの一室。
「あ、はい、ちょっと失礼しまーす」
規制線で立哨している所轄署の制服警官を横目に張り渡された【立入禁止】の黄色いテープを跨いで現場に入り込む。
「あ、ちょっと、あんた、待って」
流石に呼び止める制服警官。
職務に忠実、実に模範的。
所轄署の地域課だったら僕の顔を知らなくて当然だし、IDを懐から出そうとすると、
「あ、いいんです、その人は」
と快活な声が聞こえる。
みなと分署捜査課第二係長の安西警部補が手を振って手招きしている。
詐欺や窃盗などの経済事犯を主に担当する第二係は、ここヨコハマの貿易関連の事案も多く担当し税関や入管などとも緊密に連携をとる必要があることから、語学堪能・会計や税などの知識にも明るい腕っこきが集まっている。
そんな第二係を統括する安西警部補は、ヨーロッパへの留学経験もある外語大卒の異色の警察官だ。
スーツの着こなしも、捜査官というよりもアパレル販売員といった風情のエスプリの利いた洒脱さ。
「ほんと、来てほしくない現場に限って呼んでもないのに現れるんだなあ」
「すんません、総務なもんで」
なにが総務なものか、とお互い思っているのだがそれはいいっこなし。
6階建てのテナントビルの2階、エレベーターホールから一番遠い奥まった区画に入居する消費者金融【サクサクファイナンス】の店舗兼事務所には第二係の捜査員の他に鑑識課員や地域課員など10名以上の警察官が集まっている。
【サクサクファイナンス】事務所に昨夜半に空き巣が入った恐れがあると通報されたのが従業員が出社してきた今日の8:30過ぎ。
当該ビルの客用入り口は23時を過ぎるとロックされ、通用口も専用のICカードがなければ機械警備が作動していて入館できない。
しかし、【サクサクファイナンス】事務所は家探しをされた形跡が生々しく残り何者かが深夜に入室したことが疑われたが、当該ビルの警備システムには23時以降の入館記録はなく防犯センサーが発報した記録も請け負っている警備会社のサーバにはなかったのであった。
「空き巣って、なに盗られたんです?」
安西警部補に聞いてみる。
「据え付け型の耐火金庫にしまっていた現金およそ200万と収入印紙や切手とかの有価証券のたぐいだね、それと…」
「それと?」
安西警部補が僕の耳元にグイとくちを近づけてこそばゆい吐息を吹きかけながらささやく。
「ハードディスクが2台」
ハードディスク。
今どき会社の重要なデータなんてクラウドで、手元に保存メディアなんか置かないだろうに。
というか、そのことを何故こそこそ話にするんだろう?
安西警部補は僕にぴったり体を寄せたまま続ける。
「ここの社長が建物の警備システムとは別に、どうやら従業員にも秘密の監視カメラを設置してあらゆる出来事を監視してたらしいんだが、その記録を保存しているハードディスクがなくなってるっぽい」
へえ。
「よく気づきましたね」
「ん、通報してきた従業員は金庫が破られててパニックになってたし最初に現着した地域課もその線でしか見てなかったんだけど、ウチのが来たときに区画内に不自然な造作がされてることとピンホールカメラっぽい細工を見つけたんだよね」
「なるほど、さすが二係の精鋭」
「鑑識来るのを待って受波装置とかウォールスキャナーとか使ったら、まあそれらしい配線やらワイヤレスカメラやら見つかってね。ここの社長は相当用心深かったのか、誰も信用できないタチの人間だったのか」
「なに映ってたんですかね」
「なんだろね。普通に営業してただけなら盗みたくなるようなモノ映ってるとは思えないしね。まあ、侵入者の姿は映ってたんだろうけどね」
「それを知ってて犯行後に持ち去った?」
「内部事情に詳しけりゃそんくらいはやるだろうね」
「でも、その社長しかカメラのこと知らなかったんでしょ?業者から漏れた?」
「どうもウチのが見たところによると素人仕事で配線とかもグチャグチャで、社長本人が必死こいて設置した可能性が高い」
「じゃあ、警備システムをハックしたりリモートで事前にオフったりは?」
「できないんじゃないかあ」
でも。
このビル全体の警備システムには侵入の痕跡はない、んだっけ?
「ねえ安西さん、これってその社長の自作自演だったりしません?」
「そう思うよね。とはいえ、少なくとも社長本人は手は出してないみたいだよ」
あら、そうなの。
「先週からホンコンに行ってるんだって、社長さん。一応ビジネスだって従業員には言ってる。連絡もらって慌てて帰国しようとしてる最中とのことです」
「ふーん。ほんとに出国してるんですかね」
「あ、それは羽田のイミグレで確認したからホントです」
「そんなんどうやって確認できるんですか?令状ないでしょ?」
「知りたい?じゃ今度ゆっくり僕の部屋で教えてあげましょう」
そういって安西警部補は僕の耳たぶをチュっと吸った。
「いつまでこの格好なんです?」
「だって後藤くん、すっごくいい匂いなんだもの」
さも僕の肩口に落ちていた埃を払うような仕草で両肩を撫で下ろすと、安西警部補は僕から離れて耐火金庫に歩み寄る。
「見てごらん。全然キレイなもんだよ。部屋中描き回されてるけど物損と認定できる痕跡はひとつもない」
確かに、書類やファイルは散乱してるけどデスクや棚が壊れた様子はないし金庫にもひっかき傷ひとつない。
「チカラずくじゃなくて技術的にブレイクしてる?」
「ビルの入館システムをいじれるくらいなら、こんくらいやるよね」
いやはや、最近は空き巣までIT必須な訳ですか。
「そんなこんなで、ただの物盗りの空き巣として捜査するだけじゃつまらないと思うんですね」
「だから、多忙を極める二係長みずから臨場されてる、と」
「後藤くんがここの現場に来たのもなんかアヤしいなーって感づいたからでしょ?」
「いやいや総務たるもの管内の事案にはすべからく気を配ることがですね…」
「はいはい、気が済むまで見てってね。なんかあったら連絡するから帰るときは声かけなくていいよ」
そう言って安西警部補は鑑識官がブラックライトで残留物を探している人の輪に加わっていった。
消費者金融【サクサクファイナンス】は5年前に創立されたまだまだ駆け出しの金融業者。
ヨコハマ市内にもキャンパスがある有名私立大学を卒業後にメガバンクの一行に入行した社長が5年ほど勤務して退職後に独立して開業したとのこと。
行政の許認可まわりは当然のごとく整備されていて、営業に関する問題らしい問題は特に聞こえてこないという評判。
一般消費者相手に現金で小口融資も実施しているが、最近は金銭消費の借金契約の格好でナントカPayのギフトコードでチャージさせるという方法で若者相手に融資残高を伸ばしているという噂も。
そんなやり方でどうやって利益が出せるのかはわからないけど、金融工学やらフィンテックやら今どきの金貸し屋さんもいろいろ考えているらしい。
とはいえ、このヨコハマで新興の金融業者として安定的に5年間営業を継続できているからにはそれなりにヨコハマの流儀に則ってやってるに違いないし、根城にしているエリアから考えてもどうしたって薄暗い世界に関わりが出てくるはず。
というわけで【サクサクファイナンス】とその社長である田所の身辺調査を個人的に進めてみたところ、それなりに面白いことがわかってきた。
取引の実績こそないものの所謂半グレと呼ばれる組織の上層部と、田所は個人的に会食等を重ねる交友関係があること。
地場周りの反社会勢力とはミカジメなどのやり取りは一切やっていないこと。
住居のあるミライ地区のタワーマンション周辺や事務所周辺で実施された地取りの聞き込みを総合すると、常にきちっとしたスーツ姿で地味な黒いアウディを運転して忙しそうに飛び回ってる姿が印象に残っているとのこと。
ここまでは大体ありそうな話。
とはいえ相手も人間であることにはかわりなく、スネに傷のない人間なんて一人もいないという僕の持論のもとに使える手段はなんでも使うという僕のモットーに従ってちょいと漁ってみたところ、事案の本筋とは関連するかどうかは不明なものの田所本人に非常に興味深い個人的嗜好があるとの噂を嗅ぎつけたのであった。
【推し推しカーニバル】の待機スペースで僕は店服姿でボーイに聞く。
「ここのお店で一番太いお客さんってどなたなんですか?」
「やる気があるのはいいけどあんまり最初から色気出さないほうがいいよ新人。でも教えてあげると、本指名は絶対にしないけど来店するたびにジャブジャブボトルを開ける人が一人いて、その人がここのところは売上一番くれてるんじゃないかな?」
「どんな人なんですか?その人」
「モニカさんって言ってね。まあ、そのうち席に付くこともあると思うし一回会ったら忘れられないと思うよ」
そういって顔をニタリと歪めるボーイ。
「僕、がんばってカネ稼がないといけないから、早くその人に付いてガンガンボトル開けてもらいたいんですよねえ」
と白々しくファイティングポーズをとってみせる。
ここ【推し推しカーニバル】が一年前に開店した当初から足繁く通う常連客の一人にものすごくキャラが濃い人がいるということは近隣の夜のビジネスではそこそこ有名な話で、その客はいつも色とりどりのウィッグで目一杯ケバケバしいドレスアップをしているらしい。
小太りの体をボディコンやらキャバドレスやらにギュウギュウに押し込んでいるその姿はさながら陸に揚がった海棲類。
それもそのはず、その客モニカはどこからどう見てもオネエだからである。
そして、モニカの昼の顔は【サクサクファイナンス】社長の田所である、という極秘情報を手に入れた僕はその日の晩に早速【推し推しカーニバル】の体験入店の段取りを整え、今こうして店の薄暗い照明の中シンボルを包むサテンの紐Tバックショーツ姿で焼酎の水割りをかいがいしく作っているのであった。
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