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言霊と来訪者

講義中に胸が熱くなって、これはルナが俺の名前を大連呼しているんだなと思うとついクスリと笑ってしまった。 「何? 思い出し笑い?」 「あ、ごめん」 ルナにはこっちの都合なんて解らないから、講義中だったり、バイト中に呼ばれても呼び返せない時はヤケッぱちで俺を呼んでいる……ような気がする。 ルナがこの世にいた時は想うだけで胸が温かくなったのに、今が違うのは次元の問題か時空の問題か、はたまた俺には思い付かない他の問題があるのかは謎のままだが、別れ際にルナが言ったように、今は言霊に頼らないと想いが伝わらない。 胸の熱が徐々に引いて、ルナの大連呼が終わったのだろうと予想をつける。きっと唇を尖らせてぶすけているに違いない。 講義が終わるまで二十分。 待たせた分たくさん呼んでやろう。 何も変わらず愛している事が伝わるように、俺も大連呼してやろう。 どんなに大連呼しても胸が熱くなるだけで、今日何をしたとか何を食べたとかどう過ごしたかなんて会話ができるワケじゃない。 それでも良かった。 ルナからの呼びかけがなくなった。 俺は変わらずに呼びかけいるけれど、ルナが消えて二ヶ月目で、俺の胸がぽわんとする事はなくなった。 ルナはもう俺が要らなくなったのだろうか? ならもう……俺も呼ばない方が良いのかな、と思わなくもない。 それでも俺はルナを呼ぶ。大連呼してやる。俺が要らなくなったのなら 「うるさい黙れ!」 とココに文句を言いに来れば良い。 そうしたら、諦めて……やらん事も……。 さっぱり進まないレポートにうんざりして、嫌がらせのようにルナを呼んでやろうかと思ったタイミングでドアベルが鳴った。 誰とも約束はしていない。宅急便を親が寄越すとも思えない。 となると何かしらの勧誘か……。無視して居留守を決め込もうとするのだが、ドアベルが鳴り止まない。 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン……ご近所迷惑極まりないだろ! 「すみません、勧誘お断りで……す」 おそらく二十代後半の長身の男が二人。一人は無造作に伸ばされた真っ赤な髪、もう一人は美容師さん大変だったでしょうと言いたくなる程見事な銀髪。そして二人とも和服っぽい、なかなか個性的な服を着ている。 目立つ事この上なし……新手のホストの勧誘でしょうか? ウチ女の子いませんけど。 「深海(みうみ)?」 「その呼び方は失礼では?」 「まだ決めかねてんだから仕方ねぇだろ? とりあえずさ、こぉひぃ飲ませてくんねぇかな? 深海」 “こぉひぃ”のイントネーションがルナと一緒だった。 あまりの懐かしさに思わず吹き出してしまった俺を二人が訝し気に見る。 「すみません。無何有郷(むかうのさと)の方達ですね? 俺の伴侶に何かありましたか?」 別れると言われていないのだから、まだ伴侶で良いだろうと声をかければ 「……何故そう思う?」 と赤毛に質問を質問で返された。 「何故って、ここ一ヶ月、あいつが俺を呼ばないからですよ。どうぞ中へ」 二人を招き入れて俺は、好きに座ってくださいと声をかけてご所望の“こぉひぃ”を淹れにキッチンへ行く。 チラッと覗き見すると赤毛は狭い部屋の中をうろついて、俺の書きかけのレポートを読んだり興味のままに動いている。銀髪の方はベッドに腰を下ろして長い脚を優雅に組んで、目を閉じている。 対照的な二人だなと思う。 「お待たせしました。“こぉひぃ”です。もし苦かったら、砂糖を少し加えてみてください。お好みで牛乳もどうぞ」 男の一人暮らしで揃いのカップなんてないので寄せ集めのカップをテーブルに置いた。俺はいち早くルナのお気に入りだったカップを確保した。 「確かに良い香だな」 「ええ、和子(わこ)の言った通りですね。いただきますね、深海さん」 銀髪が丁寧に頭を下げてニコリと微笑む。 つられて笑って、赤毛を見た。赤毛は俺を見て口の端を微かに持ち上げた。 「和子がよ、すごく良い香で落ち着くのに、飲んだら眠れなくなる不思議で美味い飲み物があるって自慢気に話して聞かせてくれてよ。毎日のように聞かされりゃ気になるだろ?」 「そうですね、毎日のように言ってましたね。こぉひぃがこぉひぃがって。今頃深海はこぉひぃ飲んでるかなぁってにこにこしてましたね」 あのキラキラした目で得意気に語って聞かせたんだろうか。きっと身振り手振りを織り交ぜて話して聞かせたんだろう。目に浮かぶ。全くルナらしくて可愛らしい。 が、気になる事が一つ。 「どうして過去形で話すんですか?」 「……死んだっつったら、どうするよ?」 赤毛がコーヒーに砂糖を足しながらボソリと呟く。 それを銀髪は横目で見はしたものの無言でコーヒーの香を吸い込んでいた。 「死んでないでしょう」 それには確信があった。 もし本当にルナが死んだのなら、玄関でそれを伝えて帰れば良いだけの事だ。ルナよりは大人だろうけど、無何有郷の住人ならこの世はツラいはずだ。 でもこの人達はコーヒーを望んだ。 それは、何か、話があるって事だと思う。 「俺やっぱこういうの向いてねぇわ。頼む、白虎」 「はぁ、全く貴方何しに来たんですかね?」 白虎と呼ばれた銀髪は溜め息をついてコーヒーをブラックのまま飲んだ。 「そりゃまずはこぉひぃだろ? で、あとは深海次第だろ」 うーん、と唸った白虎は何から話しましょうね、と独り言ちて視線を俺に定めた。 「和子の伴侶を見に来ました。何せあの頑固な和子を言いくるめて(さと)に帰るよう説得するなんて、どんな人だろうと思いまして」 「ついでに人間嫌いの尾白まで味方につけるなんてな。興味がわいた」 「尾白……さん、あの人俺の事大嫌いですよ?」 この人達は何を言っているのだろう。 尾白は俺に敵意しか向けて来なかったのに。 釈然としないままコーヒーに口をつけた。 「ほら、貴方達人間は生きている時間も短いですしね、その短期間に少しでも多く子種を撒こうとすぐに心変わりするでしょう? 強欲で身勝手で。だから和子を郷に帰す良い機会にどんな口八丁で和子を納得させたのか、どんな男が私達の和子を誑かしたのか見に来たんですよ」 にっこり笑いながら丁寧な口調で白虎はすごい毒を吐きやがった。 嘘を嫌う人達だから言うべき時にはハッキリと言うのだろうと思うが、正直不愉快だ。 顔に不快感が出たのだろう。今度は赤毛が口を開いた。 「ところが、だ。和子の言うようにお前の領域は驚く程気が澄んでいて過ごしやすい。おまけにお前は和子を伴侶と言い、呼ばないから何かあったのかと言う。死んだとは思いもしねぇ。御魂がしっかり呼び合ってる証拠だし、和子を想う気持ちに揺らぎもねぇって感じだ。なあ? なんですんなり受け入れてんだ? 猫で現れてヒトになって、男同士で伴侶って。この世じゃあり得ねぇだろ?」 そう言われて、俺は正直に二人に話した。 ルナがルナである以外はどうでも良かったのだと。二人は顔を見合わせて赤毛は豪快に笑って、白虎は 「無礼な事を申し上げて、本当にすみません。色々と煽って反応が見たかったので」 と頭を下げた。 「白虎よ、俺は和子につくぜ? お前は?」 「聞かなくても解るでしょう? 朱雀、貴方もう飲み終わったんですか? こぉひぃ」 白虎と朱雀……ポカンと口を開けて目の前の二人を見つめる俺に気付いた白虎が微笑んで肩をすくめる。 「白虎も朱雀も、まぁ役職名ですのでお気になさらず」 「いや、普通に気になるでしょ」 伝説やゲームの中で聞く名前だ。 「じゃあ青龍とか玄武もいたり、なんて……?」 「おー詳しいなぁ! ココに誰が来るかで相談したんだけどよ、守護地の関係もあって俺と白虎か青龍と玄武だったんだけどよ。玄武だとなぁ……」 「玄武喋りませんしね。青龍は……青龍なので。貴方を見極める云々以前に既に和子側なので」 和子側とかさっぱり解らない。解らないけど、客人のカップが空っていうのも気にかかる小心者の俺は朱雀にコーヒーのお代わりを勧めた。 「寝れなくなんじゃねぇの? って今何時だ?」 「え、十九時前ですね。あ、コーヒーより飯の方が良いですか? ルナ……あいつがいつ来ても良いように食材は国産無農薬有機栽培にしてるんですけど」 「誰が作るんだよ? 厨師、まだ来てねぇみたいだけど……」 「厨師? 俺が作ります」 「いただきましょう、朱雀。和子がどんな物を召し上がっていたのかも気になりますし。お願いして良いですか?深海さん」 白虎、何気に怖い。 にこやかなのに! 口調丁寧なのに! テレビドラマにありそうな嫁チェックするお姑さん的な……。 今だって、玉ねぎ切ってる俺の左斜め後ろに立って観察している。 「はーっすげぇな! コレはなんだ?」 朱雀はキッチン家電に興味津々だ。こういう反応はルナに似ている。 「それは電子レンジと言って、冷めてしまった料理を短時間で温め直したり、凍った肉を解凍したりする機械です」 「コレはよ?」 「え? それは炊飯器。お米を炊くんです」 「ほぇーっじゃあコレは?」 「冷蔵庫です。買っておいた食材なんかを保存する機械です」 料理が進まない……。 「すっげぇ! コレ……」 「それでコーヒーを淹れるんですよ。食事が終わったら食後のコーヒーを飲みましょう」 メニューはルナの好物で良いだろう。肉じゃがとワカメと豆腐の味噌汁と魚の干物を焼いたヤツ。 朱雀の質問攻撃に答えつつ、白虎のお義母さん的な眼差しを受け流し、具材を調理していく。なんかリズムが掴めてきた気がする。 「深海の手料理いただきながら、ちぃと込み入った話すっかな」 飯、楽しみにしてんぜ、と言い残して朱雀が白虎を引っ張ってキッチンから出て行った。

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