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第1話

 次の日は着実にくる。 そして朝になった部屋で頭を抱えていたのは神崎剛(カンザキ-ツヨシ)、二十八歳だった。 何故って隣に見知らぬ男が寝ているからだ……。  これはっ……どういうことだ?!  ざわめく快感にうろたえる。体が犯った後の感触を残している。しかもいつものごとく自分はされる側だった。  ヤバい。相手のことを何も知らないのにこんなことになってしまって……。  いったいどうしたらいいんだろう……と室内をキョロキョロと見回してみる。 「……んっ?」  よく見ると似ているようで似ていない。そしてよく見るとこいつどこかで見たことがあるような気がする……。 訝しげに相手の顔を覗きこむと相手もうっすらと目を開けてこちらを見てきていた。 「あれ、早いね……。おはよ」 「……お……はよ」  この声。挨拶。何度かしたことがあるような……。 「って、お前お隣さんじゃんっ!」 「………………ぁ、うん」  そうだけど? と言うような顔をされると、とたんに気まずくなる。 「あーーーーー」  これって……何? 俺、こいつにお持ち帰りされたとか? だとしたらなんて失態。  シーザスッ! って感じで額に手をやると天を仰ぐ。それを見ていた目覚めたばかりのお隣さんが「あの」と口を挟んできた。 「何か勘違いしてませんか?」 「は? 何を勘違いするって?」 「あなた今、お持ち帰りされたとか何とか思ってるでしょ」 「ぇ……ぁ、まぁ…………」 「お持ち帰りされたのは俺のほうですからね?」 「は? だってここは君の家だろっ?!」 「確かにここは俺の家だけど、俺が家に入ろうとしてたところに入り込んできて襲われたのは俺のほう。確かにあなたは酔ってたけど、されれば俺だってその気になっちゃうから乗っかっちゃったって感じ?」 「……」  それは何を意味するのか。神崎は訝しげな顔をしながら相手が怒っているのかいないのかを考えてしまったのだった。 ○  それから神崎は会社に行かなくてはならなかったので、さっさと自宅に戻って服を着替えると家を出た。  お隣の彼、の名は確か足立優馬(アダチ-ユウマ)だ。 年はたぶん同じくらい。背が高くて雰囲気はちょっと野性的。ほどよく付いた筋肉に匂いは嫌じゃなかった……。 仕事は……何をやっているのかは分からないが、身なりや言動から、どうやらホワイトカラーではなさそうだと言うことくらいしか感じ取れなかった。で、相手との関係はどうだったのかと言われれば……よく覚えてないが、けして嫌じゃなかった。嫌だったらあんなにいい目覚めではないはずだし、相手だってあんな顔で挨拶はして来ないだろうと思えたからだ。 「神崎さん。今『北野乾物』さんから連絡があって、予定の数を日にちまで出せそうにないってことですけど……どうします?」 「え? そりゃマズイ。老舗料亭さんからのオーダーもあるから間に合わせてもらわないと」 「じゃあ振り分け、そちらを優先しましょうか?」 「ああ、すみませんっ。そうしてくださいっ」 「はいはい」  今声をかけてきたのは事務をしている加東正清(カトウ-マサキヨ)、二十四歳だ。 彼は高卒で入ってきてるので神崎より年は若いが職歴は長い。クールビューティーと言ってもいいほどいつも冷静沈着で頼りがいのある先輩事務員だ。  神崎の働く会社は乾物の食料品を仕入れ、店のオーダーに合わせて用意すると言うものだった。神崎は店担当だったが、他にも店舗売りもあったりして毎日が品の取り合いで戦争のような状態だった。  神崎の日常はまず各店舗の注文を確認して、それから会社にある在庫、これから入荷予定のものの中からいち早く必要なものを探し出し的確に納品する。それが仕事だった。会社が仕入れている品物は多々あったが、その中でも必要とされる物は限られていて、なおかつそれは年がら年中必需品と化していた。 「大分の干し椎茸。どうだっ!」  在庫を確認するためにパソコンのエンターキーを勢いよく叩く。しかし数は入り用な数には達していなくて落胆するしかなかったのだった。 「十かよ……」 「ぁ、足りませんか?」 「足りないです。言われているのは十五だから……」 「じゃあまず十をOKして、それから次の納品で5追加でいかがですか?」と加東が声をかけてくる。 「…………ですね」  この場合仕方ないと思えた。だから了承したのだが、後の五はどうするかだ。 「どのくらいで後便来ますか?」 「普通に考えて後二日は考えていただかないと」 「…………じゃあ、二日後に六受注。いけますか?」 「いいですけど。納品は週一ですからね。多く受注したい場合は、次からは二番手にしてくださいよ。他の人も欲しいんですから」 「分かってますって」  いちいち次のことまで考えていられなかった。でも加東の助言は的確なので、注文数は最大限確保出来そうな十にしておく。それから乾燥ワカメの注文を取り付けて、昆布も良質なものを取り寄せて最短日数を確認する。  相手方も品物がなくなってから注文してくるのは滅多にないから、そこは頭を下げればどうにかなるだろう。 「ちょっと『篠瀬(しのせ)』に行って来ますっ」 「料理長は、今まだいませんよっ!」 「あ、まだいないか」 「あそこは午後イチで行かないと」 「そうでしたね」 「はい」 「だったら隣町の店を回りながら売れ筋聞いて、それが終わってから篠瀬に行けばもう料理長店に来てるでしょ?」 「ですね」 「じゃ、出かけて来ます。ぁ、この椎茸一袋、手みやげにいいですか?」 「注文数足りてませんからね。それでご機嫌取ってください」 「サンキューですっ」  他産地の乾燥椎茸一袋を手に取ると鞄に押し込む。 「行って来ます」 「はい、行ってらっしゃい」  笑顔でそう答えてくれる年下先輩はいつも心強かった。 〇 「誠にすみませんっ! 大分の椎茸なんですが、ちょっと数がすぐには整いませんで……」 「じゃあいつ整うの?」  綺麗な顔の只野が渋い顔で神崎を見る。彼の名前は只野芯(タダノ-シン)、三十歳。 ここに来る前は一流旅館の厨房で修行していたらしいが、「料理長をして欲しい」と言う、言わば引き抜き的な感じでここに来た男だった。腕が確かなのもそうだが、容姿だけ見てもいつ表舞台で活躍してもおかしくない、俳優のようなモデルのような整った顔立ちをした男でもあった。 「足りない分は次の便で間に合わせますので来週には」 「だったらいいよ。そんなに謝らなくても、ウチにもまだ在庫あるしどうにかするから。ただし、こういうの頻繁にはダメだからね?」 「はい、それは重々承知しておりますっ! ありがとうございますっ」  すかさず用意してきた乾燥椎茸を一袋差し出すと相手の顔がほがらかになる。 「君はいつもこうやって僕に餌を与えるね」 「そんなつもりはないですよ。これはあくまでもお詫びです」 「そう。じゃあいただいとくよ」 「はい」  こうやっていつも何とか許してもらっているのだが、何せここは注文量が他と比べても多いので油断ならない。それほど流行っていると言うことだが、それはこの只野を部屋に呼びたいからと言う噂もある。神崎は『篠瀬』から出ると車に乗り込む段になって肝心な注文の品を納品していないのに気づいた。 「馬鹿だな、俺はっ」  慌てて店内に戻ると厨房の横にある倉庫に入る。 「あっ」  そこにはさっきの乾燥椎茸を手にした只野がいたのだった。 「まだ用が?」 「納品するの忘れてましたっ」 「それは……駄目ですね」 「すみませんっ」  さっさと品物を置いて帰ろうと在庫が入れられているブリキの缶を取り出してひとつづつ丁寧に入れていく。それを後ろから覗き込まれて、ついでに後ろから抱きしめられて動きを止める。 「ちょっと……!」  気安く触んなよっ……! と迷惑そうに言うが、相手は全然意に介してないようで頬ずりまでしてくる始末だった。 「だからぁっ!」 「いいじゃん。誰も見てないんだし……」 「じゃなくて! 俺たちそういうのはもうっ」 「えっ、それは僕が余所見してたから?」 「……世間ではそれを浮気って言うんだけどなっ」 「別にいいじゃん。僕たち自然体だし」 「お前はなっ!」  口にしてから人のことは言えないな……と今朝の出来事を思い返す。が、絶対に顔には出せない。 「……離せって」 「納品不足したくせに?」 「それは、悪いと思うけど。でもまだ十分に在庫はあったはず……」 「そんなの、お前を呼び出す口実だって。分かってるくせにっ」 「……そういうの、迷惑だからっ」 「僕は客だよ?」 「分かってるっ」 「そろそろお前の体が恋しいんだけど」 「何言ってんだ」 「だって、入れたい……」 「っ……」  お前だって入れられる側のくせにっ! と言いたいのを抑えて相手の腕を振りほどく。 「ぁ、今『お前だって』って思っただろ?」 「……」 「あれはビジネス猫だから。僕は極めて純粋なタチって言うか」 「……」  こいつは極めて純粋なバイだから。  男女問わず自分の快楽に忠実な男だと関係を持ってから分かった。その容姿からそれは多少はアリかもしれないと思ったが、まさかここまでとは……と今更ながら不覚だったと後悔している。  神崎は只野の言葉を無視してひたすら乾燥椎茸を納品すると缶を閉めて元の位置に戻した。 本当は他の在庫もちゃんとチェックしたいところだが、これ以上ここにいると危なそうなのでさっさと立ち去ろうと決める。 「今夜、行ってもいい?」 「駄目。てか予定ある」 「じゃあ明日」 「明日も予定あるっ。あるし、お前とはもう終わってるから」 「終わってないよ? ちょっと休憩してただけで関係は全然終わってない」 「あのさ、片方が終わったって思えばもうその関係は終わってるのっ。俺は他の奴に心を許すような奴とは付き合いたくないっ!」 「心は許してないよ?」 「そういうの、もういいからっ。俺たちはとっくの昔に終わってるんだから、あんまり馴れ馴れしくすんなよっ」 「ヤだよ」 「俺もヤだよ。じゃ、次行かなくちゃならないから」 「……僕は諦めないからね」 「俺には関係ない」 そう言って倉庫から出ると、今度こそはと車に乗り込み走り出す。 「はぁ……」 しかし出るのはため息ばかりだった。  彼・只野と初めて関係を持ったのはもう何年も前のことだ。 初めて会った時からいいなと思っていたから一緒に飲みに行った時、迫られて応じてしまった。ただ「どちらも受けだよな?」と思っていたので迫られた時にはどうしようかと迷ってしまったくらいだ。でもすぐに彼が両刀だと分かり、驚いたと同時に流されてもいた。 そして関係が成り立つと、それからは彼の天下。 浮気されて言い訳ばかりされた。それでも彼のことが好きだったので、何かと理由をこじつけては彼を信じた。  でもそれも数年。 彼と関係を持った男とたまたま酒場で出会ってしまったのが運の尽きだった。 男は神崎が只野と付き合っているとは知らなくて自慢げに彼とのことを話してきた。それを聞いた神崎は一気に熱が冷めてしまったのだ。 夢から覚めたと言おうか……。だから彼に「もう別れよう」と話をしたのだが、事あるごとになあなあにされてしまいぬるま湯状態が続いている。  それもこれも自分が優柔不断なのだと分かっているのだが、こればかりはどうにも出来ない。 気持ちの整理はついていても体のほうが追い付いてない。 強く迫られるとどうしても流されてしまう、相手にとっては都合のいい存在になっていることも分かっているのに考えはそこで止まるばかりだ。只野は付き合う相手など選り取り見取りかもしれないが、神崎にとってはそうでもない。別れようと口にしてから、まだ年に数回彼からの誘いに流されてしまっている自分がいるのだった。 「しょうがないじゃん。俺だって溜まるもんは溜まるだしっ!」  だからって今朝みたいなことは、とてもじゃないがいいとは言えない。 「あーー。あっちはどうすっかなぁ…………」  朝から問題ばかり蓄積しているのに気ばかりが滅入る神崎だった。 〇  午前中、何社か回りご機嫌伺いがてら注文を取り付けると事務所に戻る。 「只今戻りました~!」 「ぁ、お帰りなさい。『篠瀬』から連絡ありましたよ」 「なんて?」 「迅速に対応してくださりありがとうございますって」 「……他には?」 「いえ、それだけですよ?」 「そう」 「良かったですね」 「ぁ、うん。まあそうですね」 「何かあったんですか?」 「いや、そんなことないですよ?」 「……」  それにしては何かしっくり来ないぞと言う顔で見られてしまい気を引き締める。 「何かあったんでしょ」 「……」 「言えないようなことですか?」 「そんなことはないけど……」 「言ってください」 「……あいつ、まだまだ在庫あるのに俺を呼び寄せるために嘘ついたんですよ」 「それは何故?」 「…………俺が、好きだから?」 「あーー、はいはい」  それはお気に入り認定と言うことですね? と軽くあしらわれてしまった。  まっ、いいんだけどね。 「でもそんなことは分かってたんでしょ?」  だって担当しているのはあなただけなんだから、どれが絶対的に足りないかなんて記憶しているはず。  言われればそうなのだが、それもこれも相手次第。 相手が「足りない」と言えば「足りない」のだから持って行くしかない。それはお客様優位なのだからこちらに何か言えるだけの力はないと言うものだ。  加東には変に勘違いされたが、それはそれでいいように使おうと考える。 神崎は午後からまた得意先回りをしなければならないので、パソコンでチェックすると新たに必要な物を倉庫に取りに行き、また会社を出たのだった。 ●  こうして一日の仕事を終えると電車で帰途に着く。 駅を降りるとアパートまでの道すがら商店街で夕飯の買い出しをして帰る。これが神崎の日課なのだが、今日はちょっと違っていた。 「すみません。焼き鳥、適当に見繕ってください」 「はい、毎度あり!」  自分の食事は家にあるもので間に合わせることにして、今日は色々と迷惑をかけた隣に何か持って行かなければと言う気持ちになっていたのだ。だからすぐに食べられて、尚且つ腹の足しにもなる物は焼き鳥かなと購入してみた。  自分のアパートまで来て外階段を上がるのだが、自分の部屋には入らずに隣のドアの前に立つ。 手にした焼き鳥が暖かいのを無意識に確認すると深呼吸してピンポンを押した。 自分の家と同じピンポンの音が室内に鳴っているが聞こえる。 『はい』 『……あの、隣の神崎です』 『ああ。ちょっと待っててください』 『はい』  ドキドキする。 ドタドタとした足音が聞こえてドアの向こうに彼が来たのが分かる。一呼吸してから静かにドアを開けられて神崎も焼き鳥を持つ手に力が入った。 「お忙しいのにすみません。あの、これ良かったら……」 「……何ですか?」 「焼き鳥です。食べてください」 「これは……口封じ?」 「違いますよっ。色々迷惑かけたからっ……」 「迷惑?」 「迷惑」 「迷惑なの?」 「迷惑……でしょ?」 「いや別に迷惑じゃないけど……。と言うよりもむしろ好都合だったと言うか……」  ちょっと照れて言われて「あれ?」と感触が変わる。  もしかしてもしかしたらこの人は……自分を受け入れてくれるんじゃないか、と思ってしまう。 「あのっ」 「焼き鳥、一緒に食いませんか?」 「ぇ、あ……まあ……いいですけど……」  本当に? と言う気持ちのほうが強かった。出来ればこの場でちょっと自分の頬をつねってみたかったけど、そんな暇はないようだ。次の瞬間、手にした焼き鳥ごと引っ張られて神崎は室内にいた。

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