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金瞳の子猫

彼女いない歴三年目。 大学生活はそこそこ順調で、こっぴどくフラれたおかげで彼女欲しい願望よりも一人で過ごすか友達と遊ぶ方が楽しい。今日もサークルの飲みだった。 そんな俺が猫と出会いました。 にーっ にーっにーっにーっ! ふがぁー! 「……ぅお!? 何!?」 普段なら気にも留めない曲がり角に置かれたゴミ箱とゴミ箱の隙間で、くしゃくしゃに丸められたビニール袋と大騒ぎで格闘している小さな猫。 汚い。 砂まみれ、ゴミまみれ、おそらく溢れたジュースだろう液体まみれ。 に。 あ、ヤバい。目が合った。綺麗な金眼だ。 とくん、と心臓が跳ねた。 立ち去ろう。俺がペットなんて飼ったら気になって朝まで飲みに行けないだろうし。ビニール袋とそんだけ元気に遊べるなら大丈夫だろ。強く生きろよ、うん。 「じゃ! 元気で!」 理解してもらえるとも思っていない言葉を投げて、ポケットからタバコを引っ張りだした。 「いや」 「え?」 確かに声が聞こえたと思ったんだ。 細い声で「いや」って。 でも。 誰もいない。 どうしてそうなったんだか片耳にビニール袋を引っ掛けた子猫がいるだけ。 空耳、かな。うん。空耳だな。 多分「にゃあ」か「うにゃ」を聞き間違えたんだ。これだから酔っ払いは……。 タバコに火を点けて、まんまるお月様に向かって煙を吐き出す。 子猫の目と似てる。 やっぱり酔っ払いだ、俺。 今は頭をすっぽりビニール袋に包まれて暴れている子猫に声をかけた。 「おーい。お前の名前はルナにする。大っ嫌いな風呂にも入れるし、医者で注射もさせるぞ。好き嫌いは許さない。それで文句がないなら来いよ」 どうせ通じやしないのに。 ま、猫好きはつい話しかけちゃうってヤツだ。 子猫はっていうと。 ――バリバリガシャガシャバリバリ―― 両手って言うのか? 両前脚で頭掻きむしってるよ……しかも立ち上がって。まさかビニール袋で窒息!? 助けてあげた方が良いかな? 良いよな? あまりの激しい掻きむしりっぷりにおずおずと手を伸ばすと、頭を振り回して自力でビニール袋を外した子猫と目が合った。 「お、おう、大丈夫か?」 「にゃ!」 あれ? 会話成立? んなバカな。 自分に呆れて溜め息をついて歩き出すと後ろを子猫がついてくるではないか。 「え? お前、来るの?」 ピタッと脚を止めて大きな金色の瞳でじぃっと穴が開く程俺の顔を見つめて。 「にゃ」 と一声。 会話成立……かな。まぁ良いか。 しゃがみ込んで、子猫に手を伸ばす。 「来るんだろ? お前の脚じゃ遠いぞ。てこてこ歩いて着いて来るか?」 「ふにー」 あ。嫌なのね。 たたっと駆け寄って来て、宙で待っていた俺の掌にピタっと顎を乗せて喉を鳴らしている。 ちっこくてあったかくて柔らかい。 汚ぇけど。 「腹減ってる?」 「にー」 鶏のささ身があったな。アレを茹でて冷ましてやろう。掌から伝わるゴロゴロ振動につい顔が綻ぶ。 「よっしょ……あー汚ぇなぁ」 抱き上げた途端に胸に擦り寄ってきた子猫が俺を情けない目で見上げて、耳をぺたんと寝かせた。 まるで「きちゃなくてごめん」って言ってるようで、口の周りを指で軽く擦ってやった。 「シャンプーは……人間のじゃダメだかんな。今夜はお湯で拭いてやるな?」 「にゃ」 「帰るぞ、ルナ」 「にーっ」 長い尻尾がぴょこぴょこ跳ねて、腕の中にすっぽり収まったルナはご機嫌な様子だ。 「ははっすげぇな! お前、俺の言ってる事解るの!?」 「にゃ! にゃ!」 「まさかなー! でも、まあ、いっか! 俺の名前は深海(みうみ)。解ったかー?」 器用に尻尾で俺の胸を叩いて大きな目を細めて、小さな口を大きく開けて大あくびをした。 ささ身を茹でている間に、ルナの汚れを落とそうとお湯で濡らしたタオルで拭いてやって、俺は困惑してしまった。 何だ、この猫……雑種の野良じゃないのか? ジュースでベトベトの身体を拭いて、砂や土の汚れを落としていくうちに、ルナがとんでもなく美しい毛並みを持った猫だと気付いた。長毛種よりは少し短い体毛がしっとりと濡れた鴉の羽根のように艶めいて煌めいている。 「うわー別嬪さんじゃん、ルナ」 もはや独り言を虚しいとは思わないぞ。ルナに話しかけてるんだし、独り言じゃないだろう。 ハンドタオルで顔をコシコシ拭いてもルナは嫌がらない。大人しく顔を突き出したまま目を閉じている。 「んにゃっにゃっにゃっ」 尻尾を拭こうとして初めて暴れた。というか嫌がった。 「ごめん! 痛かったか? でもお前、尻尾もふわふわだから綺麗にしないと……」 「ふぅぅっ」 シャーッ! と爪を出されないうちに手早く終わらせてしまおう。さっきよりも弱い力で長い尻尾を包むように拭いてやって完成。 砂と埃とジュースまみれの汚かったルナは、猫好きだけど猫の種類は三毛猫とペルシャとロシアンブルーくらいしか知らない俺には、ものすごく高貴で貴重な猫としか思えない変身を遂げてしまった。 「お前すげぇな。マジ綺麗……俺みたいな普通の学生に拾われるより、金持ちに飼われた方が幸せだぞ? 美味いモンいっぱい食わせてもらえるだろうしさぁ……イテッ」 初めて猫パンチをされた。 まん丸だった目が四角の垂れ目に変わっていて、耳もへにゃっと垂れていて。 何となく……悲しそうだった。物言わぬルナのそんな姿に胸が痛んだ。 おそらくルナは捨てられてあんな所にいたんだ。生まれてすぐに親と引き離されたのかも知れない。 ルナは俺のセリフをどんな思いで聞いたんだろう? ――また捨てられる―― そんな風に思ったかも知れない。 「捨てたりしねぇって。泣くなよ」 小さな頭を掌で包むと尻尾がふわりと動いた。 泣くなよ、だって。俺マジでバカみたい。 猫は鳴くモンで泣くモンじゃないっつーの。 「風呂入ってくるから、飯食って待ってろな? 暴れんなよ?」 「にゃ」 なんだろ、このルナの絶妙な鳴くタイミング。本当に俺の言ってる事が解ってるんじゃないかって思ってしまう。 ちゃんと冷ましたささ身を食べやすいようにほぐして皿を目の前に置いてやると、はくはくと微かな音を立てながら目を細めて美味そうに食べ始めた。 明日は猫用のシャンプーとトイレセットとブラシと猫じゃらしと、いっぱい買わなきゃな。あ、飯も。一人じゃ無理だな、亮平に手伝ってもらうか。 明日の予定を立てながら大急ぎで風呂から上がると、ルナは俺の言い付け通り、大人しく空になった皿の前にちょこんと座って待っていた。

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